チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年11月6日
焼身者を車に乗せるのを手伝い殺人罪
写真左:グチュスンの記者会見、左から会長のパサン・ツェリン、副会長のラギェリ・ナムギェル・ドルカル(彼女はソンツェンガンポ王の末裔)、副書記のメウ・コンガム。
去年の12月3日。現地時間午後5時頃、ンガバ州ンガバ県メウルマ郷中心街の路上でマチュ県出身の遊牧民クンチョク・ツェテン、30歳、2児の父が焼身抗議をおこなった。目撃者の話しによれば、彼は炎に包まれながら、「『ダライ・ラマ法王に長寿を!ダライ・ラマ法王をチベットに!内外のチベット人が再び結ばれますように!』と叫びながら行き来し、倒れた。倒れ、なお炎に包まれながら、両手を合わせ、なにかしゃべっているようだったが、内容は分からなかった」という。
彼が倒れたころには大勢のチベット人が周りに集まっていた。彼らは車を手配し、すでに息の途絶えた彼を車に乗せようとした。しかしその時、警官隊が駆けつけ、黒こげになった彼をチベット人の手から奪い取り運び去った。その際、警官隊とチベット人の間に小競り合いが起こり、数人が拘束された。その後、クンチョク・ツェテンの家族や親戚を含め20人が拘束された。
ダラムサラベースの元政治犯グループ・グチュスンの会は昨日ルンタハウス内で記者会見を開き、拘束されていた20人の内10人は尋問拷問を受けた後解放されたこと、内3人に11月3日、ンガバ県人民法院が3年と2年の懲役刑、3年の政治的権利剥奪を言い渡したこと、残る7人は依然拘束されていることを発表した。
11月3日の判決に関する公告の写真が伝わっている(写真左)。それによれば、ンガバ県メウルマ郷第3村ゲリク家のドルマ・ツォ(28)に3年の懲役刑、メウルマ郷第2村ゴツェ家のコンメに3年の懲役刑、メウルマ郷第4村マルリ家のゲペルに2年の懲役刑が言い渡された。罪状は「故意殺人罪」となっている。
グチュスン執行部のメンバーであるメウ・クンガムは刑を受けたドルマ・ツォの実兄である。彼は記者会見で妹が拘束されていた11ヶ月間に如何に激しい拷問を受けたか、裁判で彼女が何を訴えたか、家族が中国支配下で3代に渡り如何に苦しめられて来たかを語った。
「妹は遺体を車に乗せる助けをした容疑で拘束された後11ヶ月拘束されていた。その間、殺人罪を認めることと仲間の名前を吐くことを強要され、長期間激しい拷問を受け続けた」とメウ・クンガムは話す。
今月3日にンガバで開かれた裁判は午前9時半に始まり、その日の内に判決が言い渡された。裁判にはドルマ・ツォの父と夫の傍聴が許可されたが、弁護士はいなかった。「裁判中にも裁判官はドルマに対し、『罪を認めるように、そうすれば刑は減じられるし、その後の扱いも違うことになる』と話したが、その時ドルマは大きな声で『私が焼身したクンチョク・ツェテンの身体に触った時、彼は既に死んでいた。その後私は車の中に遺体を運び入れるただけであり、殺人など犯した覚えは全くない。また、その時私は1人だった。あなたたちは私を長期間拷問し嘘の罪を作り上げようとしたが、私は挫けなかった』と語った」と兄のメウ・クンガムは伝える。
その後、メウ・クンガムは彼の家族が中国に侵略された後、3代に渡り如何に苦しめられて来たかを語った。「文革中、私の祖父であるゲペリは9年の刑を受け、刑務所内で死亡した。祖母のソナム・キも政治的罪を着せられ、拷問により死亡した。父もこれまで3度拘束され、その度に拷問を受けている。1998年3月12日、地域で愛国再教育が行われていた時、政治的ビラを張り出した疑いにより1ヶ月間拘束された。2008年3月7日、外国に情報を流したとして拘束された。2011年3月19日には焼身したンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・プンツォクに関する情報を外国に漏らした疑いで1年間拘束された。その時には母のドンゴも数日間拘束され拷問を受けた。叔母のメトも拘束され拷問を受けたが、彼女はその後頭が狂ってしまった。これらがチベットの一家族が3代に渡り受けた傷であるが、これにより地域の人々がどれほどの苦しい歴史の下に暮らさねばならなかったかを知ることができる」。
記者会見ではこの焼身に関わったとして拘束され、未だ行方不明のままである7人について、「その内の2人はメウルマ郷第2村ドルツォ家出身ンガバ・キルティ僧院僧侶テンパとメウルマ郷第2村シチュン家出身ンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・ギャンツォであると判明しているが、その他の5人については拘束されていることは確かであるが、氏名は判明していない」と報告された。
中国当局はとにかく焼身を政治的抗議ではなく、ただの自殺や殺人として処理したいのだ。そのために拘束した無実の人々から嘘の告白を拷問により引き出そうとする。ドルマはこの拷問に耐え裁判中にも無実を主張したが、これにより前もって決められていた判決が変わることはなかったということだ。「故意殺人罪」で3年の刑とは不自然だが、目撃者も沢山いるだろうし、遺体を車に乗せただけでさすがに長期刑は難しいと判断したからかも知れない。それにしても酷い話だ。
今日、グチュスンの事務所に行き、情報を伝えたメウ・クンガムを探したが、ちょうど彼がいなかった。事務所にいた副会長のラギェリ・ナムギェル・ドルカルにいくつかの質問をした後、メウ・クンガムは妹の人柄について何か話していなかったか?と聞いてみた。「私と彼の妹のドルマは歳が一緒で、虎年生まれだが、2人とも性格も一緒で虎そのものだよ」と言ってたそうだ。
参照:11月6日付けTibet Timesチベット語版
11月5日付けTibet Express 英語版
11月5日付けRFAチベット語版
同中国語版
11月5日付けphayul
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)