チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年7月7日
ダライ・ラマ法王79歳の誕生日 ダラムサラ、レー、本土
昨日はダライ・ラマ法王の79歳の誕生日であった。法王は1935年の7月6日、チベットの北東部、アムド(青海省西寧市湟中県)のタクツェ村で父チュキョン・ツェリン、母デキ・ツェリンの9番目の子供として生まれた。幼名はラモ・ドゥンドゥップであった。
実家は普通の農家だった。ただ、この農家の長男トゥプテン・ジグメ・ノルブ(タクツェル・リンポチェ)はその地方でもったも有名なクンブン僧院のリンポチェの転生者として既に選ばれ、彼が優秀であることは広く知られていた。このことが後にラモ・ドゥンドゥップ少年がダライ・ラマ13世の転生者として選ばれるきっかけの1つになったと思われる。
ともあれ、3歳になったばかりのころにラサから来たダライ・ラマ捜索隊により13世の転生者と認められ、5歳の時、チベットの指導者として正式に就任した。写真は4歳の時という。
この日、世界中で大勢のチベット人とその友人たちが、チベットの命である法王がこの世に現れたことを喜び、末永くこの世に留まられることを祈願した。法王自身は今、北インドのラダックでカーラチャクラ灌頂を受けようと集まった10万人以上を前に説法中であるが、昨日は説法の前に短いお誕生日セレモニーが行われたようである。その際リチャード・ギア氏もスピーチしたという。
ここダラムサラではツクラカン前の広場で朝9時から亡命政府主催の誕生日セレモニーが行われ、その後子供を中心にした歌と踊りの祝賀会が行われた。
以下写真を中心に昨日のダラムサラのセレモニーの様子と、ラダックのセレモニーの様子、内地の様子等をお伝えする。
セレモニーの主賓は左手のカルマパと右手のセンゲ首相に挟まれているインド人だったが、彼はダラムサラが属するヒマチャル・プラデッシュ州の運輸・食料・流通大臣であるSri G S Bal氏という。この式典に州知事からの祝辞を伝えるためにわざわざ出席されたようだ。インドでは最近支配政党が国民会議派からインド人民党(BJP)に変わったばかりである。亡命政府側もインド政府側もお互いにこの機会を利用して信頼関係を確認し合うことは重要なことというわけだ。
大臣はスピーチの中で、「ダライ・ラマ法王がダラムサラから他の地に移住されるのではないか?という噂が巷に流れているが、ヒマチャル・プラデッシュ州は決して法王を他の土地には移住させないと約束しよう」と話し、州の意志は法王がダラムサラに居住され続けることであることを明らかにした。
その他、大臣は「下ダラムサラからマクロードまでの道の整備に3千万ルピー(約5千万円)拠出する」ことを約束し、個人的に「TCVに10万ルピー(約17万円)を寄付した」そうだ。また、運輸大臣らしく細かい話だが、「チャンディガール・ダラムサラ間にボルボバス(豪華バス)が新しく投入された」ことを誇らしく語った。
ロプサン・センゲ首相はこの日のスピーチの中で「内閣が今年2014年を、法王がチベット問題と世界の平和と宗教間の調和と人間性向上に貢献されたことに対する感謝の意を示すために、『偉大なるダライ・ラマ14世の年』と設定し、年間を通じ世界中で様々なイベントを行っていると報告した。
また、「ダライ・ラマ法王の賢明な指導により、中国の支配下にありながらも現在のチベット人は地域や宗派の違いを超え、鉄の玉のように団結している。このような団結力は、近世には見られなかったことであり、それは3人の仏教王(ソンツェンガンポ王を代表とする吐蕃王朝時代、7、8世紀)がチベットを支配した時期に例えられるほどである」と語った。
さらに、センゲ首相はもう1つ「中道路線キャンペーン」というものを行っているといい、中国政府が頑に「ダライ一味は分裂主義者」と主張することに対抗し、世界に対し改めてダライ・ラマ法王と亡命政府が「独立を求めず、真の自治を求めるという中道路線」を標榜していることを知らしめるために様々なイベントを展開中であると報告し、「何れは、中国政府もこの中道の道が相互利益の道であること悟るであろう」と述べた。(声明全文はここ)
セレモニーの後は地元の幼稚園から高校までの生徒によるこの日を喜ぶ歌と踊りが披露された。
ダライ・ラマ法王自身はこの日、ラダックのレーで誕生日を迎えられた。レーにはこれから法王を導師に行われる第33回カーラチャクラ灌頂を受けようと現時点で10万8千人が集まっているという。灌頂が始まる頃にはもっと増えることであろう。
セレモニーの席上法王は最初に「ラダックの人、チベット人、外国からの参加者たちが私の安寧を願い祈りを捧げてくれている。ここにはいないが、特に私と特別の関係を持つ、その多くは私に対する信心や支持を表明できないチベットの人々とあなた方は結びついている。あなた方すべてに幸あらんことを。ロシアでもモンゴルでも台湾でも、そして内地チベットでも祝賀会が行われていると信じる」と語られた。
ハリウッドスターのリチャード・ギアはこのカーラチャクラ法要の常連であるが、今回も4千人の外人を代表しスピーチを行った。彼は法要の間中、壇上一番目立つところに座らされている。「33年前に初めてダラムサラで法王と出会った後、ラダックを訪問し、世界で一番美しい場所と感じた」そうである。また、「法王と同時代に生き、法王のことを知るという機会に恵まれただけでなく、こうして直接に教えを聞くことができることをこの上ない幸運と感じる」と述べた。
ところで、セレモニーの最中、人だけでなくチベットの神々も法王の誕生日を祝すために参加したようである。リチャード・ギアが話をする直前に1人のトランス状態となった地元の女性が法王の前に進みでて足下に頂礼したという。これはチベットの守護神であるパルデン・ラモが彼女に憑依して法王への祝福を表明したものと解釈された。
また、法王が話をされようとしたときには、これもトランス状態になった1人の男性が進みでて同様の仕草を行ったという。これに対し法王は「これはティソンデチェン王に縁のあるニェンチェン・タンラの神が挨拶に来たに違いない」と解釈されたそうである。
この辺の参照:7月7日付けTibet Net
本土チベットの話に移る。RFAによれば、中国政府は法王の誕生日とラダックにおけるカーラチャクラ法要に鑑み、一部地域のネットを遮断し、チベット人が祝賀のために集まることを厳しく監視しているという。ではあるが、それにも関わらず、多くのチベット人がこの日、聖なる丘で焼香を行い、ルンタを投げ上げ、新しいタルチョを付け替え、僧院では特別の法要を行い、放生を行ったり、肉を断つ等様々方法で法王の長寿を祈ったという。
今のところ、事件の報告は入っていない。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)