チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2014年8月20日

セルシュの虐殺:拘置所内で4人死亡 1人抗議自殺

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41村長ワンダクの解放を求め、役所の前で声を上げるチベット人たち。この後、彼らに向かい無差別発砲が行われた。

カム、カンゼ州セルシュ県で、今月12日、拘束された村長の解放を求める人々に向かって当局が無差別発砲を行い、10人以上が重傷を負ったというニュースは日本のメディアも既に報じている。例えば毎日新聞さんは19日付けで珍しくRFAを引用し、事件の経緯をまとめた記事を出している。だいたいの経緯はその日本語記事を参照して頂くことにして、ここではその他の情報や新たな情報のみをお伝えする。

8月11日の夜中12時頃、カンゼ州セルシュ県ダンマ郷シュクパ村(དཀར་མཛེས་ཁུལ་སེལ་ཤུལ་རྫོང་འདན་མ་ཤུག་པ་སྡེ་བ།)の村長ワンダク(དབང་གྲགས།45)が、自宅から当局により密かに連行されたことを知った地元のチベット人約100人が、次の日の12日、役場の前で彼の解放を求め声を上げた。この平和的抗議に対し当局は話を聞くどころか無差別発砲等で応じ、10人以上が被弾、重傷を負った。

5e7cd5f3-46e0-4a4c-971b-0729ec0ec666初め、重傷者は近くのジェクンド(ケグド)や成都の病院に運ばれたという情報も流れていたが、その後そのようなことはなく、病院で少しの手当を受けた後、重傷者たちは拘置所に返され、何人かは銃弾を摘出されることも無く、1週間以上治療をまったく受けることができないままという。

事件後、シュクパ村は部隊により包囲されていたが、16日には部隊が村の家々を巡り、12歳以下の子供と老人以外のチベット人全員を連行し、拘置所や病院内で拘束した。連行は暴力的に行われ、拘置所でも暴力を受け、負傷者が大勢出ていると伝えれる。また、全員頭を剃られたという。

17日、このような悲惨な状況にチベット人たちが置かれていることに抗議する目的で、先のデモの最中被弾していたロ・ペルサン(བློ་དཔལ་བཟང་།)が拘置所内で自殺した。同じ日に22歳の若者も被弾後治療を受けることが許されず拘置所内で死亡した、ということがこれまで伝えられていた。

19日付けRFAチベット語版によれば、これまでにこの他3人が被弾による負傷とその後の拘置所内の拷問により死亡したという。何れも村長ワンダクの近親者である。3人の氏名は、村長ワンダクの叔父であるツェワン・ゴンポ(60)、村長ワンダクの弟であるイシェ(42)、ワンダク家の義理の息子であるジンパ・ターチン(18)。彼らの遺体は18日中に家族に引き渡されたという。17日に死亡した氏名不明の22歳の若者はこの3人とは別とすれば、これまでに4人が拘置所内で死亡、1人が自殺したことになる。

また、当局は18日、デンマ郷ロチュク村で村人を集め集会を開いた。その最中役人は「村長ワンダクが逮捕されたのは、噂されているような競馬大会の件ではなく、彼が汚職を行ったからだ」と説明したという。もっとも、この集会に参加する村人は少なかった。これに怒り、19日に再び集会を開くと命令したという。

2317村長ワンダク。

事件の発端は村長ワンダクの逮捕である。彼は普段より勇敢で正義感が強く、また弱者を積極的に助けることで有名であったという。つまり、典型的ないいタイプのカンパ(カムの男)であったらしい。村人たちの権利を恐れず主張する彼は当然以前から当局に睨まれていた。

この夏、村で競馬大会が行われ、競馬大会の前には焼香と祈りの儀式が行われた。これは恒例のことだが、今回は当局は許可を出していなかったという。このことで、村長ワンダクは郷の役人に呼び出され、非難されたが、彼は「競馬大会はチベットの昔からの伝統的行事であり、いちいち当局から許可を得る必要はない」と主張しケンカになったという。

また最近、中央政府の役人がこの地区を訪問するというので、シュクパ村からも歌舞団を送るようにと要請された。この歌舞団が練習中にその中の女性に対し、中国の役人が嫌がらせを行ったという。この報告を受けた村長ワンダクは役場に向かい、役人たちに抗議し、ケンカとなったという。この時、彼は拘束されなかったが、当局はこれにより彼を逮捕することを決めたらしい、と村人は伝える。

その他参照:8月18日付けRFAチベット語版
8月13日付けRFA英語版
8月18日付けRFA英語版
8月13日付けTibet Timesチベット語版
8月18日付けTibet Times チベット語版

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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