チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年4月16日

14日付共闘委員会プレスリリース

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TIBETAN SOLIDARITY COMMITTEE

14日付のプレスリリースより
http://www.stoptibetcrisis.net/pr150408.html

<チベットの学校が閉鎖された>

4月8日アムド、キルティ僧院付属タクツァンラモ学校が中国
政府により閉鎖された。
この学校はチベット語教育を中心とし、18歳以下の僧侶及び
遊牧民、農民の子弟に社会、文化一般を教えていた。
学校は1986年に開校され、約500人の生徒が在籍。他に
教育を得る機会のない子供たちにとっては非常に大事な学校だ
った。
中国側は学校閉鎖の理由は数人の生徒が先月のデモに加わった
からだという。しかし理由はそれだけでなく、中国政府のチベ
ット語とチベット文化の存続を阻害しようとの意図が働いてい
るのは明白だ。

中国政府は不法拘束、逮捕を続けており、ある一つの刑務所だ
けでも約800人のチベット人が詰め込まれているという。
ガンジュ地区の刑務所の様子を逮捕されていた数人のチベット
人たちはつぎのように伝えている
「4日に一度だけ、コップに一杯のタン茶(チベッタンブラッ
クティー)と一個のティンモ(蒸しパン)が貰えただけだ。ひ
どい拷問で手足、胸郭の骨が骨折したりしている者も少なくな
い、中には目玉が飛び出してしまった者もいた」と。

中国政府は「チベット人は中国の敵」と規定し、チベット人と
漢人の共存の不可能性を強調している。
以下のごとき、今チベットで広く宣伝されている中国のスロー
ガンにその分離政策の証拠を見ることができる。
<お前たちが生きて、我らが死ぬか!我らが生きてお前たちが
死ぬか!>
とか<我らと我らの敵>とかにだ。

チベット人はこの動乱以後、あらゆる職場で抑圧と差別を味わ
っている。中国の軍人、役人たちはその多くがチベット人であ
る警官、警備員を信用できず、中国人軍隊がその代りに使われ
るべきだと感じ始めている。実際すでにこの事情により多くの
チベット人が職を失ったという。

これは今に始まったことではないが、チベット人と中国人の間
に騒動が起こると、一般にチベット人側に罪がない場合でもチ
ベット人が有罪とされるケースが後を絶たない。
中国側はダライラマ法王とチベット人を<分離主義者>と言っ
て非難するが、<分離政策>を継続、強化することで、更なる
衝突と緊張を作りだそうとしている中国政府こそ、真の<分離
主義者>と言われるべきではないのか?

以下にはこの前訳した、6カ条の要求が繰り返されています。

________________________________________________________

私の周りにいる最近亡命してきた僧侶以外のチベット人の場合、その多くは読み書き、算数ができない。田舎の場合、小学校4年までしか行かなかった、と言うものが大多数だ。
それを補うために私設の学校が僧院や個人によって運営されているところもチベットには多い。ラサの中でも学校に行けないストリートチルドレンを教育する私設の学校が数か所にある。しかし今後これらの学校も閉鎖される可能性が強いであろう。
内地チベット人一般の教育水準は中国人に比べ非常に低い。

上に報告された、監獄の現状を聞いて「本当かな?大袈裟じゃないかな?」と思う日本人もいるでしょう。でも私は所謂元政治犯から沢山この手の話を聞いてるので、まるで驚くこともなく、確かにそうであろうと信じるのです。
最初の一か月ほどは毎日の拷問と飢じさで耐え難い苦しみを味わうと多くのものが証言している。靴の紐や衣服を齧って凌いだという話もある。

まるで6,70年代そのほとんどが死んだ強制労働キャンプを思いださせる状況だ。
今でも拷問死は沢山ある。

法王は以前より常に何か事件が起きてチベット人と共に中国人にも犠牲者が出た時には、「同様に供養せよ」とおっしゃる。「チベット人を拷問するように命令されているその拷問する人を哀れと思え、いずれその者たちは因果の法則に従い大きな禍と苦しみを味わうことになるのだから」と説く。
「中国人を決して憎んではいけない。彼らも犠牲者なのだ。一握りの中国政府の指導者の間違った考えこそ正されなければならないのだから」
と。

実際チベット人が救われるなら、中国人も救われると信じる。
しかし悪の勢力は非常に強大だ、素手で立ち向かうチベット人の心を理解し応援する人も特に日本では稀だ。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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