チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年2月15日
続報:ンガバで13日焼身 25歳の元僧侶 今年2人目
ダラムサラ・キルティ僧院の内地情報係である僧カニャック・ツェリンが13日の焼身についてリリースを発表した。それによれば、焼身したチベット人の名前はロプサン・ドルジェ(བློ་བཟང་རྡོ་རྗེ། )。年齢25歳。ンガバ県チャルワ郷チュクレ・ゴンマ(上チュクレ རྔ་བ་རྫོང་གཅའ་རུ་བ་ཡུལ་ཚོའི་ཕྱུགས་ལས་གོང་མ།)村の出身。父ツェパック、母ナメ・キの息子。彼を含め兄弟姉妹は5人。両親は数年前に離婚(又は別居)している。
目撃者によれば、彼は炎に包まれながらも何か叫んでいたというが、その内容は聞き取れなかったという。駆けつけた部隊が火を消し、バンの中に押し込み黒い布を掛けた。「彼はそのときまだ死んではおらず、頭をもたげ両手を合わせた。しかしすぐに倒され、車は走り去った」と伝えられる。生死と収容場所は依然不明のままだ。
ロプサン・ドルジェは幼少時ンガバ・キルティ僧院に入り僧侶として数年過ごした。その後還俗し、最近は母親、弟と共にゴロ州ダルラ県で洗車の店を開いていた。彼は数ヶ月前から父親のいるチュクレ・ゴンマ村に帰っていた。ンガバ・キルティ僧院ではこのところロサ(新年。この地方はラサ辺りの暦と異なる)開けのモンラム(祈祷会)が開かれており、13日はその14日目であり恒例のチャム(仮面舞踏)が行われ、大勢のチベット人と警備隊が集まっていた。彼は午前中このチャムを観た後、午後6時半頃焼身抗議を行った。
以下の写真は、同じ暦に従うアムド地方クンブン僧院とレゴンのロンウォ僧院で、モンラム中僧院が厳重な警戒態勢下にあるというものだ。ンガバでも同様にモンラム中はいつもにも増し大勢の武装した部隊がチベット人を取り囲んでいたことであろう。ロプサン・ドルジェはこのチベットの今を象徴的に示す日に、「勇者の道」の上で焼身した。
前回のブログで報告したように、ンガバ県は焼身者の家族に対し厳しい連座制の罰則を与えるとしている。今回、焼身者を出した家族も土地や就労機会を取り上げられることであろう。
参照:2月14日付けTibet Timesチベット語版
2月13日付けRFAチベット語版
2月14日付けRFA英語版
チベット内、主な抵抗運動と焼身抗議発生地図(Tsampa Revolution制作)。
ンガバでの焼身は31人目。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)