チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2015年3月22日
15年の刑期を終え僧侶開放 仲間2人は解放後死亡
21日付けTibet Timesチベット語版によれば、3月20日、チベット自治区ナクチュ地区ソク県にあるツェンデン僧院の僧ンガワン・ギュルメが15年の刑を終え開放された。
僧ンガワンはソク県ドクタ郷の出身。20歳ごろツェンデン僧院の僧侶となる。本堂新築の際には現場責任者となり自ら石を運び、木を切ったという。日頃よりチベット問題に関心が高く、政治的ビラをまいたとして15年の刑を受けていた。
開放された僧ンガワンは衰弱しており、家族は「刑務所で受けた拷問により他の仲間のように長く生きないのではないか」と心配しているという。以前に、彼と一緒に逮捕された僧テンジン・チュワンは開放された後3年間寝込み、死亡している。僧イシェ・テンジンも衰弱した状態で開放され、2ヶ月後に死亡した。
僧ンガワン・ギュルメは2000年3月17日、ツェンデン僧院の他の僧侶3人(シー・ケドゥプ、イシェ・テンジン、テンジン・チュワン)、俗人2人(ダクル・イシェ、ツェリン・ラゴン)と共に逮捕された。彼らは2000年3月中に「ダライ・ラマ法王に長寿を。チベットは独立国だ。中国人はチベットから出て行け」等と書かれたビラを多量に印刷し、街中に張り出したり、配布したとされ、「国家の安全を脅かし、誤った情報を流し、民衆を扇動した」罪で罰せられていた。
2000年終わり頃、ナクチュ中級人民法院により、僧ンガワン・ギュルメに刑期15年、僧シー・ケドゥプに無期、ツェリン・ラゴンに刑期15年、僧イシェ・テンジンに刑期10年、ダクル・イシェに刑期7年が言い渡された。
僧ンガワン・ギュルメは最初の4年間を拷問で有名なラサのダプシ刑務所で過ごした。その後チュシュル刑務所に移された。収監中に彼は胸を病んだが誤った診断により誤った薬を飲まされ、一時期生死の狭間を彷徨うことになったという。その後家族が刑務所側に懇願して、大きな病院に連れて行くことが許され、その後病状は良くなっているが、衰弱していることにはかわりないという。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)