チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年12月21日
ディル:指導的僧侶が拷問死
重点的弾圧対象地域となっている自治区ディル県で、今度は地域の尊敬を集める僧侶が、当局の凄惨な暴力による犠牲者となった。
先の13日ブログにおいて、ディル県タルム僧院の僧侶3人がラサで拘束されたという話しを報告したが、その拘束されていた僧侶の内、ガワン・ジャミヤン(別名ガワン・ジャンペル)の遺体が12月17日、突然家族の下に届けられた。
当局は彼がどこでなぜ、どのようにして死亡したのかを一切説明しなかったという。しかし、彼の遺体を見た誰もが「彼は拷問の結果死んだのだ」と確信したという。「ガワン・ジャミヤンは秘密裏に拘束されている間に殴り殺されたに違いない。彼がラサに向かうために僧院を出た時には、彼は全く健康で強かった」と内地の情報提供者はいう。
彼と共にラサで拘束された3人の内もう1人の名はケルサン・チョクランと判明したが、3人目は未だ不明という。
彼らもガワン・ジャミヤンと同じような目に遭っているのではないかと心配されている。
遺体は家族によりラサにあるセラ僧院裏の鳥葬場に運ばれた。またディルの自宅では追悼会が行われた。
警察は家族に対しガワン・ジャンペルの死を口外しないようにと脅した。「警察は、ガワン・ジャミヤンの拘留中の死がチベットの外に伝わった時には、お前たち家族の運命もガワンと同じになると思えと言ったのだ」と地元の人はいう。
今回、警察はガワンが死ぬ前に家族に引き渡すことができなかった。おそらく、ガワンは激しい暴力を受け突然死亡したと思われる。拘留、尋問中に拘束者が死亡すると責任問題となる可能性がある。直接関係した警官は事件をなかったことにするために、家族を脅したのである。
1968年、ディル県ツァチュ郷ユルトト村に生まれたガワン・ジャミヤンは1987年に地元のタルム僧院で僧侶となり、仏教の勉強を始める。1989年、さらに理想的な勉学環境を求めインドに亡命し、南インドにあるセラ僧院ジェ学堂に入学。その後19年間セラで学ぶ。
その間、ディル出身で第一とも思われている亡命中の転生ラマ、シャプドゥン・リンポチェ・テンジン・ケドゥップの従者を勤め、勉学も優秀。ゲシェ・カランパの試験では2年連続で第2位と3位であった。2007年、彼は学んだ仏教を故郷に伝えるためディルに帰った。
翌年2008年には「国家機密漏洩罪」により2年の刑を受けた。刑期を終えた後、チュリン僧院で論理学の教師となった。その後、自分の僧院であるタルム僧院に新しく論理学のクラスを創設し、そこでは僧侶だけでなく俗人でも学べるようにした。各地に呼ばれて、僧侶や俗人に仏教を説くだけでなく、人々に争いを避け、酒、ギャンブルに溺れず、道徳的規範を守り、助け合うべきことを説いていた。
地元の人は「彼は僧院と地元の篤い信頼を得て、僧院と地元のリーダー的存在だった。彼がいなければ僧院はもう立ち直れないかもしれない」という。
現在タルム僧院は閉鎖され、回りは部隊により囲まれている。
参照:12月19日付けTCHRDリリース
12月19日付けTibet Timesチベット語版
12月20日付けTibet Expressチベット語版
12月19日付けphayul
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)