チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年6月22日

青海省の一部の県で僧院内にダライ・ラマ法王の写真を掲げる事が許可されたことは北京のチベット政策軟化の印か?

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2006a1幼少時ダライ・ラマの写真を手にする老婆(VOTより)。

このニュースを始めに報じたのはVOTであるが、これはスイス在住の高僧トゥルク・ロプサン・ティンレーが現地から得た情報として伝えたものである。正式な書面はまだ伝わっていないし中国の政府メディアも報じていない。このVOTの報道(1)を元に米中国語メディアである多維新聞が「ダライ・ラマの肖像を飾ることを許可、中国共産党がチベット政策を転換」と題した記事(2)を発表し、これがまたレコード・チャイナにより要旨だけとった日本語になり発表(3)された。これを見た、日本人の中にはこれを「習近平になってチベット政策に変化が訪れる印ではないか?」と取る人も現れているようである。そこで、今回は「本当にそうなのか?」について考えてみる。

まず、押さえておくべき大事な基本情報としてこの許可が出た地域と経緯の話がある。VOTによれば、最初6月17日にアムド、ツォコ(青海省海南チベット族自治州)マンラ(貴南)県において当局が組織する僧侶の会議によりこれが決定されたという。次いで19日には隣のバ(カワスンド、同徳)県で各僧院の内部会議により同様の決定が発表された。20日にはツェコルタン(興海)県の人民検察院が会議を開き地区の僧侶と俗人に対し、「上級部門」が出したこの決定を布告した、というのである。

その内容は3点:
1.僧院内にダライ・ラマの肖像写真を掲げてもよい。
2.ダライ・ラマを批難してはいけない。
3.僧院内で事件が発生した場合には、まず僧院長等が調停し、警察や軍は僧院長の要請なく直接介入してはならない。

ということである。3番目は特に素晴らしい。1番目は目玉のようではあるが、アムド、カムではどうせ禁止されていようが僧院にはダライ・ラマの写真は公然/秘密裏に掲げてあったので、意味深長ではあるが、実質特に変わらない。

2006a22011年11月2日にセルタのビルの屋上にチベット国旗と共に掲げられたダライ・ラマの肖像。すぐに部隊が肖像を引きちぎったが、その後大きな抗議デモが起った。

まず、地域についてだが、この話はチベット全域なんて話ではなく、青海省全域でもなく、海南州全域でもなく、海南州5県の内の3県の話である。また、肖像が許されるのは僧院内だけの話であり、一般家庭においてはこれまで通り禁止である。これが発表されたのもツェコルタン(興南)県以外は僧院に向けたものに限られる。

このような前代未聞?の決定が行われた経緯については、これだけの情報では何とも判断できないのではあるが、時系列的にはまずマンラ(貴南)県において、当局承認の下に僧院会議において採択され、次にバ(同徳)県で右ならえで決定され、20日にはツェコルタン(興海)県では当局自体が決定・布告したということになる。ただ、気になるのはツェコルタンの「上級部門」が出した決定という部分である。この場合の「上級部門」とは何を指すのか?県レベルなのか、州レベルなのか、それとももっと上の決定なのか?という、実際とても重要な話が含まれる言葉であるが、はっきりしない。

もっとも、もしもこれば県レベル以上のことならば、州が、あるいは省が決定したということになり、それら全域に布告されるように思われる。だから、これは単に県レベルではないかと推測される。そうではあるが、最初ダライ・ラマの写真が不許可になったのは80年代終わり、チベット自治区で決定されたことであり、それが徐々にアムドやカムにも適用されていたのだ。この決定には北京中央政府、江沢民の意向が反影されていた。そして、これはやがて90年代にはダライ・ラマ批難という政策に繋がって行く。

つまり、これは中央政府の決定だったのだ。そんな重要な決定がいくら地方政府レベルの話であろうと、そう簡単に州や省の許可なく発表できるものであろうか?という疑問も湧く。もしも、北京政府の意向であるならば、今までの政策を誤りであったと認め、理由と共に新しい政策を示すべきだろう。

結局、この局所的現象をもって北京のチベット政策の転換と判断するには、まだ情報が足りなさ過ぎ、判断できないということである。これから他の県や州にもこの動きが広がるのか、それとも局所に留まったり、撤回されるのかを見守らなければならないと思われる。

例えば、一方でチベット自治区においては僧院を中心にした、ダライ・ラマ批判を強要する「愛国再教育」は続けられており、各僧院にはもちろんダライ・ラマの写真は許可されないし、それどころか毛沢東をはじめとする4人の偉大な指導者の写真を掲げる事が強要されている。僧院内に中国国旗を掲げる事も強要される(4)。また、最近アムド、カムを含めたチベット全域で僧院を中心に「十八大会精神教育」という政治教育のキャンペーンが始まっている(5)。全体にはすこしも締め付けは緩んではおらず、むしろ弾圧は強化されている。

また、私は今回の決定の第2番目の「ダライ・ラマを批難してはいけない」というのが気になる。ダライ・ラマはチベット仏教全体の第一位のラマである。これを批難する僧侶がいるとは思えない。批難するぐらいなら死を選ぶと宣言した僧侶も沢山いる。そして彼らは逮捕された。今度はわざわざ真逆に「批難してはいけない」と命令したのはなぜなのか?

images角の生えた悪魔の真似をする法王。

このことと、最近中国政府がダライ・ラマの生家を改装するために250万元(約4000万円)を掛けると発表したことが重なって見える。たいしてて大きくもないダライ・ラマ生家に4000万円も掛けてどうしようと言うのか? それだけではなく、今までほとんど畑以外何もなかったこの生家周辺を大開発しようという計画もあるようだ。

今回の写真許可の決定が北京の意向を反影していると仮定した場合の話であるが、私はひょっとして中国政府は次期ダライ・ラマを見据えてこの決定を下したのではないかと勘ぐる。現在の14世ダライ・ラマが崩御された後、中国政府が15世を選ぶことはほぼ間違いないことだ。この時、今のまま「ダライは角の生えた悪魔」という言い方を続けていたとすれば、政府は「悪魔の転生者を選ぶ」という矛盾に陥る。次期ダライ・ラマを権威付けて政治的に利用しようというもくろみを自分で潰していることになる。そこで、そろそろ先を見越してダライ・ラマのイメージ回復をもくろんでいるのではないか?と私は思ったりした。

これはダライ・ラマの生家がどのように生まれ変わるのか、どのような評価の下に博物館化するのかを見ればある程度分かるのではないかと思う。何れにせよ、ラサではないが、生家が昔の面影を完全に失った、観光スポットになることは間違いない。

注:1. http://www.vot.org/cn/中共允许西藏寺院供奉达赖喇嘛法相/
2. http://china.dwnews.com/news/2013-06-21/59238066.html
3. http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130622-00000015-rcdc-cn&1371888002
4. http://www.rfa.org/english/news/tibet/chamdo-06212013125232.html
5. http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7816

ダライ・ラマ法王の生家を訪問した日本人旅行者のビデオ

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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