チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年2月24日

ウーセル・ブログ:「生態移民村」の「マニ石」

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「生態移民」と中国で呼ばれる「遊牧民強制移住」はチベット文化の根幹とも言える遊牧生活を根底から覆す中国政府の悪しき政策である。これにより、チベットの遊牧民たちは先祖代々受け継がれた牧草地から引き抜かれ、家畜を売り払うことにより生活の基盤を完全に失う。それだけではなく代々彼らの生活を律して来た野山の精霊、神々から引き離され、村々の中心となっていた僧院とも離別しなければならない。

ウーセルさんは1月31日付けブログで自身が訪れた1つの移住村について報告されている。その村の人々は遠く離れたチベットの草原の中でも特に美しいと言われる、3大河川源流域からゴルムト近くの砂漠地帯に送られたのだ。そんな砂漠の中でも、チベット人たちは何とか嘗ての宗教的環境を取り戻そうと涙ぐましい努力を行っているという話である。

間違いなく焼身抗議とこの生態移民とは関係がある。焼身者の半数は遊牧民家庭出身と言われている。実際この生態移民となった人たちも大勢いる。

原文:http://woeser.middle-way.net/2013/01/blog-post_31.html
翻訳:@yuntaitaiさん

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02ウーセルさんの写真へのコメント:RFAチベット語に送ったこの文章は、昨年8~12月に北京からラサに帰っていた時期に書いた。ラサまでの道中にゴルムドを通り、「曲麻莱(チュマルレプ)県3大河川源流域生態移民村」を訪ねた時の見聞を記した。元々はビリヤード台だったものに経文が書かれ、マニ石としてタルチョの群れの下に置かれていた。これは私に強い印象を残した。

◎「生態移民村」の「マニ石」

(2012年の)8月半ば、友人の車でラサに帰った時、歴史の浅いゴルムドという人工都市に1泊した。

 2007年にも私はここに泊まったことがある。郊外のゴビ砂漠に住んでいるチベット人たちを訪ねるためだ。「住んでいる」と言うのはあまり正確ではない。彼らは「立ち退かされた」移民だ。「黄河第一県」と呼ばれる玉樹チベット族自治州曲麻莱(チュマルレプ)県から200~300世帯が移り住んできて、兵営のような移民村を割り当てられた。過去には牛や羊を放牧していた多くのチベット人遊牧民が、今ではいわゆる現代的な環境へと強制的に適応させられている。言葉や食事、生活スタイルの全てが激変した。更に問題なのは、この環境には宗教信仰のためのわずかな空間もないことだ。彼らがこうした「適応」をどれほど望まず、どれほど苦痛に感じるかは推して知るべしだ。

 こうしたチベット人移民との感傷的な会話を私はずっと忘れられないでいる。「ここに引っ越してきて、故郷の山の神も一緒に来たんですか?」。私が尋ねると、安価な洋服を着た彼らはうつむいて答えた。「どうやって?僕らは神を捨ててしまったんだ。牛や羊を捨ててしまったんだ。(政府が10年限定で支給する)毎月の500元のためにね」

 祖先から受け継いできた故郷と神をこのチベット人たちが捨てたのは、実はこれっぽっちのお金のためではない。中国政府は2003年、数千年続いてきた遊牧民の生活がチベット高原の草原減少をもたらしたとして、かつてない規模の大型プロジェクトを始めた。長江と黄河、瀾滄江(メコン河)の源流域の遊牧民を都市や町の周辺に移住させるという事業だ。草原を休ませるという聞こえの良い言い方をしているが、チベット人の文化の中でとても重要な遊牧文化を滅ぼす結果になるだろう。

 報道によると、このプロジェクトの名前は「3大河川源流域生態移民プロジェクト」。1万6129世帯の8万9358人が移民し、青海省の10以上の市と県、自治州に関わってくる計画だという。この大量の移民はもちろん、全てチベット人の遊牧民だ。「馬の背と羊の群れから離れる」とニュースで描写されたチベット人たちは、都市周辺に住む「よそ者」になった。

 07年当時、新しくできたばかりの移民村で特にもの寂しく感じたのは、チベット人が仏事を執り行えるマニ車堂やチョルテンすらなかったことだ。心にすき間のできた移民を仏法で救う僧侶も住んでいなかった。

 だから、再び移民村に入った時、以前はがらんとしていたゴビ砂漠にテントのようなタルチョのかたまりが出現しているのに気付いた。タルチョは膨大で連綿と続き、夕暮れ時の風に吹かれ、音を立てて激しくはためいていた。すぐそばには赤い建物があった。きっと中には巨大なマニ車があり、人々に安らぎを与えているのだろう。更に前方を見ると、移民住宅の列と道を隔てた空き地に、僧院のような建築物が建てられていた。

 通りがかった男性を引き止めたところ、彼はここに6年住んでいるが、まだ慣れないという。各世帯は毎年5000元を得るだけで、全く足りない。彼はたまたま工事現場の力仕事を見つけたが、日当は20、30元だけだ。闇に溶け込む赤い建物を眺め、彼は「僧院ができてホッとしたよ」と言った。「自分たちで寄付金を集めて建てたんだ。今は政府が認めるかどうかが心配だよ。たぶん同意するだろうけど、分からない、分からない」。彼は全ての可能性を口にした。私は同情で胸がいっぱいになった。

 ある家庭を訪ねると、チベットの民族衣装を着た女性が3人の子供を連れていた。3人は学校に通っていて、中国語を話せた。ラマがくれたお守りを首にかけていることを除けば、服装は都市の漢人の子供のようだった。女性の話では、夫は車を運転できるが、まだ肉やバターは買えず、マーガリンでお茶をいれるしかないという。

 移民村を離れる時、私はあの大きなタルチョのかたまりを再び見つめ、ある事に気付いて驚いた。タルチョの下に置かれた大きなマニ石は本当の石ではなく、横倒しにしたビリヤード台で、巨大な6文字の真言はテーブル部分に彫られていたのだ。これは一体どういうことなのか、すぐに分かった。とても長い間、移民は何をすればいいのか分からず、酒やギャンブル、ビリヤードで日々を過ごすしかない苦境に陥った。だが、今ではビリヤード台はなんとマニ石になった。これは恐らく、教えを説きに来たラマたちが諭したことと関係があるのだろう。更には、故郷と神を捨てざるを得なかったチベット人たちの信仰と関係があるのだろう。そして最も重要なのは、生命の活力がよみがえり、信仰が滅びずに続いていくだろうとこの「マニ石」が告げていることだ。

 2012年9月27日、ラサにて (RFAチベット語)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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