チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2015年2月13日

ウーセル・ブログ「でも、あなたたちの肉と骨はどうするのか?」

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久しぶりに@yuntaitaiさんがウーセルさんのブログを翻訳して下さった。

以下、昨年1月18日、「パンチェン・ラマ10世円寂25周年記念日」にウーセルさんがパンチェン・ラマを思い出しながら書かれたものである。ウーセルさんは高校生の時、実際にパンチェン・ラマに会っている。そのときには、チベット語も話せない自分たちを批判し、チベット人としてのアイデンティティーの重要さを説くパンチェン・ラマに対し反感を感じたという。その後、チベット人としてのアイデンティティーを持つことの大事さに目覚めた彼女は、そのときの自分の反応を恥ずかしいと感じるようになったという。

原文:唯色:“但是你们的肉和骨头怎么办呢?” 

_004高校生だった私が参加した西南民族学院でのパンチェン・ラマ10世の講演(ドキュメンタリー映像「パンチェン・ラマ10世」より)

◎でも、あなたたちの肉と骨はどうするのか?

ちょうど働き盛りで突然亡くなったパンチェン・ラマ10世のことを考えるたび、私は初めて彼を見た時の情景を思い出す。私は当時まだ十七、八歳だったが、記憶は強烈だったといっていい。西南民族学院(現西南民族大学)の予科で高校2、3年だった1983年か1984年のある日のことだった。小さいころから赤い後継者になるよう教育されてきた私にとって、実はパンチェン・ラマ10世の印象はそれ以前にはほとんどなく、彼が「班禅(パンチェン)大師」と呼ばれる「チベット第2の大活仏」だと知っているだけだった。

班禅大師が来校するというので、早朝から私やクラスメートのほか、年長の大学生たちも校門での出迎えに駆り出された。冬だったはずだ。私たちは2列縦隊に並んでずっと待ち、寒くて仕方がなく、内心は不満だった。当時私たちは誰もチベットの民族衣装を着ていなかった。民族学院には相当数のチベット族学生がいたが、民族衣装を着た学生がいたのかどうかは覚えていない。近くにいたモンゴル族の男子2人が青いシルクの長袍を着ていて、とても目立っていたことだけは覚えている。

ようやく班禅大師がやって来た。姿を見るのは初めてだった。大柄でたくましく、顔色がつやつやしていたが、着ていたのは袈裟ではなく、濃い色の民族衣装だった。チベット族の生徒や学生は拍手したのか、「ようこそいらっしゃいました」と大きな声を出したのか、私は覚えていない。ただ覚えているのは、あのモンゴル族の2人がすぐにひざまずき、青いカタを頭上に掲げ、モンゴルの歌のようなものを歌い始めたことだ。とてもゆったりしたメロディーだった。さらに班禅大師が通り過ぎる時、2人は立ち上がって再び伏せ、五体投地した。なんて迷信深いのだろうと私は思った。

_006(写真)チベットエリアでチベット語教育について調べるパンチェン・ラマ10世。

その後、大学のホールに移動した。私たちは四川省のカンゼ州とンガバ州から来たチベット族の高校生だったので、前の方に座らされた。このため、班禅大師の話をはっきり聞く機会を持つことができた。ホールに集まっていたのはチベット族の生徒・学生と教師ばかりだったようで、本来なら班禅大師はチベット語を話すはずだった。しかし、チベット語を聞き取れるかどうかと班禅大師が問うと、舞台の下はしんと静まり返ってしまった。このため、班禅大師は中国語で話し始めた。非常に流暢な標準語だったので、私たちは全て聞き取れた。それは私たちへの批判、とても厳しい批判で、2、3時間続いた。私の隣のクラスメートは「うわ、ひどい言われようだなあ」とつぶやいた。

班禅大師は本当に机をたたきながら私たちを批判した。「君たちはチベット人なのにチベット語を話せないし、民族衣装も着ない。面倒くさいといって民族衣装を嫌がるが、何が面倒なんだ?」。そう話しながら手を上げ、腕を打ち振ると、長々としたシルクの袖が滑り落ちた。袖をまくり上げながら「こうすれば勉強や仕事にとても都合がいいだろう。君たちは民族衣装を恥ずかしいと思っているのか?自分たちの伝統と文化を捨て去ったら、君たちはもうチベット人ではなくなってしまうぞ」などと語った。私はまた不満を覚えた。当時、私は批判されて恥ずかしいとは全く思わず、ただひどくしかられて不愉快なだけだった。だからこの話を覚えていた。

_007(写真)チベット語教育に資金援助するパンチェン・ラマ10世。

後になって聞いた話では、班禅大師はもともと西南民族学院に寄付金を贈呈するつもりだったし、学校側もその資金援助をとても必要としていたという。文化大革命の終結後、長期間拘束されていた班禅大師は公的な活動を再開し、チベットエリアへ行くたびに数千数万のチベット人が押し合いへし合いしながら拝みに来て、無数のお供え物を贈っていた。お布施は麻袋に入れられたという。班禅大師はいつもお布施を元手に学校設立を援助したり、民族教育を進めたりしていた。このことはチベットエリアで広く知られていたため、西南民族学院も恩恵にあずかろうと考えたが、まさか班禅大師がチベット族学生に大きく失望するとは考えてもみなかった。班禅大師は1元たりとも寄付せずに立ち去ったという。

この出来事を何年もたってから思い出し、私はようやく恥ずかしいと感じた。後になって分かった恥ずかしさだった。何年か後、チベット人ネットユーザーの間で伝えられているパンチェン・ラマの二つの語録を読んだ。

「私が中国語を話せるのは私の能力と知識の表れだ。もし話せなかったとしても、それは私の恥にはならない。しかし私がチベット語を話せず、読み書きもできなかったら、それこそ一生の恥になる。なぜなら私は一人のチベット人だからだ」「もしあなたたちがチベットの民族衣装を恥ずかしいと感じるなら、着なくても構わない。もしチベット語を話すのが恥ずかしいなら、話さなくてもいい。でも、あなたたちの肉と骨はどうするのか?チベット人の家庭に生まれた事実は変えようがない。祖先はチベット人だ。でも言動を見る限り、あなたたちは民族を同化させられようとしている」

私は思わずため息をつかずにはいられなかった。班禅大師が私たちに向け、立派なチベット人になるよう長々とした袖を振った情景が再び目の前に現れたかのようだった。

2014年1月28日(パンチェン・ラマ10世円寂25周年記念日)
(RFAチベット語)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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