チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年7月24日

ダライ・ラマ写真取り締まり / 作家ケルサン・ジンパ解放

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ダライ・ラマの写真を厳しく取り締まり

ダライ・ラマの写真は許可されるどころか、ジェクンド地区では車の中からダライ・ラマ等の写真が没収されたという話し。

RFAに現地チベット人が報告したところによれば、「7月15日、青海省ジェクンド(ケグド、ユシュ、玉樹)地区で全ての車が警察により止められ、ダライ・ラマとカルマパの写真があるかがチェックされ、没収された。護法尊等の写真まで没収された」、「逆らったものはひどく殴られた」という。

在米チベット人であるロプサン・サンゲは「最近、チベット人が乗る車は警官に止められ、ダライ・ラマの写真の有無をチェックされる。もしも、ダライ・ラマの写真が見るかれば、没収される。ジェクンド州チュマレプ県ではこれに抵抗した僧侶2人が連行された」と伝える。

6月中にアムドやカムの一部でダライ・ラマの写真掲揚が許可されたという噂が立った。しかし、中国当局はこれを否定し「噂を広めた者を処罰する」と警告し、中央政府も「ダライに対する政策に変更はない。ダライ一味の祖国を分裂させようとする試みに対し、断固とした態度で闘わねばならない」と明言している。

参照:7月22日付けRFA英語版 http://www.rfa.org/english/news/tibet/photos-07222013170822.html

image獄に繋がれた作家が1人解放される

2008年のチベット人抵抗運動に関する記事を雑誌に発表したとして、2010年末に「国家分裂罪」に問われ3年の刑を受けていたケルサン・ジンパ(筆名ガルミ)が刑期を終え7月18日にメンヤン刑務所から解放された。

そのときの写真が伝わっているが、かつての写真と比べると相当痩せており、迎えの人からカタを贈られたと思われるが、そのカタを厳しい表情ではぎ取るというシーンが写っている。

ケルサン・ジンパは1993年にインドに亡命し、TCVスジャスクールで1年学び、その後ダラムサラのキルティ僧院に入り、1996年チベットに戻っていた。

1aa81472逮捕前のケルサン・ジンパ。

2010年10月28日にバルカムの中級人民法院で行われた裁判では彼を含め3人のチベット人作家が裁かれている。3人とも、雑誌「シャル・ドゥン・リ(東方のホラガイのような雪山)」と雑誌「ドゥラップ・キ・ンガ(時代的我)」に記事を発表したことで逮捕されていた。

1回の裁判でブダに4年、サンツェ・ドゥンゴに4年、ケルサン・ジンパに3年の刑が確定された。裁判の際、裁判長が3人に「国家分裂罪」の罪状を認めるか?と問いただした時、3人は無罪を主張し、雑誌に記事を書いたことが罪になるとは思わないと語ったという。

さらに、ブダは「書いた内容は中国の例えばバンリシュン(ལྦང་ལི་ཞུང་)とかユゼ(ཡུས་ཇེ་)等多くの作家が書いていることだ、しかし彼等は罰せられていない。もしも、我々が少数民族が故に罰せられるとすれば、それは法の下にすべての人民が平等でないことを表すことである」と中国語ではっきりと発言した。

同じくザンツェ・ドゥンゴとケルサン・ジンパも同様の発言をチベット語で行ったが、通訳は内容をすべて伝えていないようだったという。2人は最初からもう一度通訳をし直すことを要求したが、裁判官はそれを許さなかったと伝えられている。(詳しくはhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51517896.html、彼らの詳しい経歴はhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2010-10.html?p=3#20101006、関連するウーセルさんのブログはhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51549820.html

雑誌シャル・ドゥン・リの編集者であったタシ・ラプテンは4年の刑を受け、その他、多くのチベット人作家が今なお獄に繋がれているか、行方不明のままである。

参照:7月22日付けTibet Net チベット語版 http://bod.asia/2013/07/རྩོམ་པ་པོ་སྐལ་བཟང་སྦྱི/
7月18日付けRFAチベット語版 http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/writer-kelsang-jinpa-released-after-3-years-07182013114553.html

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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