チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年2月12日
チベットの正月 ダラムサラと内地
昨日はチベットの元日だった。ダラムサラと内地でどのようにチベット人は正月を過ごしたのか?今までに伝わった情報を元にお知らせする。
ダラムサラでは早朝ツクラカンの屋上でナムギェル僧院僧侶と議員、政府職員が集まり恒例の法要が行われた。だが、そこに法王の姿はなかった。玉座には法衣が三角形に立てられていただけ。はてな、法王は今ダラムサラにおられるとばかり思っていたいたのに?(今、どこに居られるのか調査中>法王は現在ツァム<お篭もり修行>中だそうです)
議長は出席していたが、首相と外務大臣はいない。phayulが情報省メディア係りのロプサンに聞いたところによれば、「首相や外務大臣は今、休暇中」なのだそうだ。
屋上の儀式が終わった後は本堂の中で引き続き法要と新年恒例の(御前)問答大会。法王がいらっしゃらないので「御前」とはならなかったようだ。
外の勇者記念塔の前では、サラ大学の学生約40人が焼身者への連帯等を示すために24時間のハンスト。
ダラムサラではないが、デリーではSFT主催の「チベット独立100周年」イベントの始まりとして10数人がマラソンを行ったようだ。
内地チベットの話はまだ十分伝わっていないようで、断片的ではっきりしない。
レゴン地区ではほとんどの家庭がロサを祝わず、寺、僧院に集まり、法王と焼身者の写真を掲げ、年配者はニュンネ(断食行)を行ったり、マニサガ(集団で決められた数までオンマニペメフンとう観音菩薩の真言を唱え続けること)を行い、若者たちも僧院に詣でてチベットのために犠牲となった同胞に祈りを捧げた。普段の正月ならショ(サイコロ遊び)をやったり、着飾って近所、親戚の家を巡るのが慣例だが、今年は宗教的行事以外は何もせず、静かに過ごしているという。
当局は今年のロサを盛大に祝えと命令し、街の入り口等に正月風のゲートを設けてみたりしたが、チベット人たちは、正月用の食料品や洋服を買うこともなく、チベット人の商売人も最初から正月用品を売らないという者が多かった。
正月1日中、テレビでは、先の2月8日に故意殺人罪と国家分裂煽動罪で13年の刑を受けたレゴン、ドワ郷のパクパのニュースが何度も流され、地区のチベット人たちの心を痛めさせたと内地報告者は伝える。
ラサのツクラカンとラモチェには大勢のチベット人が正月拝観のために訪れた。しかし、例年より早く門だ閉められたために、沢山のチベット人が拝観できずに失望とともに帰らざるを得なかったという。
「最近はツクラカン始め全てのラサの寺、僧院が政府と軍に完全に握られている。昔なら拝観する人が終わるまで門が閉じられるということはなかったが、今は当局の言うままに従うしかないのだ」という。
また、ツクラカンやラモチェの周辺と内部には至る所に武装警官隊が配置されており、列を組み拝観するチベット人たちを威嚇し続けていたという。
その他、phayulには「東チベットの少なくとも3つの地区で大規模な祈りの集会が行われた。パユルが入手した写真にはダライ・ラマ法王の写真の前に焼身者たちの写真が掲げられ、大勢のチベット人たちが祈っている姿が写っている」と書かれている。(写真は発表されていない)
参照:11日付けTibet Times チベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7306
12日付けTibet Times チベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7307
11日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/tight-security-in-lhasa-during-the-losar-02112013153336.html
12日付けphayulhttp://www.phayul.com/news/article.aspx?id=33023&article=Prayers+and+protests+mark+Losar
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)