チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年7月29日
チベット国境に向かい 消えた活動家
今年3月10日、徒歩でダラムサラを出発するリンツァ・ツェテン・ドルジェ。右手は去年ネパールまで一緒に歩いた母親。
去年に続き今年もダラムサラを起点にチベット帰還行進を行い、6月8日シッキムの僧院から消えたリンツァ・ツェテン・ドルジェの安否が気遣われている。すでに50日余り消息が途絶えたままだ。
彼は去年3月10日ラサ蜂起記念日にダラムサラを出発し、チベット問題を訴えるための帰還行進を行った。この時には母親と姪が一緒に歩いた。数ヶ月かけネパール国境に辿り着いたが、ネパールに入ったところで警察に拘束され、彼だけ5年の刑を受けた。その後、人権団体等の圧力により彼は9ヶ月後に解放された。
解放された彼は今年の3月10日、今度は1人で再びダラムサラを起点にチベットへの平和行進を始めた。今回は途中から自転車に乗りながら3ヶ月後に中国国境に近いシッキムのカリンポンに辿り着いた。そして、6月8日、携帯を含む、ほとんどの荷物を最後の宿泊地であった僧院に置き去りにしたまま、突然消息を断った。
今回、RFAが彼が最後に録音したというビデオメッセージを手に入れ、発表した。それによれば、彼は「チベットに入った瞬間から、私の平和的闘争が始まる」「闘争すべき場所はチベット内地だ」と宣言し、チベットに潜入し何らかの行動を起こすという強い意志を示している。
「もしも、チベット潜入に成功したならば、起こり得ることは次の3つであろう。完全に消え去り、2度と消息は知られない。または、裁判に掛けられ獄に繋がれる。または、拷問を受け死亡する」と語り、続けて「私はこれらの状況を覚悟している。チベットの自由を獲得するためには、強い決意と大きな犠牲を覚悟しなければならない」と決死の覚悟を語っている。
もしも、チベット(中国)国境を越える前にインド側で国境警備隊に拘束されていたなら、すぐに分かるはずなので、彼は国境を越えたと思われる。中国側に拘束されているのならば、何らかの情報が入っても良いようなものだが、それもまったくない。
彼は発見されるのを避けるために、通常の国境越えの峠を通らず険しい山越えを試みた可能性が高い。その場合には事故もあり得る。無事チベット側に入る事に成功し、現在潜航中なのかもしれない。
何れにせよ、家族をはじめ多くの人たちが非常に心配している。彼の母親は先のサカダワの期間中、息子への連帯を示すためにハンガーストライキを続けていた。
参照:7月22日付けRFA英語版 http://www.rfa.org/english/news/tibet/vanished-07222013150101.html
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)