チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年4月7日

「法王を批判するなら死んだほうがましだ」

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4月2~3日にカムで起きたデモと衝突、死者について。

 まずは、もうご存じでしょうが、最近カムの二つの地区で起こった衝突について報告します。
 どちらとも同じガンゼ県でのことです。でも二つの町の距離はそれほど近くないとか。
 一つはジタンのトンゴルゴンパ(Tongkor Monastery in Zithang Township, Kardze County, Kardze “Tibet Autonomous Prefecture (TAP)”,Sichuan Province)で起こった話。もう一つは、もう一つはタウのニャツォゴンパから始まりました。タウについては今だ状況ははっきりしません。

 ジタンでは確認されただけでも8人、電話では15人という情報もあります。事の起こりは4月2日に、愛国教育チームが僧院に来て、例によりダライラマ法王を批判することを強制したことからだ。それに対し僧院長のロプサン・ジャミヤン、僧のイシェ・二マがまず従おうとしなかった。それに続いて多くの僧が「ダライラマ法王を批判するより、死んだ方がましだ!」と叫んで、その日この愛国教育チームを追い出したという。
 次の日、数百に及ぶ軍隊と公安が僧院に押し掛けた。ダライラマ法王の写真を探し出すために本堂をはじめ各庫裡を徹底的にかき回した。その間僧侶たちは相当抵抗したらしい。
 あげく、70代の長老僧ゲシェ・ツルティム・テンジン師と26才のツルティム・プンツォックを逮捕した。

 それに対し数百人の僧侶が政府の役所に向かって、2人を解放するために行進を始めた。それを見た一般のチベット人が次々合流して500人以上の行進となった。
 中国側は午後8時には2人を解放すると、一旦約束した。しかし約束が守られないと知った市民と僧侶が再び政府の建物に向かった。それに対し中国は発砲した。
以下は今判っている犠牲者名簿です。

According to sources, those killed in the shootinginclude: Zangden, monk, 27 years old from Tsangyoe Village, Phurbu Delek, 30 years old, Tseyang Kyi, 23 yearsold female, Druklo Tso, 34 years old, female from GugraVillage, Tenlo, 32 years old female from Gugra Village andidentities of three could not be ascertained at themoment. Three monks, Nyima, Kalpo a.k.a Kabhuk and Thupten Gelek originally from Sheru Village and monks of Tongkor Monastery sustained bullet injuries and are known to be incritical condition. Other reports cited the death of atleast eight Tibetans after the shooting. There is no information on the whereabouts of Tsewang Rinzin, a disciplinary master of Tongkor Monastery.

現地からのある電話では既に15人は死んだ、9人は確認した。何十人も撃たれた。と言ってました。

 もう一つのタウゾンのニャツォゴンパについては、ほぼ同様の経過の末、3日に10数名が撃たれたとのことです。銃弾を2発受け重体のアニラを病院に連れて行ったところ家族全員が逮捕されたという話など、同じく現地から入った電話が伝えています。
 詳細はまだわかりません。現地との電話がまるで通じなくなったとのことです。

 この地方のリタンでは2007年8月に、ロンゲ・アドラという52歳のチベット人が地域の競馬大会の折、檀上でダライラマ法王を讃える演説をして逮捕されたことがあります。
 その後、リタンでは愛国教育キャンペーンが強化され、多くのチベット人が逮捕されました。次第に表だって法王を讃える風潮が起こっていたようです。

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 カンゼのトンゴルゴンパと朝書きましたがトンコルゴンパというほうがチベット標準語に近い呼び方でしょう。
 この事件について、今日、街の張り紙の中に新しい情報を見つけました。これはダラムサラにある、カムのその地方出身者によって組織される団体の発表です。ほとんどは直接電話によって集められた情報でしょう。

 トンコルの町はカムのガンゼとダゴとセルタのちょうど中央くらいに位置します。
 3月10日のラサでの暴動の後、町には次第に軍隊の数が増え始め、僧院のすぐそばを射撃訓練所とした。脅すような銃弾の音がしばしば轟き、僧院は緊張した。
 中国政府は「町のすべてのチベット人家族は、一家200元ずつ、軍隊駐留の燃料費を支払うこと、従わないものは厳罰に処す」との命令を出した。
 4月2日、僧院に愛国教育チームが来て、僧院長のロプサン・ジャミヤンに対し「ダライラマを批判し、分裂主義的活動を誹謗する」という書面にサインするよう要求した。僧院長はその時「私にできるかもしれないことは、このままだと起こるかもしれない、僧侶や市民のデモを止めるということだ。しかしダライラマ法王を批判するなど、死んでもできない」と答えた。するとチームはそこに来た本当の動機を明かした。「みんなにもっと暴れてもらいたくて来たのさ。そうすりゃまその場で数人は射殺されるだろう。他の皆はそれで怯えてこちらの思うままになるというわけだよ」と言ってその日はそのまま帰った。
 その日までに既に町には80台の軍用トラックが集結し、約4000人の軍隊が配置されていた。翌3日早朝には軍隊の小グループが僧院に押し入り、法王の写真を探して僧院内を荒らし廻った。その間、僧侶たちは抵抗し、ダライラマ法王を讃えて叫んだ。多くの僧侶が激しい暴行を受けた。74歳のツルティム・テンジン師及び27歳のツルティム・プンツォクが逮捕され連行された。
 午後の祈祷時、僧院事務長のロプサン・ジャミヤンが事の次第を説明した後、この「法王を非難せよ」という書面にサインすべきかどうか皆に問うた。イシェ・二マという僧が立ち上がり、「俺は死んでもサインなどしない!」と叫んだ。他のすべての僧もこのとき立ち上がり、全員決してサインしないと誓い合った。
 祈祷会の後、僧院から政府の建物に向かって、連れ去られた2人を取り戻すための行進が始まった。それに次々と民衆が加わり、子供や老人を含め700人ほどになったという。僧侶と民衆は「ダライラマ法王が早くチベットに戻れれますように!」「チベットはチベット人のものだ!」と叫びながら行進した。政府の建物に到着した時、一人の役人が現れ「1時間ほどしたら(2人を)解放する」と空約束をした。
 しかし、夕方になっても約束は果たされなかった。それを知って再び僧侶、民衆が集まりデモを始めた。今度はその人たちに向かってマシンガンが数回に分けて発砲された。約70人が撃たれ、そのうち名前が確認されただけで8人が死んだ。(名簿省略)
 遺体はすぐに軍隊が運び去り、家族には手渡されてはいない。その他にも行方不明者が多数いるとのこと。また、中国側はこの事件について外国に報告した者を密告した人には2万元~8万元の報奨金を出すと電話番号付きで広報しているという。

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もう一方のタウの事件については

http://www.rfa.org/english/news/breaking_news/2008/04/05/tibet_clash/
に最新情報が載っています。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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