チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年2月10日
ウーセル・ブログ「焼身事件18件を解決」と魏書記は語る
ウーセル(唯色)さんは1月30日付けブログの中で、チベット人の焼身とそれに対する弾圧が中国人役人たちの出世の手段と化していると説かれ、中国の伝統であった「一族皆殺し」という「卑劣な連座制」が今も残っているのであろうか?と案じておられる。
原文:http://woeser.middle-way.net/2013/01/18.html
翻訳:@yuntaitaiさん
写真は2枚ともウーセルブログからで、1枚目は「1月24日付け中新社報道:甘肃甘南官员:破获18起自焚案件(焼身事件18件を解決)」、2枚目は「魏建栄の経歴」。
◎「焼身事件18件を解決」と魏書記は語る
中国新聞社(華僑向けの通信社)は2013年1月24日、「焼身事件18件を解決--甘粛甘南当局者」と報じた(http://dailynews.sina.com/gb/chn/chnoverseamedia/chinesedaily/20130124/05414190046.html)。
この「甘南当局者」とは、甘粛省甘南(ケンロ)チベット族自治州州委書記の魏建栄だ。彼によれば、「昨年10月以降、国外のダライ集団の直接的な扇動により、甘南州で立て続けに21件の焼身事件が起きた。(中略)21件のうち、現時点で18件を解決した。焼身事件にかかわっていた16人を逮捕し、5件については裁判所で審理が進んでいる。(中略)現地の政府はこれらの事件の処罰に成功し、大多数の地元民の感情を傷つけずに済んだ」という。
ネットで検索したところ、魏建栄は完全に公安畑の出身だと分かった。中国刑事警察学院(公安省直属の大学)を卒業し、公安省5局(刑事偵査局)と中央政法委弁公室に24年勤めた。そこから甘粛省蘭州市委副書記を半年、甘南州委副書記を2カ月務め、2011年9月に州委書記となった。甘南州での「政治的業績」は大したものだ。在任中に州内で焼身事件22件と焼身未遂の死亡事件1件が起きたが、彼の指揮の下ですぐに「18件を解決」している。四川省アバ(ンガバ)州や青海省黄南州などのチベット・エリアの役人を遥かに上回る業績で、鉄血タカ派の役人だ。
1市7県を管轄する甘南州では、2012年3月3日に女子中学生ツェリン・キが焼身して以来、11カ月間で計23人のチベット人が焼身した(焼身未遂事件の犠牲者ジクチェ・キャプも含む)。内訳は瑪曲県(マチュ)1人▽夏河県(サンチュ)12人▽合作市(ツー)5人▽碌曲県(ルチュ)5人。甘南州委書記の魏建栄が「焼身事件18件を解決した」と述べている以上、私たちはどの18件なのかを知りたい。魏建栄たちがチベット人にどう濡れ衣を着せ、無実の者にどう連帯責任を追及したのかも知りたい。はっきりさせてもらおうではないか!なんという暗黒!かわいそうな同胞たち!
甘南州委書記になって1年5カ月の魏建栄はまもなく、四川省アバ州委書記の侍俊のように栄転する可能性が高い(侍俊は2012年2月に四川省省長補佐、公安庁庁長に昇格した)。悲しいことに、チベット・エリア各地の役人は地位のためにこうも冷血になり、こうも血を求める……。彼らのまぶしい地位は無数のチベット人の鮮血で染まっている。
あるツイッター仲間は「これまで何人が『焼身を扇動した』として逮捕されたのか、統計はありますか。焼身者1人の背後で2、3人が逮捕され、牢獄につながれたのでは」と私に尋ねてきた。私は「作り直している焼身者リスト(もうすぐ完成)には、そうした状況も含めています。実際、焼身者ごとに2、3人どころか7、8人、または10人以上が連座していますし、行方不明になった人もいます」と答えた。
例えば、ルチュ県サムツァ郷ロツォ村の遊牧民ツェリン・ナムギェルは2012年11月29日午後、郷政府の庁舎前で焼身し、その場で死亡した。軍警は12月22日、分裂主義者と結託したとして、サムツァ郷、ドンスク・ゲデン・シェラップ・プンツォク・ダルギェリン僧院の僧侶ケルサン・サムドゥプ(44歳)を逮捕した。彼はその後、行方が分からなくなっている。このほか、ツェリン・ナムギェルの焼身事件を国外に漏らしたとして、ロツォ村の住民7人が逮捕された。7人の名前はニマ▽ラモ・ドルジェ▽ドルジェ・ドゥンドゥプ▽ケルサン・キャプ▽ケルサン・ソナム▽ケルサン・ナムデン▽ソナム・キ(女性)。この中には焼身者の親族も含まれる。
また、ルチュ県アラ郷ポクツァ村の遊牧民ゴンポ・ツェリンは2012年11月26日午後、アラ郷のアラ・デウゴ僧院の本堂前で焼身し、その場で死亡した。彼の祖父と父は10日後、安全局に連れ去られ、消息が途絶えている。
卑劣な連座制!もし「財産没収、一族皆殺し」という古い中国の伝統が今も残っているのなら、焼身者の家族や友人は魏建栄らに皆殺しにされるだろう。
2013年1月30日
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)