チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年2月2日

焼身者の遺体を守り、家族の下に届けた6人に重い実刑

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サンチュの裁判

裁かれた6人。

去年10月23日、アムド、サンチュ(甘粛省甘南チベット自治州夏河)の街中でドルジェ・リンチェン、57歳が中国政府に抗議する焼身を行い、その場で死亡した。彼は村の副村長であった。妻と2人の子供を残した。(詳しくは:http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51766632.html

38ff6705彼は炎に包まれながらも通りを走り、力尽き倒れ、その場で死亡した。これを目撃した人々は遺体を奪おうとする部隊から彼を守り、家族の下に届けた。そして、今回懲役刑を受けたチベット人たちは、この時遺体を守り、遺体を家族の下まで届けた人々である。

ンガバで2人のチベット人が焼身を教唆したとして故意殺人罪に問われ、死刑と10年の刑を受けたと同じ1月31日、サンチュの中級人民法院は6人のチベット人に3年から12年の刑を言い渡した。

f6983743現場に集まる、チベット人と武装警官隊。

新華社によれば、その内4人はドルジェ・リンチェンを「救おうとした部隊を妨害した」ことにより「故意殺人罪」を犯したという。Tibet Timesによれば、彼らは「遺体を部隊に奪われるのを阻止し、家族の下に届けた」とされている。

4人とは:
ペマ・ドゥンドゥップ(པདྨ་དོན་འགྲུབ་)、12年の懲役刑、2年の政治的権利剥奪。
ケルサン・ギャンツォ(སྐལ་བཟང་རྒྱ་མཚོ་)、11年の懲役刑、1年の政治的権利剥奪。
ペマ・ツォ(པདྨ་འཚོ་女性)、8年の懲役刑。
ラモ・ドゥンドゥップ(ལྷ་མོ་དོན་འགྲུབ་)、7年の懲役刑。

654d9e24遺体を運ぶチベット人たち。

また、以下の2人は「騒ぎを引き起こし他人の財産に損害を与えた」として「騒乱挑発罪」に問われた。「現場に深刻な秩序の混乱をもたらし、商業地域の正常な経営活動を阻害し、道路交通の秩序を著しく乱した」とも書かれている。

ドゥカル・ギェル(གདུགས་ཀར་རྒྱལ་)、4年の懲役刑。
ヤンモ・キ(གཡང་མོ་སྐྱིད་女性)、3年の懲役刑。

この判決を伝える新華社の記事http://news.xinhuanet.com/legal/2013-02/01/c_124310149.htm?prolongation=1の中には、「公判における被告人6人の法的権利は十分に保障された。公判審理において、裁判所は6被告のためにチベット語の通訳を用意し、罪状の言い渡し、量刑にかかわる事実認定、証拠調べと被告人質問を行って、被告6人及び被告側弁護士は弁護側弁論で十分に主張を述べることができた」(@uralungta訳)と書かれている。しかし、被告に弁護士を選ぶ権利が与えられたかどうかについては書かれていない。今回の裁判も公平というにはほど遠い、政治的なショーであったことは間違いない。

中国側は部隊が駆けつけたときにドルジェ・リンチェンにはまだ「生体反応があった」と言う。ここは微妙なところであり、「故意殺人罪」と言えるかどうかの分かれ道であろう。実際にはその時、現場に医者がいて確認したわけではないので、分からないということだ。確かなことはここに集まったチベット人たちは、本人を殺そうと思って集まった訳ではないということ、そして、本人の意志は明らかに、その場で死に、遺体が当局に奪われず、家族の下に届けられ、まともな葬儀が行われるということであったということだ。これは全ての焼身者が望んでいることである。今回重い実刑を受けた人々はチベット人たちから見れば、焼身者の意志を全うさせようと、必死に、勇敢に行動した人たちなのである。刑は不当であり、重過ぎる。

参照:1月31日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/punished-01312013165323.html
2月1日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7266
2月1日付けTCHRDリリースhttp://www.tchrd.org/2013/02/six-tibetans-sentenced-up-to-12-yrs-over-self-immolation/#more-1022

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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