death case

チベット独立運動による死亡者リスト

1987年から1998年の間に亡くなったチベット人のリストです。集めた約170件の中から、名前、住所等がはっきりしているものだけを70件選んであります。

19871988198919901991199219931994199519961997199819992000

1987
1
ロプサン・レグデン (21) : メド・タクチュ出身、セラ寺の僧侶。1987年10月1日、43人のセラ寺の僧侶とともに、デモに参加。バルコルの警察署に連行される。警察署のまわりに集まったチベット人たちは、僧侶たちの釈放を求めるデモを行い、独立要求のスローガンを叫び始めた。警察署の中では、僧侶たちがダライラマ法王への祈祷を始め、独立要求のスローガンを叫ぶ。警察は僧侶たちに発砲。ロプサン・レグデンは右頭部を撃たれて即死。家族は遺体を引き取るために600元(約9000円)を払わせられた。

2
カルセル (20) : メド・ロブサン出身、ネチュン寺の僧侶。1987年10月1日、セラ寺の僧侶たちとデモに参加。バルコルで中国人の警察に撃たれて即死。

3
プチュン (20) : シガツェ・ニモ出身、ジョカン寺の僧侶。1987年10月1日、セラ寺の僧侶たちとデモに参加。午後四時、バルコルで中国人の警察に撃たれる。ラサの市民病院に運ばれたが、同日死亡。

4
ゲシェ・ロプサン・ワンチュク (73) : アムド・ショチュン出身、サンドゥ・ダカール寺僧侶、仏教、歴史学者。1959年の「ラサ蜂起」の後、アムド地方の重要な宗教指導者の一人と見なされ、逮捕。1960年1月21日、10年の刑を言い渡される。度重なる「タムジン(糾弾)」により身体は衰弱しきった。10年の刑期を終えた後、さらに10年を「労働キャンプ」で過ごす。1981年12月3日密かに『チベット独立史』と題された本を書き、再び逮捕。3年半の刑期を受ける。この本は後に秘密裏に出版され、チベット人の間に広まった。獄中にても再び『チベットの独立を証する十六の要点』と題する冊子を作り、死刑を宣告される。だが、ダライ・ラマ法王をはじめとする多くの国際機関の介入により、18年の刑とされた。長期間手枷、足枷をはめられていたため、手足が麻痺し、また拷問のため視力も失う。1987年11月7日、ダプチ刑務所にて死亡。

5
ゴンポ・ソナム (61) : シガツェ、ギャンツェ・ラプラン出身、チベット語及び文学者。1959年の「ラサ蜂起」の際、時中国軍と戦う。60年逮捕、2年の懲役。文化大革命中の66年再び逮捕され、16年を刑務所と労働キャンプで過ごす。83年9月30日、三度目の逮捕。ダプチ刑務所に入る。度重なる拷問のため、癲癇発作がひどくなる。85年、病状悪化のため、釈放。87年12月23日死亡。

1988

6
ジャンパ・テンジン (49) : ジョカン寺僧侶。1987年10月1日、セラ寺の僧侶たちがデモを行う。警察署に連行されたセラの僧侶たちを救おうと、市民はその警察所に火を放った。ジャンパ・テンジンは僧侶を逃がすために 燃え盛る焔の中に走り込み、大やけどを負う。その時の写真とエピソードは、その後チベット内外に広く伝えられた。同日に逮捕。しかし翌年の1月22日、故パンチェン・ラマの介入により釈放。2月21日の深夜、数人の警官が彼の家に来て、激しい言い合いがあったと言う。3月の初め、御堂の中で、首に縄を捲いた姿で死亡。死因の真相は未だ不明。

7
シェラップ・テンジン (30) : ラサ出身、トラックの運転手。1988年3月5日、ラサでの大規模な独立要求デモに参加。警官に頭部を撃たれ即死。

8
ゴンポ・ペルジョル (30) : カム出身。1988年3月5日、デモに参加。警官に頭部を撃たれ即死。なおこの日のデモには6千人のチベット人が参加。警官隊の発砲により5人が死亡、300人以上が負傷した。

9
ロプサン・ソナム(29)ラサ・ジョブンカン出身、シンハ印刷所社員。1988年3月5日、デモに参加。警官に背後から撃たれ、胃の右側を貫通。ラサ人民病院に運ばれたが、デモに参加したという理由で手当てを拒否される。4月5日死亡。

10
ラクパ・ドンドゥップ(29) ラサ・ツェモンリン出身。1988年3月5日のデモに参加、グツァ刑務所に拘留される。5月5日、拷問により死亡。

11
ロプサン・ドルマ(26) ネェタン出身、シュンセップ尼寺の尼僧。1988年5月17日、グツァ刑務所に拘留。同年7月17日に釈放。二週間後にインドへ亡命を試みるが、拘留中に受けた拷問による傷のため、途中ヒマラヤ山中で死亡。

12
ガワン・クンガ(27) ペンポ・ルンドゥプ出身、デプン寺の僧侶。1988年12月10日、独立要求デモに参加。警官に撃たれ、即死。

13
イシェ・ルンドゥプ(75) ロカ出身。政治的理由により、1987年11月24日に逮捕される。1988年12月15日、釈放。三日後に、拷問による傷のため死亡。

1989

14
アヌ(32)ラサ出身、大工。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に胸を撃たれる。友人たちが病院に運ぶ途中、死亡。

15
ニマ・ダクパ(26)ラサ出身、商店経営。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれ、死亡。

16
ロプサン・プンツォック(51)ラサ出身、商店経営。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれ、死亡。

17
ペルジョル(20)カム・ツァロン出身、作業員。1989年3月5日、ラサでの独立要求デモに参加。警官隊に撃たれ、死亡。

18
ワンデン(30)トゥルン出身、運転手。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれ、死亡。

19
タシ・プンツォック(37)ラサ出身、運転手。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれ、死亡。

20
アヌ(28)ラサ出身、建設作業員。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれ、死亡。

21
クンチョク・ジャムヤン(21)ラサ出身。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たる。病院に運ばれたが、まもなく死亡。

22
ロプサン・ゲレック(48)カム・カンゼ出身、ラサにて商店経営。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれる。3月24日、死亡。

23
ガワン・ゼゲン(19)トゥルン・デチェン出身、デプン寺の僧侶。1989年9月27日、独立要求デモに参加。逮捕され、グツァ刑務所に拘留。四カ月後釈放されるが、拷問で受けた傷より、数日後死亡。

24
ロプサン・ドルマ(24)チュウシュル・ネタン出身、シュンセップ尼寺の尼僧。1988年5月17日、デモに参加。逮捕され、グツァ刑務所に二カ月拘留。釈放後、拷問の後遺症のため、すぐに入院。回復することなく、1989年に死亡。

25
チュゼ・テンパ・チョペル(66)ノルブリンカの庭師。政治的理由により1987年12月15日に逮捕される。1989年12月、拷問により死亡。
1990

26
ケルサン・ツェリン(29)ペンポ・ルンドップ出身、セラ寺の僧侶。1989年12月10日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれて、負傷する。一カ月後、ラサの人民病院にて死亡。

27
リグジン・チョデン(25)ロカ出身、シュンセップ尼寺の尼僧。1989年5月5日、15人の尼僧とともに独立要求デモに参加、逮捕される。グツァ刑務所に一日拘留された後、チュシュル刑務所に一週間拘留される。釈放後、拷問の後遺症のため、入院。1990年3月8日、死亡。

28
ラクパ・ツェリン(19)ラサ・キレー出身、学生。反政府組織「雪獅子青年組織」のメンバーであるとして、1989年11月4日逮捕される。グツァ刑務所に拘留され、2年の懲役を受ける。ダプチ刑務所にて服役中、拷問のため体を崩すが、三度も診察を拒否される。1990年12月13日、ダプチ刑務所で死亡。

1991

29

ジャンパ・ゲレク(26)メド・ゴンカ出身、ガンデン寺の僧侶。1988年3月5日、独立要求デモに参加、逮捕。拷問のため、頭部損傷、聴力を失う。四カ月後に釈放されるが、拷問の後遺症のために、1991年死亡。

30
パッサン・ツェリン(34)マルカム出身。1991年7月6日、ラサのトムシカン市場でダライ・ラマの誕生日を祝ったため、警官隊に囲まれて殴られる。人民病院に担ぎ込まれたが、まもなく死亡。

31
ツァムラ(32)ラサ・ギャルカラン出身。1989年3月5日、独立要求デモに参加。逮捕され、酷い拷問を受ける。1989年10月10日、鉄の棒で中国人武装警官を殴ったという罪で有罪判決を受ける。拷問で受けた損傷のため入院したが、医学生による実験手術を受ける。1991年8月25日死亡。

32
ラバ・ドンチュウ 1989年逮捕、グツァ刑務所に拘留される。拷問により、脾臓損傷。ラサの人民病院に運ばれるが、1991年11月、死亡。

1992

33
クンサン・チュキ(24)シュンセップ尼寺の尼僧。1989年3月1日、逮捕され、チュシュル刑務所に拘留。1992年10月、釈放されて一カ月後に死亡。

34
リクジン・チュデン(26)ロカ・ゴンカ出身、シュンセップ尼寺の尼僧。1989年3月2日、シュンセップ尼寺の尼僧16人とともに、デモに参加、逮捕される。リンポチェの介入により、一週間後に釈放されるが、拷問による損傷のため入院。退院後も自宅で床に伏せる。1992年10月10日、死亡。

35
ダワ・ドンドップ(32)ギャンツェ出身。1989年3月5日、デモに参加、逮捕される。懲役2年。釈放された後も長く拷問の後遺症に伏せる。1992年11月2日、自宅にて死亡。

36
ニマ(25)ロカ・ゴンカル出身、シュンセップ尼寺の尼僧。1989年3月2日、シュンセップ尼寺の尼僧16人とともに、デモに参加、逮捕される。リンポチェの介入により、一週間後に釈放されるが、拷問による肋骨損傷のためラサの市民病院に入院。精神障害も起していた。死亡日時は不明。

1993

37
ドンドップ・ギャルポ(19)ペンポ・ルンドゥップ出身、ナマル寺の僧侶。1993年6月、政治的理由で拘留された二人の友達を逃がす手助けをする。警官に追われる途中で、キチュ河に投身自殺。

1994

38
プンツォ・ヤンキ(20)タクツェ出身、ミチュンリ尼寺の尼僧。1992年2月3日、デモに参加、逮捕。懲役五年。グツァ拘置所で6ヵ月間に及ぶ尋問を受けた後、ダプチ刑務所で服役。1994年2月11日、刑務所内で14人の尼僧らと共に、チベット愛国歌を歌う。さらに刑期が延ばされる。激しい拷問の末、下服部に激しい痛みを感じ、看守に病院での診察を懇願したが、無視される。痛みで全く眠れまま過ごし、九日後、意識不明に陥る。病院に収容されたものの、6日後に死亡。

39
ラダル(33)カム・リタン出身、リタン寺の僧侶。1994年8月18日、リタン寺の僧侶たちと独立要求デモに参加し、逮捕される。拷問のため、数日後、拘置所の中で死亡。

40
ロプサン・ユンテン(65)ロカ・ゴンカル出身。幼少の頃、デプン寺にて出家。1959年のラサ蜂起の際に逮捕。23年間を刑務所と労働キャンプで過ごす。1987年、ラサで六人の子供たちに文字を教え始める。いずれも、経済的事情等で学校に行けない子供たちであった。1993年には、60人の子供たちを抱える学校になり、ロプサン・ユンテンは「ツァスルおじさん」と呼ばれるようになった。1993年5月17日から23日までラサを訪れた、ヨーロッパからの視察団に連絡を取ろうとして、逮捕される。1994年10月30日、拷問による傷害のため死亡。

1995

41
ゲルツェン・ケルサン(24)ラサ近郊ニャンデン出身、ガル尼寺の尼僧。1993年6月14日、11人の尼僧とともに独立要求のデモに参加し、逮捕。二年の懲役。拷問による内臓損傷のため、起き上がれなくなる。1994年11月、入院。容体は悪化し、下半身不随、言語障害に陥る。1995年2月20日、死亡。

42
シェラップ・ガワン(18)メド・ゴンカール出身、ミチュンリ尼寺の尼僧。1992年2月3日、尼僧4人とセラ僧院の僧侶1人と共に、独立要求デモに参加、逮捕。懲役三年。ティサム刑務所に送られる。1994年8月10日の夜、尼僧たちと一緒にチベット愛国歌を歌う。激しい拷問を受けた挙句、手錠をされたまま独房に3日間入れられた。以後、記憶がちぐはぐになり、言動がおかしくなる。1995年2月2日、刑期を終え、釈放。入院したものの、同年4月17日死亡。拷問が原因で死亡した最年少の政治犯。

43
タシ・ツェリン(59)シガツェ・ヤンモガブリン出身、ドンツェ寺の僧侶。1989年11月28日、独立要求のポスターを貼ったために、逮捕される。懲役七年。ダプチ刑務所で服役。1994年9月、病気のため、釈放。1995年5月17日、死亡。

44
ワンドゥ(26)シガツェ・シェトモン出身、タシルンポ寺の僧侶、11世パンチェン・ラマの霊廟の管理人。1995年、中国人の工作隊が寺に来て、ダライラマ法王が認めた12世パンチェン・ラマを非難するように強制する。1995年6月24日、非難することに耐えられず、自ら死を選ぶ。

45
ダワ・ツェリン(28)ラサ出身。1989年3月5日、ラサでのデモに参加。8日、逮捕。サンイップ刑務所に、1990年5月まで拘留される。拷問による後遺症のため、背中が曲がり、まっすぐ立つことができなくなる。病院に入院。五年後の1995年8月19日、退院することなく死亡。

46
ケルサン・ダワ(29才)ペンボ出身、画家。1993年の4月、或いは5月に、チベット国旗とチベット独立要求のポスターを制作したため、逮捕。サンイップ刑務所に送られる。ある夜、酔った看守が部屋に突然入ってくるなり、寝ていなかったケルサン・ダワを翌朝まで撲打し続けた。この日から彼の心身は異常をきたし、強い頭痛を訴え、「一人にしないでくれ」と泣き叫ぶようになる。95年10月14日、部屋で首を吊って死んでいるのが発見された。

47
ツェニ(23)ラサ出身、「西蔵日報」新聞社に勤務。1990年2月にインドに亡命するも、父の葬式のためラサに帰国する。1994年、税金値上げ反対のデモに参加。デモは数時間後に独立要求デモとなる。逮捕され、グツァ刑務所に拘留。妊娠していたのにも拘らず、拷問される。一時的に釈放されたが、常に監視され、脅され続けられる。精神的に耐えられず、自殺。後には、一才にも満たない子どもが残された。

48
ソナム・タシ(56)ラサ出身、商店経営。1993年5月25日、独立要求デモに参加。5月27日、逮捕。1994年に釈放。1995年に、拷問による傷害が原因で死亡。

1996

49
プルブ・ツェリン(36)ラサ・ダナクショ出身、セラ僧院近郊の経文印刷所工員。1989年3月、独立要求デモに参加。公安派出所で、武装警官隊に鉄パイプでめった打ちされる。頭蓋骨損傷を受け、意識不明になる。手術を受け、4ヵ月間入院。その後自宅に戻ったが、半身不随になり、度々全身痙攣を起しす。回復することなく、1996年2月7日、死亡。

50
サンゲ・テンペル(19)ウマ出身、ダムシュン・カンマル寺の僧侶。1995年4月、政治的理由で逮捕。グツァ刑務所に4カ月拘留された後、ダプチ刑務所にて服役。1996年5月、ダプチ刑務所にて死亡。

51
プルブ チャムド・ダヤップ出身、ダヤップ・マゴン寺の僧侶。1996年5月、寺に工作隊が来て、ダライラマ法王の写真を没収し、僧侶たちに思想再教育を強制的に受けさせた。プルブは法王の写真を工作隊に渡すのを拒み、公安に連行される。五日間、拘留され、激しい拷問を受ける。翌日、橋から投身自殺をする。数時間後、川に死体が見つかった。

52
ルンドップ・テンダル(66)ナムリン出身、ガンデン・チョコル寺の僧侶。1996年6月、寺に来た工作隊の尋問に耐えられず、ナムリン川に投身自殺を計る。

53
ケルサン・トゥトップ(49)トゥルン・サンダ出身、デブン寺の僧侶。デブン寺で結成された「フリーダム運動」のメンバー。「世界人権宣言」のチベット語翻訳、「チベット民主憲章」と題される秘密文書の作成、印刷をする。1989年5月、メンバー4人が捕まった後、ケルサンは、警察から逃れるためにインドへ亡命を試みる。だが、国境の町ダムで、ケルサンと仲間が乗っていたトラックが事故で横転。怪我をした仲間を病院に運ぶ。病院で二人とも逮捕される。懲役18年。ダプチ刑務所で服役中の1996年7月4日、尋問室に連れて行かれる。2時間後、帰された時には、うめくばかりで、一言も口がきけない状態だった。その夜、病院に収容されたが、翌朝4時に死亡。鳥葬に立ち合った者たちは、睾丸が一つ無残に潰されていたことを確認した。

54
ドルジェ・カンチリ(66)アムド・ツェゴタン出身。公安が家に押しかけ、ダライラマ法王の写真を見つけると、罰金として8,000元($750)を要求した。ドルジェが反抗すると、公安は彼に殴る蹴るの暴行を加えた。入院したものの、二十日後に死亡。

55
プルブ(34)ラサ・ガリンシャ出身。1989年3月、独立要求のデモに参加。人民病院へデモ行進中に、警官に撃たれる。入院し、手術を受ける。足を切断。退院したものの床から起き上がることはできなかった。1996年9月3日、死亡。

56
ジャンペル・ティンレー(25)チャムド・ツァワベンダ出身、チャムド寺の僧侶。1996年3月30日、公安が寺に来て、ダライラマ法王の写真が隠されていないか、全ての僧房を捜査した。公安はジャンペルの部屋で独立要求のビラを発見。ジャンぺルと二人の僧侶が逮捕され、チャムド警察署に連行された。厳しい尋問と拷問を受ける。1996年9月13日、治療を理由に釈放。五日後、死亡。

57
ワンドゥ(24)シガツェ・トンモン出身、タシルンポ寺の僧侶。寺に来た工作隊に、ダライラマ法王と寺の座主チャデル・リンポチェの批判を強制される。チャデル・リンポチェは、ダライラマ法王と連絡を取って、パンチェン・ラマ12世を指名したことで、逮捕されていた。ワンドゥは工作隊に反抗し、批判するのを拒んだ。しばらくした後、自殺しているのが発見された。
1997

58
リクジン(61)ガリ・ラプラン出身。自宅の仏壇にダライ・ラマ法王の写真を飾っていたとして、1996年8月、或いは9月に逮捕される。懲役3年。ガリ刑務所にて服役中に、拷問のため、立ち上がれなくなり刑務所内の病院に収容される。一ヵ月後、様態が悪化し、釈放される。1997年2月11日、自宅にて死亡。

59
ジャンペル・リンレー(28)チャムド寺の僧侶。1997年春、僧院に独立要求のビラを貼ったため、逮捕。拷問のため、昏睡状態に陥る。病院に運ばれたが、四時間後に死亡。

60
テンチョク・テンペル(27)サキャ・シャパ出身、サキャ・トゥペ寺の僧侶。1996年末、寺に来た工作隊は、僧侶たちにダライラマ法王を非難する文書の提出を強制する。1997年9月1日、テンチョクは法王を賛嘆する文書を提出、逮捕される。サキャ刑務所に拘留され、拷問を受ける。15日後、独房で首を吊って自殺。

61
ジャンパ・チョデン(21)チャムド・タワテン出身、僧侶。1997年夏、政治的理由で、拘留される。釈放されたが、再逮捕されると知り、自殺を計る。

62
パッサン・ダワ(21)タクツェ出身、デチェン・サンナック寺の僧侶。1994年12月8日、ラサにて独立要求デモを一人で行い、逮捕される。懲役五年。ダプチ刑務所にて服役中、度重なる拷問のため、内臓障害で苦しむ。病院で治療を許可されたが、毎夜、刑務所に戻らねばならなかった。容体は悪化し、1997年12月17日、死亡。

1998

63
トゥプテン・ゴドゥップ (60) チベットのシガツェで生まれる。タシルンポ寺にて出家。1959年にダライ・ラマ法王を追ってインドに亡命するまで僧侶であった。インドでは、他の多くのチベット人がそうだったように、道路工事の人夫をして数年過ごす。当時、道路脇の粗末なテントで寝起きするような劣悪な待遇のため、栄養失調や結核で亡くなるチベット人は絶えなかった。1964年、インドの軍隊に入る。23年務めた後、1987年からはダラムサラのツェチョリン寺にて料理人をしていた。1998年4月27日午前七時、焼身自殺を計る。あらかじめ用意していた灯油をトイレの中で被り、ハンスト用テントの前でライターに火を付けた。直前まで、皆とごく普通に会話をしていたという。興奮した様子は全く無く、いつものように冷静だった。4月29日午前12時15分、死亡。
 敬虔な仏教徒で日々祈りを欠かさず、いつも朗らかな優しい人だったと生前の彼を知る人たちは言う。ツェチョリン寺にあった彼の小さな家は、身寄りが誰もいないため、寺に寄贈された。家のまわりには、手入れのよく行き届いた花が今日もたくさん咲いている。

64
ガワン・デキ(25)ダムシュン出身、ポト尼寺の尼僧。1995年、独立要求デモに参加、逮捕される。懲役6年。ダプチ刑務所で服役中、1998年1月5日、拷問による損傷のため、病院に入院。1998年1月21日、死亡。家族は、死亡するまで、状況を知らされなかった。

65
イシェ・サムテン(22)タクツェ・デチェン出身、ガンデン僧院僧侶。1996年5月6日、ダライラマ法王の写真の撤去を命じた工作隊に、僧侶たちは強く抵抗し、90人の僧侶が逮捕される。イシェ・サムテンは懲役2年を受ける。トゥルン・ティサム刑務所に入れられる。2年の刑期を終了し、1998年5月6日、釈放。だが、度重なる拷問と刑務所での劣悪な待遇により、重体だったため、即入院する。釈放後6日目、1998年5月12日、死亡。

66
チュキ・ワンモ(21)ペンポ・ルンドップ出身、シャルブンバ尼寺の尼僧。1994年6月、四人の尼僧とともに独立要求デモに参加。懲役5年。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。

67
ガワン・チュキ(26)ペンポ・ルンドップ出身、シャルブンバ尼寺の尼僧。1994年6月、四人の尼僧とともに独立要求デモに参加。懲役5年。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられ、遺体を引き取ることはできなかった。

67
タシ・ラモ 尼僧。1992年、独立要求デモに参加、逮捕される。懲役6年。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問のため、危篤に陥る。1998年6月7日、病院にて死亡。刑期が終わろうとしていた矢先のことであった。

68
ケドゥン・ユンテン 尼僧。ニェモ出身。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられる。

69
デキ・ヤンゾム 尼僧。ニェモ出身。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられる。

70
ロプサン・ワンモ 尼僧。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられる。

71
ガワン・テンキョン (28) ガンデン寺の僧侶。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。5月5日、拷問により死亡。

72
ケドップ(26)ガンデン寺の僧侶。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したという文書に無理やり署名させられた。遺体は引き渡してもらえなかった。

73
ロプサン・チョペル (22) カンマル寺の僧侶。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。一週間後に自殺したと伝えられる。

74
ガワン・テンジン ナランダ寺の僧侶。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。6月7日、拷問により死亡。
1999
75
ソナム・ワンドゥ(44)ラサ出身。大工。1988年3月5日のラサで起きた大規模なデモに参加し逮捕される。度重なる拷問により、下半身不随となり、1993年、病気を理由に釈放され、自宅軟禁となった。逮捕後、二人の幼い息子はインドへと亡命し、難民学校に通っていたため、管を通して排泄される尿便の処理は、叔母が面倒をみていた。持っていた財産の全てを没収されて失ったため、ソナム・ワンドゥは車椅子に乗ったまま、古くなった机やテーブルの色を塗り替える仕事をして、なんとか生計を立てていた。だが、病状は悪化する一方で、常に激しい頭痛に悩まされ、次第に話すことも、聞くことも難しくなっていった。1999年3月、死亡。

76
プンツォ (60) ラサ出身、元タールン寺の僧侶。インドにあるチベット亡命政府へチベットの人権侵害を記した手紙を送ったことで、1995年に逮捕される。2年の懲役を受けるが、拷問による障害のため、治療を理由に釈放される。回復することなく、1999年9月2日、死亡。
2000

77
ソナム・リンチェン(27)メドクンガ出身。1987年のデプン寺僧侶たちによる初めてのデモに感化され、メドクンガの村に独立要求のポスターを貼り、ビラをまく。1990年、メドクンガでの政治集会にて、村近郊で行われている採掘事業の取りやめを要求。1992年6月12日、政治集会で四人の仲間とともに「チベット独立」「ダライラマ法王万歳」などのスローガンを叫び、逮捕される。懲役15年。ラサのダプチ刑務所で服役中の2000年1月、拷問により死亡。

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