チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2014年2月18日

家族が焼身者のために灯明一つ灯すことも禁止/焼身は無駄な行為なのか?

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2c03dad7-fcee-46e9-a7de-ab1664a08b4fパクモ・サムドゥプが焼身した後レゴン地区を巡回する部隊。

パクモ・サムドゥプの焼身に関わったとして5人拘束 家族が灯明一つ灯すことも禁止

中国当局はいつものように焼身関係者と見なしたチベット人の拘束を始めた。2月17日付けTibet Timesによれば、2月5日にレゴン地区ツェコク県ドカルモ郷でパクモ・サンドゥプが焼身・死亡した後、当局は彼の焼身に関係したとして5人を拘束し、家族や地域の人々が彼の葬儀や法要を行わないよう厳しく監視しているという。

パクモ・サムドゥプの焼身後、当局は彼の弟である僧ギャンツォをはじめパド、サミ、ペマ、ツェテン・ギェルの5人を拘束した。この内ツェテン・ギェルを除く4人は尋問を受けた後、数日して解放されたがツェテン。ギェルは依然拘束中という。

焼身後パクモ・サンドゥプの家は部隊に囲まれ、一部は家の中にまで入り込み、家族がパクモのために灯明一つ捧げることも許さないという。また、家族の下に追悼法要のために一人の僧侶であろうと訪れるなら、その僧侶を逮捕するとともにその僧侶が所属する僧院を閉鎖すると脅し、家族を見舞おうと訪れた地域の人々や他地域の人々を一歩も家に近づけさせないようにしている。地区の通話やネットは依然厳しく監視され、住民の移動も厳しく制限されているという。

数日前にレゴンを訪れようとした日本人旅行者の話しによれば、レゴンに外国人が入ることは禁止されているという。

以下はチベットの焼身に関するコラム。

中国政府は「焼身者」と「焼身関係者」への対応を様々に変化させて来た

当局は当初、とにかく焼身の事実を隠すことに全力を尽くした。情報封鎖を行い、関係者に箝口令を敷いた。しかし、これは完全には不可能であると知った。だから今もこの情報封鎖は行われているものの、今は隠しきれないであろうことを前提にその伝達期間をできるだけ遅らせる努力を行っているのみと言える。

次に、焼身者たちは犯罪者、エロ坊主、精神異常者であるとした。これは焼身を政治的なものと認めないためであると共に、焼身者とその家族を誹謗するためである。焼身者が若い既婚者で子供がいる場合などには、当局は残された配偶者を脅迫又は買収により「焼身は夫婦仲が原因」という証書にサインすることを求めたりした。これは焼身者を単なる自殺者と認識させようという努力である。もっとも、このような話しに乗った配偶者は一人もいない。去年8月にンガバ州ゾゲでクンチョク・ワンモが焼身した時には、最初その夫に「妻の焼身は夫婦喧嘩が原因であると言え」と命令した。これを拒否した夫であるドルマ・キャプはその後妻殺しの罪をきせられ死刑を宣告された

また政府は焼身者をテロリストと呼び、焼身関係者弾圧を強化する口実とした。遺体を僧院や家族の下に運び込んだり、葬儀を行ったり、参加したものを逮捕し、刑を与えた。もはや、焼身の事実を隠すことはせず、自らも彼らを国家分裂を企てた犯罪者として発表した。さらに、中国政府は何本かの焼身に関するプロパガンダビデオを制作、発表した。その中では焼身はダライ一味の陰謀であるとされた。

最近では、さらに焼身関係者への連座制を強化し、焼身が起った場合にはその家族だけに留まらす、僧侶の場合はその僧院に、俗人の場合にはそのコミュニティー全体が制裁を受けるということを制度化している。多くの関係者が逮捕され、刑を受けている。言わばこれは家族やコミュニティー全体を人質にとるというやり方である。連座制自体は中国の憲法に反するものだが、これが平気で実施されるというのが現在の中国である。

焼身抗議は効果が期待できない、無駄な行為なのか?

人は愛するもののために自分を犠牲にしようとする。母が子に対するように。状況しだいでは、子供のために自分の命さえ差し出すこともある。その行為が成功するかどうかなど考えもせず。

焼身抗議など無駄だ、効果は期待できないと否定的なコメントをする人も少なくないが、少なくとも焼身者たちが焼身を決心したとき、彼らにその行為の結果に対する確証があったとは思えない。その行為はなにか緊急な心の要請に従う行為であったのであろう。母が自分の子供が川に流されるのを見てまず大きな叫びを上げ、人に助けを求め、自らも川に飛び込もうとするように。

その行為の善悪について、ダライ・ラマ法王は「その焼身をいう行為が正しかったかどうかはその動機による。利他的動機によりなされたなら善なる行為であり、怒り等の否定的動機によりなされたならば悪なる行為であろう」という。そうして「私にはその人のその時の心を知ることはできないので私からその行為の善悪を判断することはできない」と続けられる。仏教では行為の善悪はその動機によるということは常識である。チベットの人たちもこれをよくわきまえている。

ここでしかし、その行為の善悪を判断するにはまずその対象の善悪が問題になる、世俗では悪者を助けることは悪であるとされるからだ。仏教的には本当は善悪ももちろん「空」であり、実体があるものではないが、世俗においては確かに認められる。人をより幸せにし、その環境をより良くする行為が善とされる。良心に従うとか、人の道に従うとか表現されることもある。チベットを助けることがはたして良い行為かどうかはそれぞれの判断に任せよう。この場合立場上の意見と本心が異なるという人もいるであろう。

次にその効果、結果についてだが、法王等は「その結果は疑わしい」という言い方で間接的に焼身に否定的な見方を示している。これはもちろん現時点で立場上もっとも妥当な言い方と言えよう。本心はいざ知らず、本物の炎の中で自分の名前を叫びながら、自分に助けを求め死んで行く人々をみて深く悲しまれていることだけは間違いないところだ。

結果はどこで区切って話をするかによる。短期的、中期的、長期的な見方からいろいろな意見がでることであろう。行為の結果が熟す期間はその後の環境に依るところ大であり、不定だ。また、その結果への見方によりその原因の解釈も左右される。原因と結果はお互いに依存しあっている。

ただ、私はチベット人の自由を求める要求には正当なもとがあるとみとめ、またチベット文化が慈悲の文化であるということを加えて、この政治的な非暴力に基づいた利他的焼身がいつか必ず他のチベット人のためになると信じたい。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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