チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年4月5日

カム再び緊迫

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ダラムサラは今日は朝から、久しぶりの本格的嵐です。冷えるなと思っていたら、吹きつける雨は、霙交じりとなって来ました。
 明日は法王自ら導師となって、朝から1日中、供養祈願会が行われる日です。このままだと、とても寒い荒れた1日となりそうです。
 明後日(7日)は<頭丸める日(?)>です。私は昨日すでに剃りました。どうせその日には剃らないわけにいかないだろうし、その日になると、街のあちこちで無理やり抑え込まれて剃られ血だらけとなる光景とか、この際女も剃るべきだ、いや剃ろうということで、家の中でも夫婦が仲良く、あるいは争いながら剃りあう光景とか、この際シラミ予防に最適な口実ができたと、学校の生徒が全員坊主となる光景とか……想像するのは実に面白いですね。これももう剃ってしまった人の余裕ですかね。

 そういえば一つ、この前ルンタレストランで話を聞いたお坊さんを覚えてますよね。彼が家族からの電話で聞いたとして伝えてくれた、アムドのホッカのデモのことが昨日だったかのTCHRDの記事にやっと載ってました。写真付きなので時間のあるときぜひ見てください。
http://www.tchrd.org/
 ただひとつ私が聞き間違えたのか、デモは27~29日に発生したのではなく、25、26、27日だったようです。TCHRDの記事には彼の弟のことは載ってませんでした。馬でのデモについても書いてなかったな……。TCHRDの最近の他の記事にも目を通してみてください。
 今日の記事には、16日から始まった騒動で30人ほどの死者が出たアムド5区で、お坊さんが2人自殺した話が書かれています。1人は若い僧。すべては自分のせいであって今獄に捕まっている者たちには何の責任もない、と言って責任を負うつもりで自殺した。もう1人は老僧。もう1日でもこれ以上中国の下で生きるつもりはない、と言って死んだとか。
 Radio Free Asiaのチベット語放送を聞いていると、ライブでどんどん内地から、特にアムド、カムから電話が入って来て、現地の状況を伝えています。まだまだ至るところでデモや衝突が起こっています。みんな緊迫し、高揚したような声が多いです。ただ、残念なことにアムド語やカム語がそのほとんどでして私の今の語学力では、細かいところまでははっきりは判りません。

 衝突に至る根本原因はさておき、最近のケースの一般の成り行きは以下のようです。
 まずは中国の役人たちが上から命令され、警官、軍人を伴って各地方の寺、僧院に仰々しく出向く。全員を本堂に集め緊急特別政治教育集会を開く。そこで各尼僧に強烈なダライラマ批判を強要する。ここまでは、これまでも長年続いてきたことなのでなんら特別のことでないのです。
 ただ、今はどこの田舎のチベット僧だって、ラサやアバで多くのチベット人が殺されたことは知ってる。だからそう簡単に、はいそうですとは言わない。それどころか、もしもその数に置いて僧侶が多勢なら(チベットの僧院には僧が100人200人いるのが当たり前)、その役人たちを追い払ったりする。
 そのあとはまず、寺や僧院の高僧が警察に呼び出され、最後通知のようなことを言われる。いうこと聞かないなら、大変なことになるぞ、軍隊を沢山呼ぶぞ!と脅す。高僧は僧院に帰ってみんなと話し合うが、この際多くの場合全員断固抵抗を決意する。
 もちろんその後、軍隊が数百から千人単位で押し掛ける、部屋に押し入られ僧はその場でしこたま殴られる。その時、必ず何人かを連れて帰る。
 残った僧侶たちは仲間を釈放せよと政府の建物や警察所に向かう、それを見たり知ったりのチベット人は僧侶の行進に加わる。どんどん数が増す。
 こうなると、場合によれば(中国の場合)、発砲、射殺ということになる。
 まったく中国は黙って寝てろ! です。

 後もう一つのタイプは最近の犠牲者のことを思い、各寺、僧院、あるいは普通の俗人が集い死者を弔う法要を行う、あるいは行おうとする、それを知った地方政府、警察、軍隊、がその法要を蹴散らす。それに対して……

 それにしても、最近のデモは大方、まったく平和的方法で行われているようです。それでも命がけであることには変わりありません。

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 (新華社経由の映像にはチベット人が商店を襲ったり車を横転させたりしているシーンばかりが写っていて、「武力弾圧やむなしという世論形成のための工作だ」とか「やらせだ」なんて意見もあるけど)
 私の思うに中国はすべてのビデオの中から必死に探しても、あの程度の暴力シーンしか見つけられなかった訳ですから。まるで大したことはしてないことの証拠ではあります。 これがその場で銃殺することを正当化する立派な証拠となりえるというのが中国なのでしょう。
 さっきBBCの生中継で、ギリシャでの聖火点火式の出来事。
 中国のオリンピック協会のえらいさんの誰かが、スピーチを始めると、その後ろに突然チベット人らしい男が現れ、黒い国旗のようなものをカメラに向かって示しました。すぐに警備員に取り押さえられましたが、BBCはそののちそのシーンを何度も流しています。
 
 その後、聖火が点火されるところを見ていて思いました。
 このともしびが本当にチベットの暗闇を照らすかもしれない、本当はチベットだけじゃない、世界を救うともしびになるかもしれない。
 これほど善悪のはっきりした戦いはない。だのに多くの人々は実に騙されやすい。これは心を守る戦いだ。中国の態度は良心と人間性への挑戦だ。
 ただ多くの国々や企業は金のために目をつむることであろうが、個人はそうある必要はない。中国により今まさに失われようとしているチベットの文化、社会、宗教はすべて心を基としている。温かい心、慈しみの心、真実に基づいた智慧、心の解放、これらがチベット人の求める心だ。少なくとも金持ちが尊敬されはしない。この価値観は生き延びるべきだ。
 このままチベットの心が消えて行くなら、そして中国がここまま経済的、政治的、軍事的に強大になるならば、これから先少なくとも50年は世界は益々暗くまた浅はかになっていくことでしょう。
 本当は今、世界の人々は己の心を守るがごとくにチベットを守るべきなのだ。

 TCHRDにもアップされたようですが、3日にまたデモ隊に軍隊が発砲し多くの死者がでたようです。At least eight shot dead in Tongkor Monastery in Kardze
 ラジオでは15人との情報もありました。

藤田さんより

NHKのフラッシュ(短信)だったんだけど、「発砲」とか「死者」とか、おだやかじゃない言葉が並ぶ短いニュースの間、画面には「資料映像 四川省甘孜蔵族自治州」として、明らかにダルツェドだよなーって町並みが写る。
 大きな川が流れていて、両岸に中国風のコンクリートの建物が並び、隅にチュバを着た女性がちょっと写りこむような、それほぞ民族色のつよくない、中国の辺境のよくある少数民族地域、って感じの映像。いつ撮影したものかは分からないけど(たぶんけっこう前のような気がする)、ただ淡々とカメラが回り、映る人も商店も単なる素材として風景の一部になっている。そこには、暴動とかデモとか、あるいは政府の抑圧だとか人権侵害だとかはみじんも映りこんでいなくて、ただ表面的な風景だけが映っている。
 でも、たぶん、ずっとチベットはこうだったんだ。水面下にはいろんな大変なことがあり続けても、そこに生まれて育って暮らすごく普通の大勢の人たちは、ただ家族が大過なく穏やかに過ごせることを一番に願ってきたと思うんだ。この画面に映る人たちは、いまどうしているんだろう?
 カンゼの(配信映像なしで音声のみの)ニュースが読み上げられるとき、NHKではいつもその、同じ資料映像が流れる。そのたび、「ダンゴはそこじゃねーだろ」「タウはそこじゃねーだろ」と心の中で突っ込もうとして突っ込みきれず、ものすごく悲しい気持ちになるのでした。

再びダラムサラ

僧侶ら8人死亡とNGO 四川省、死者15人の報道も
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008040501000814.html 【北京5日共同】インドに拠点を置く非政府組織(NGO)チベット人権民主化センターは5日、中国四川省カンゼ・チベット族自治州カンゼ県で3日夜に起きた僧侶や住民らと治安部隊の衝突で、僧侶と女性を含む少なくとも8人のチベット民族の住民らが治安部隊の発砲で死亡したと発表した。
 米政府系放送局、ラジオ自由アジアは5日までに、衝突で15人が死亡、数十人が負傷したとの目撃者情報を伝えたが、同センターは信頼できる消息筋の情報として発表。さらに多くの負傷者が出て、拘束者も多数に上っているとしている。
 中国国営通信の新華社は4日、暴動で地元当局者1人が重傷を負ったと報道していた。
 チベット人権民主化センターによると、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世を非難し「愛国教育」の徹底を図る当局者が2日に現地入り。しかし、僧侶らは「命に換えてもダライ・ラマを非難することはできない」と拒否した。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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