チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2015年9月27日
TYC(チベット青年会議)無期限ハンスト18日目
中国政府がラサでチベット自治区成立50周年式典を行った2日後の9月10日、チベット難民社会最大の独立派組織であるTYC(チベット青年会議)はインドの首都デリーで自らの執行部員3人による無期限ハンストに入った。TYCはチベット問題解決を訴えるために、これまでにもデリー、ジュネーブ、ニューヨークで何度も無期限ハンストを行っている。
今回無期限ハンストを行っているのは会の副議長であるタムディン・リチュ、会計長のテンジン・ワンチュク、情報外務長のツェワン・ドルマの3人である。彼らは水以外の飲食を取らず、無期限(死をかけた)ハンストに入っている。今日(9月27日)で18日目である。RFAによれば、3人とも体重減少が顕著だが、特に容態の変化ということもなく、普通に来客に対応しているという。
この無期限ハンストの目的は一般的にはチベット内地の状況に世界の目を向けさせことと、内地の同胞たちへの連帯を示すためであるが、今回、特に彼らは国連に対し以下の5項目の要請を行っている。
1、国連総会及び人権委員会においてチベット問題について論議すること。
2、中国に対しチベットの焼身抗議者の訴えに耳を傾けるよう求めること。
3、中国に対しパンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チュキ・ニマ生存の証拠を求めること。
4、チベットの危機的状況を調査するために国連の調査官を派遣すること。
5、中国に対し全ての政治犯を解放するよう求めること。
「チベットの内外で149人ものチベット人が焼身抗議を行ったにもかかわらず、中国政府は彼らの望みを無視し続け、さらなる暴力的言語弾圧を行っている」とTYCはいい、「この死のハンストは、国連や世界のリーダーたちがチベット問題に関心を示さないことに対する絶望感を表明する行動である」と続ける。
TYCは1980年代からこの「死のハンスト」を始めている。そのころTYCの議長を務めていたラッサン・ツェリン氏は私にかつて悔しそうな顔をして以下のような話をしていた。「ハンストをして人が死ななきゃいけないのだ。人が死ななきゃニュースにならないのだ。チベットのために死ぬ覚悟のあるやつはたくさんいる。だのに、誰かが死にそうになると、いつもダライ・ラマ法王がこれを中止させるのだ」と。
トゥプテン・ンゴドゥップ。
この「死のハンスト」でどうしても思い出すのは、1998年4月27日にトゥプテン・ンゴドゥップという60歳になるチベット人が焼身を行い、死亡したということである。この焼身がチベット人による最初の焼身抗議であった。この時、酷暑のデリーで、8人のチベット人がほぼ50日間、水のみで生きるという奇跡的ハンストを行っていた。数人が死の兆候を示し始めたことと、そのころ中国の誰だったか偉いさんがデリーに来ると言うので、インド警察は彼らを強制的に病院に運び込もうとした。機動隊が強制排除を始めたその時、次のハンストのメンバーとして現場に待機していた、トゥプテン・ンゴドゥップ氏は自らの体にガソリンをかけ、火を付けたのだ。その時の映像は世界中に流された。彼は大きな炎に包まれながらも、合唱し、走りながら、法王への帰依とチベット独立への思いを倒れるまで叫び続けたのだった。
今回はTYC執行部のメンバーが自ら行っているが、このようなことは始めてと思われる。この中、唯一の女性であるツェワン・ドルマを私は10年以上前から知っている。彼女はカトマンドゥにあるジャワラケル難民キャンプの出身であり、長くTYCのカトマンドゥ支部で働いていた。カトマンドゥに行った時よくあっていた。華奢な体であるが、本当に芯の強い、まっすぐな性格の女性である。カトマンドゥでチベット人たちがデモを行う時には常に先頭を行き、何度も拘束されていた。もともと痩せているので長く持たないのではないかと心配する。
場所はニューデリーの中心であるコンノート広場のそばにあるジャンタール・マンタール(ムガール時代の天体観測所)というところである。デリーに行かれる人は、彼らを訪問し労い、励してあげてほしい。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)