チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年4月25日
囚われのパンチェン・ラマ11世 24歳の誕生日
今日はパンチェン・ラマ11世、ゲンドゥン・チュキ・ニマ(ジェツン・テンジン・ゲンドゥン・イェシェ・ティンレー・プンツォック・ペルサンポ)の24歳の誕生日だ。彼は1995年5月14日にダライ・ラマ法王により正式に故パンチェン・ラマ10世の生まれ変わりとして認定された3日後に、家族共に中国当局により連れ去られ、未だ確実な消息は全く得られていない。連れ去られた時、彼は6歳だった。それから18年が経った。
チベット亡命政府や支援団体はもちろんのこと、多くの外国政府や国連が中国に対し、ニマ少年の消息を明らかにするよう重ねて要求しているが、中国はこれまで一度も証拠を伴った回答を行っていない。中国高官のニマ少年に関する最後の言及は2010年3月、チベット自治区主席ペマ・ティンレーが外国レポーターの「今、ニマ少年はどこにいるのか?」という質問に対し「ゲンドゥン・チュキ・ニマは家族と共にチベットで普通の市民として幸福に暮らしている」と答えたとされるものだ。もちろん、この時も何の証拠も示されなかった。
ほとんどのチベット人たちは、先代のパンチェン・ラマ10世は中国当局により毒殺されたと信じている。これと同じように、11世も家族もろとも既に殺されているのではないかと考えるチベット人は多い。ニマ少年を探し出したタシルンポ僧院の高僧チャドル・リンポチェもニマ少年の拘束と同時に行方不明となり、その後6年の刑を受けた。刑期が終了したはずの今も彼とその他捜索に関わった人々の消息は途絶えたままだ。最近、チャドル・リンポチェは「死亡した。毒殺されたのだ」という噂が流れたが、真相は不明だ。
中国当局はニマ少年を消し去ったその年に、共産党幹部の子であるギェルツェン・ノルブという少年をパンチェン・ラマ11世として選出した。宗教を否定し、仏教に対し何の信も持たない政府が生まれ変わりを見つけたというのだ。彼は今、政治局員にされ、ことあるごとに中国政府の手先として利用されるしかない運命に陥っている。ほぼすべてのチベット人はダライ・ラマ法王が選んだニマ少年を本物のパンチェン・ラマと信じ、中国政府が選んだパンチェン・ラマを偽物と呼ぶ。
チベット人はダライ・ラマを太陽、パンチェン・ラマを月と喩え、命を守るなくてはならない存在と見なして来た。夜の暗闇を照らす月であるパンチェン・ラマは中国により消されてしまったままである。
最近、前9-10-3の会会長のガワン・ウーパルが現地から得た情報として「彼の家族は拉致されたとされるチベット自治区ナクチュ県ラリ郷の自宅で自宅監禁されている。回りには部隊が展開し、だれも近づけない状態だ」と伝えた。真偽は確認できないが、これが本当だとすれば、少なくとも家族はまだ生きているということになる。
焼身者の内の幾人かは、最後の言葉として「パンチェン・リンポチェを解放せよ!」と叫んでいる。内地のチベット人にとってもダライ・ラマ法王が認定したパンチェン・ラマ11世はダライ・ラマ法王に継ぐ希望の星であり、彼を捕らえ続ける中国政府への抗議の気持ちは強く、解放への願いは強い。
下のビデオは囚われのパンチェン・ラマ11世への帰依を表明し、解放されることを願うという内地の歌手ソナム・タシの「パンチェン・ラマ」と題された歌。
以下の写真は昨日24日にダラムサラで行われた、子坊主や小学生によるパンチェン・リンポチェ解放デモと解放要求署名活動。(写真はRTYC:地区チベット青年会議)
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)