チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年10月23日

ウーセル・ブログ:1950年代にチベットを「訪問」した外国人記者団

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8月14日付けウーセル・ブログ

原文:唯色:1950年代“访问”西藏的外国记者团
翻訳:@yuntaitai さん

◎1950年代にチベットを「訪問」した外国人記者団

ウーセル1中国蔵学出版社が近年出版した2冊の翻訳書。

外国人記者団のチベット取材ツアーを手配するのは中国共産党の伝統だ。これは中国蔵学出版社が近年出版した翻訳書を読んで得た結論だ。

ウーセル1「プラウダ」中国駐在記者のオフチンニコフ。

そのうち1冊のタイトルは「チベットの素顔」という。原書はロシア語で、著書はソ連の「プラウダ」記者だったオフチンニコフだ。1955年にソ連と東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアなどの社会主義国の記者と、中国在住の親中国共産党的な西洋人が、「解放」されたチベットを訪問した。中国首相だった周恩来が招待し、中国外交部新聞司が手配、引率した。この本はまるで中国官製メディアの海外向けニュースのように、外国人の言葉を通じ、チベットを占領して5年になる中国共産党が世界に伝えようとした話を記している。

この外国人記者団はラサで二十歳のダライ・ラマ法王に面会している。この本に記録されている法王の言葉が事実だとすれば、法王のごく短い話は原稿をそのまま読み上げたような決まり文句だと分かる。占領された側のスポークスマンとして、やむを得ず話したのだ。

宗教を憎み、低く評価するのは共産党員の特徴だ。悪名高いソ連共産党機関紙「プラウダ」の記者として、オフチンニコフはそれを全く隠そうとしない。彼はポタラ宮の壁画に描かれたチベット各地の僧院を見た時、「まるで病人の顔のあばただ」と形容した。

ウーセル3文革時代の毛沢東とアンナ・ルイス・ストロング。

もう1冊は「チベット日記」という。原書は英語で、著者は親中国共産党の米国人アンナ・ルイス・ストロングだ。彼女は(1946年に)延安で毛沢東やその軍隊を取材し、毛から好意的に迎えられた。1958年には北京に移住した。

1959年3月、チベット人の抵抗が鎮圧され、政治的、精神的指導者のダライ・ラマは異国への亡命を強いられた。社会主義国の記者や容共的な西洋人でつくる記者団19人はそのわずか数カ月後の同年夏、中国国務院の特別な許可を得て、外交部と人民日報の手配と案内の下、「解放」されたチベットを訪ねた。70歳を過ぎたアンナ・ルイス・ストロングもこの中にいた。本に描かれているように、ラサまで「特等」の専用機に乗り、ノルブリンカでは道の両側に配置されたチベット人数百人の歓迎を受けるなど、記者団は終始さまざまな特権を享受した。

そのため、同書は本物の報道のクオリティーを全く備えていない。客観性が欠けているだけではなく、事実ですらなく、中国共産党宣伝部による「チベットの声」が語句や行間にあふれている。更にでたらめなのは、3月に中国共産党の軍隊の砲撃がチベット人を鎮圧した時のことだ。この老婦人は「反乱分子の砲兵隊が総攻撃を始め、ポタラ宮やノルブリンカ、要害の高地である薬王山から砲撃が天を突いた」と書き、解放軍の砲撃によるメンツィーカン破壊を「反乱分子」の行為だったとまで書く。そして、中国共産党の特色ある「批判大会」(「解放農奴」による貴族弾劾集会)をとても素晴らしいと感じる。党幹部が始めたこうした「批判大会」は暴力に満ちていた。党に「階級の敵」とみなされた無数の命を全国各地で既に奪っており、チベット人社会でも多くの中心的人物の命を奪っていった。

補足しておくと、中国共産党が手配する現在と過去のチベット取材ツアーを比べると、今は基本的に社会主義国の記者がいないという点で異なっている。世界の枠組みにはとても大きな変化が起き、ソ連はロシアになり、東ドイツはドイツの一部になり、チェコスロバキアは二つの民主国家に分かれた。もし中国共産党が同じ陣営の太鼓持ちを招待したければ、キューバや北朝鮮など、数も少なく、信用もない社会主義国しか残っていない。もちろん、彼らはそれほど間抜けではなく、統一戦線を張りやすい国か、息のあった非社会主義国の登場人物を招待するだろう。

しかし、共通する部分もある。例えば、50年以上前のツアー内容は現在とそれほど変わっていない。「苦しみは大きく、恨みは深い」という「解放農奴」を例外なく取材し、彼らが極悪非道の「旧チベット」を告発し、幸福な「新チベット」をたたえるのを聞かなければならない。過去の取材コースと現在の取材コースが驚くほど似通っていることまである。例えば、生まれ変わった荘園を取材すると、党の選んだ「解放農奴」が記者団を恭しく待っているというように。

事実上、(1955年と1959年の)二つの外国人記者団が取材した時、チベット全土ではチベット人の壮絶な抵抗が起きようとしていたか、ひどい場合は既に起き、「反乱平定」を名目とする中国共産党の軍隊の大虐殺に遭っていた。チベット研究者のエリオット・スパーリンクは、中国が1982年の国勢調査に基づいて作った性別比グラフについてこう書いている(http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-634.html
http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-635.html
)。「チベット高原の広い範囲で男女比のバランスが崩れている。この不均衡を説明できるのは暴力闘争だけだ」「中国側の記録を自由に調べられないため、正確な数字は分からない。だが、大規模な虐殺が起きたという事実に異論の余地はない」

2013年7~8月   (RFA特約評論)

以下の写真は「チベットの素顔」と「チベット日記」(ともに中国蔵学出版社)から。

u12

周恩来が招待し、中国外交部が手配した外国人記者団とダライ・ラマの集合写真。(「チベットの素顔」より)

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アンナ・ルイス・ストロングら19人の記者団がポタラ宮前で撮った集合写真。(「チベット日記」より)

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党に集められた数百人のチベット人が外国記者団を歓迎した。(「チベット日記」より)

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党幹部が開いた「批判大会」について、アンナ・ルイス・ストロングは何度もたたえた。(「チベット日記」より)

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54年前のデプン僧院には、現在と同様に工作組幹部と積極分子の僧侶がいた。(「チベット日記」より)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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