チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年2月15日
ボドナート仏塔傍で焼身、死亡した僧侶はトゥルクの息子
チベット歴の正月3日、ダライ・ラマ13世が所謂「チベット独立宣言」を公布して100周年目に当たる、2月13日の朝、ネパール、カトマンドゥのボドナート仏塔傍で焼身した若いチベット人僧侶は、その夜病院で死亡した。次の日の夕方、彼の身元がようやく確認された。
僧侶の名前は、中国政府が発行する身分証明書によればドゥプツェ(སྒྲུབ་ཚེ་ ドゥプシン・ツェリンའགྲུབ་བཞིན་ཚེ་རིང་の略名と思われる)。年齢25歳。彼はカンゼ州セルタの出身であり先月内地よりネパールに亡命してきたばかりであり、カトマンドゥのチベット難民一時収容所に収容されていた。収容所には名前はルントック・テンジンと記されていたという。
彼は有刺鉄線で身体にコットンを巻き付け、その上にガソリンをかけて火を点けていたという。彼は地区で有名なトゥルク(転生僧)の息子であった。トゥルクである父の名前はトゥルク・サンガク・テンジン、母の名はツェラ。
14日にTibet Expressが現地に電話を入れ、彼を知る人を探し出し、話を聞いたという。それによれば「僧ドゥプツェはカム、カンゼ州セルタ県ヌップスル郷ギェルチュク村(གསེར་རྟ་རྫོང་གནུབས་ཟུར་ཡུལ་ཚོ་རྒྱལ་ཕྱུག་སྡེ་བ་)にあるギェルチュク僧院の僧侶。彼はインドに亡命する前に『これまでに自分はチベット人を利するための仕事を何もできなかったが、これから何かチベット人のためになることをやるつもりだ』と近しい人に話ていた」という。
彼が死亡したということを知り、チベットキャンプでは秘密裏に彼を偲ぶヴィジルを行った。
遺体は15日に警察からチベット難民一時収容所に渡されることになっている。
彼は最初から外地で焼身するために亡命してきたのであろうか?
参照:14日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-35-27/10124-2013-02-14-17-38-57
15日付けTibet Times チベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7324
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)