チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2014年5月31日

「一時は焼身も考えた」 奇跡の逃亡の末亡命を果たした僧ゴロ・ジグメ

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140528073830JG記者会見中のゴロ・ジグメ

僧ゴロ・ジグメは2008年、現在収監中のドゥンドゥップ・ワンチェンが制作したドキュメンタリー『ジクデル(邦題:恐怖を乗り越えて)』の収録を手伝ったとして逮捕された。彼は7ヶ月後に解放されたが、その後2009年、2012年にも拘束されている。

2012年9月30日の夜中、甘粛省サンチュの拘置所で、鉄の足かせを奇跡的に外すことに成功し、逃亡。その後1年8ヶ月に及ぶ山中逃避行の末、5月18日にインドのダラムサラにたどり着くことができた。5月28日、ダラムサラで亡命後初めての記者会見を開き、6年間に渡る苦闘について詳しい報告を行った。特に2008年に拘束された時に受けた激しい拷問について詳しく語った。

逃亡後2ヶ月後、初めて当局が身に覚えのない殺人の罪を着せ、20万元の懸賞金付きで後を追っていることを知ったときには一時「焼身抗議」も考えたが、生き続けることでさらにチベットのために何かできるはずだと思い直したという。

記者会見の冒頭で彼は「多くの命に関わる危機を乗り越え、ここで今、皆様の前にいることを夢のように感じる」と述べた。その後、彼の生い立ち、なぜ中国政府に抗議したのか、彼がチベットのためになしたこと、逮捕、拷問、逃亡そして最後に国際社会に対する要望を語った。

内地チベット人たちは中国政府のチベット人弾圧政策に対し抗議しているのだという。「長年ダライ・ラマ法王のチベット帰還を組織的に阻止しているそのやり方、法王に対する非難の仕方、僧院内における強制的『愛国再教育』、チベット語とチベット人アイデンティティーの破壊、チベット人疎外、チベット人の真の希望と苦しみへの無理解、実際には99%のチベット人が支持しているダライ・ラマ法王の唱える中道政策を支持していないと嘘の宣伝を行う事、中国共産党の大げさな支配宣伝、チベット人の土地を取り上げる事、これらが私が抗議活動を行った理由である。これらの理由は他のチベット人たちの抗議にも共通のもとであると確信する」と述べた。また、『ジクデル』の制作を含め、彼の抗議活動は完全に非暴力に従ったものであるとも述べた。

10363847_465347570235326_7798807449858660780_nダライ・ラマ法王との謁見を果たすゴロ・ジグメ

2008年3月28日に逮捕された後、「5月12日までの51日間、激しい拷問を受けた。その結果、背骨、目、手足を痛め、何本かの肋骨が折れ、膝が脱臼した。今でもその後遺症で背骨、肋骨に強い痛みを覚え、体が冷えたときには膝が思うように動かなくなる」という。

「最初に逮捕された後、手かせ足かせをはめられ10時間続けて天井から吊り下げられた。同じような拷問を7度受けた。それらは長い時には5時間、最短で2時間ほどだった。彼らは自分が『ジクデル』を制作し、チベット青年会議のメンバーであると糾弾し、2008年の蜂起は政治的抗議ではなく暴力的暴動であると認める事、そしてダライ・ラマ法王を非難することを強要した。私は法王への非難を拒否し、その他の糾弾は私には当てはまらないと否定し続けた」という。

この拒絶により、彼は天井から吊り下げられながら電気棒によるショック、撲打を受けるという拷問をはじめ、あらゆる暴力を受けたという。長時間天井から吊り下げられたときには、幻覚状態にも陥ったという。

2009年4月10日、国家機密を外国に漏らしたとして再び拘束され、2012年9月22日には焼身をそそのかしたとして拘束された。

2012年に拘束され、甘粛省サンチュの拘置所に収監されている時、蘭州の軍病院に健康診断のために送られようとした。しかし、これは嘘の口実であり、実際にはそこで自分が殺害されるという情報を得た彼は脱出を決心した。

「自分を殺すという彼らの計画を知った後、私は逃亡を決心した。9月30日の夜、いつも自分を監視している2人の警官の内一人が緊急の用事で外に行った。もう1人も夜中12時頃寝入った。私は密かに準備していた石などを使って何とか足かせを外そうとしたが、うまく行かなかった。最後にダライ・ラマ法王への祈りを捧げ、一気に力を振り絞ると足かせを外すことに成功した。他の監視人たちは麻雀に没頭していた。正面玄関に近づくと幸運にもそれが開いていたのだ。私はそこを走り抜け山に向かった」と話す。

「2ヶ月の間、山を転々として逃げ続けた後、当局が私を殺人者として20万元の懸賞金をかけ追っているということを知った。これにはショックを受けた。彼らは私の収監中一度もそのような糾弾を口にしていなかった。もちろん私はかつて一度も誰かを殺そうなどという考えすら抱いたことがない。この根も葉もない嘘の罪に対し抗議するために、最初甘粛省か四川省の警察署の前で焼身を行おうと思った。しかし、よくよく考えた後、焼身は思いとどまることにした。思うに彼らは私が逃亡に成功したことを恥と考え、そのような虚偽の罪を着せることを考えついたのではないかと思われる。もしも、私が焼身すれば彼らはさらに私を辱めるために虚偽の罪を作り出すであろう。死なずに生き抜けばいつかまたチベットのために働けるかもしれないと思い、考えを変えた」と語る。

彼は1年8ヶ月に及ぶ逃亡生活の間に危険な状況を逃れることに手をかし、最後に亡命を手伝ってくれた多くの同胞に心から感謝すると述べた。

最後に国際社会への要望を語り、まず「世界のいかなる国も中国政府に対し、実際に効果ある圧力をかけることができていない状況を悲しく思う。経済は重要であろうが、真実なしには真の幸福は生まれない。だから国際社会は真実を訴えるチベット人を見捨てないでほしい。チベット人は今危機的状況に追いつめられており、非暴力手段により抗議活動を行っているからだ」と述べた。

また、6月5日に刑期を終え解放される予定である友人のドゥンドゥップ・ワンチェンに関し、「中国当局は何らかの冤罪を新たに作り出し、彼の解放を遅らせる可能性がある。だから国際社会は彼が6月5日にちゃんと解放されるよう中国政府に対し圧力をかけ続けてほしい」と要請した。

参照:5月28日付けTibet Times チベット語版(ゴロ・ジグメの発言原稿全文が記載されている)
5月28日付けTibet Express英語版
5月28日付けRFA英語版
同チベット語版
VOT独占インタビュービデオ

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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