チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年12月1日

ウーセル・ブログ「焼身すべきか否かの間から考える」

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ウーセルさんが11月23日付けのブログで、夫である作家の王力雄さんと文中プゥパと表記されている「国外にいる本土のチベット人」の間で焼身について交わされた対話を掲載されている。「国外にいる本土のチベット人」という言い方は分かりにくいが、つまり「亡命者じゃないが、仕事や勉強、巡礼等の目的で一時的に国外に出ているチベット人」ではないかと思われる。2人は親しい友人同士ということで、ずばずばと言い合っている。いろいろと考えさせられる刺激的対話である。が、私のコメントは敢えて控える(と、このような態度を王力雄さんは「一種の黙認」と言うらしいが、、、)。各自がチベットの焼身抗議について考え、どうすればいいのかを考えてみてほしい。

原文:http://woeser.middle-way.net/2012/11/blog-post_23.html
翻訳:@yuntaitaiさん

DJ4ws8EDSgSTPdP80L5bIQ昨日(11月22日)、アムドのレゴン(青海省黄南チベット族自治州同仁県ドワ郷)で、18歳の遊牧民ルンブム・ギェルが焼身抗議した。2009年以降で84人目の焼身だ。画像は漫画家の瘋蟹が描いた「ブッダの涙」。

◎在该和不该之间的广阔地带思考/焼身すべきか否かの間から考える

11月8日、王力雄は国外にいる本土のチベット人とチャットし、私に内容を見せてくれた。彼とそのチベット人は友人なので、比較的率直に話し合っている。二人にはそれぞれ自分の考え方がある。王力雄はより多くの人に見せることに同意したので、以下に彼らの対話を載せておく。そのチベット人は「プゥパ」(チベット語で「チベット人」の意)という仮名にしておく。

王力雄:昨日またチベット人が焼身した。5人もだ。今日起きるのかどうか、何人いるのかは分からない。焼身についてどう思う?どうすればいいんだろう?

プゥパ:まず、これらの事件は予見できたことだし、意外とは全く思わない。私はいわゆる知識分子と会う度、何をすべきで、何をすべきではないのかをいつも話し合っている。自分の命を灯明として燃やす時、そうすることの意味を本人が分かっていないはずがない。もし、本人がそれを最善のやり方だと思っているのなら、どうして私たちが彼らより上等で、「生きることの方が大切だ」って言えるなんて考えられるだろう?数人が焼身を始めたころは私も反対だった。でも今は立て続けに起きていて、トゥルクや名声のある人も少なくない。理性の上でも感情の上でも、もうとても「反対だ」「焼身は理性的ではない」とは言えない。だって、命に対する私たちの理解は彼らのレベルに達していないってことだろうから、私たちの間では生きることと命に対する認識や定義がもう違っているんだ。

でも、全体的な戦略の枠組みから言えば、全体状況や交渉、チベット政策について、焼身がプラスの影響や変化を与えられるとは思わない。これから1000人以上の犠牲を出しても、枠組みに実質的な変化は起こり得ないだろう。ここで頑張れば変えられるということはない。やはり枠組みの変化は世界全体と中国国内で動きがあった時にようやく生まれるものだろう。その点、チベット人は冷静さを保つべきだ。

王力雄:前半部分の(焼身に反対できないという)考え方は、本土のチベット人知識分子や国外のチベット人の間によく見られるね。誠実ではあるけれど、意識してかどうか、自分が何もしないことへの言い訳にもなっている。心の安らぎを得るための自己弁護だ。確かに死者は自ら焼身を選んだが、だからと言って、生きている者が自分の態度と行為を示せないということにはならないよ。

僕から見れば、態度を示さないのも一種の態度だし、効果を生むこともある。エリートは意見表明を職責としているから、態度を示すべき人物が何も示さない時、往々にして一種の黙認とみなされる。そして黙認は無言の奨励とみなされる。「態度を示さないのは表立って焼身を奨励しにくいからだな」「エリートは心の中では焼身に賛成してるって意味ではないかな」と人々は考えるだろう。極端な話、ダラムサラの亡命政府の指導者は焼身には賛成しないとはっきり表明しているが、「そう言わざるを得ないだけで、内心では焼身をたたえ、必要としているんだ」と思われているかもしれない。「焼身が止まるかどうかは中国共産党にかかっている」という意見については、それ自体を間違いとは言えない。でもこれは完全に別の角度から受け取れる。「共産党が変わらない限り、チベット人は屍を乗り越えて焼身を続けなければならない」という風にね。

後半部分の(焼身はプラスの変化をもたらさないという)話については、君は国外にいる一部の人たちよりも理性的だと思う。さすがに君は本土から国外に出ているのだから、中国の現実を理解している。報道の自由と独立した司法、公民社会のない専制権力の前では、自分の受けた苦しみによって相手の良心を呼び覚ますという非暴力闘争のいつものやり方は全く効果がない。でも、君は後半部分の理性と、前半部分の焼身を止められない理由を一緒に並べている。君には筋の通ったロジックがあるのかもしれないが、僕に言わせれば、でたらめな矛盾から抜け出せていないね。

プゥパ:もう焼身には反対できないってことなんだ。自分について言えば、生きて何かをすることの方がより重要だと思っている。でも、もし私の家族が焼身の準備をしたいと言ったら、もし本当にそうすることを望んでいるのなら、私は見送ってあげるだろう。これが私の態度だ。これは奨励するしないという問題じゃない。だって、これだけ多くの人が立て続けに(焼身を)始めた時、「私の考え方や命への理解、定義が彼らとはもう違っているんだ」と改めて考えたんだからね。では誰が誰を説得するべきなんだろう?

王力雄:そういう相対主義に立てば、人々に(焼身を黙認、奨励していると)推測させるだけでなく、どんな事柄であっても、人と人との関わり合いを余計なお世話だと言えるのでは?たとえば、殺生をするなと説く資格が高僧にあるのか?殺生は他人の選択だ。「私の考え方や命への理解、定義が彼らとはもう違っているんだ。では誰が誰を説得するべきなんだろう?」

プゥパ:論評し、自分の考えを発表してはいけないとは言ってないよ。逆に、私はこうやってもっと討論すべきだと思っている。私個人の観点では、これだけ多くの人が次々と命を燃やしている時に「焼身するべきではない」とは言えない。今、彼らの心に分け入ろう、彼らの心の声を聞き、観察しようと努力している。自分の中に元々あった認識で評定するのではなくてね。焼身が私に与えた衝撃は、もはや技術的に説明し、分析するものではなくなっている。生命や意味、価値などへのより個人的な理解について、ずっと深く考えさせるんだ。

王力雄:それはちょっとごまかしで、正しいようで正しくないってことになりかねない。焼身に対する態度は、やるべきか否かという2種類だけではない。民族の知識分子として、やるべきか否かというという観点から抜け出し、その間にある広がりから考え、討論すべきだ。由来を尋ねない宗教儀式とは違い、焼身には目標がある。多くの犠牲者が遺言で明らかにしているように、チベットの自由とダライ・ラマの帰還などだ。そうであるからには、目標をいかに達成するかを最も考慮すべきではないか。

一般民衆が一つの死でしか力になれないとしよう。もし知識人と指導者が傍観し、死者数の積み重ねが目標達成の助けになると期待まですれば、職責を果たさないことになるし、罪と言ってもいい。知識分子と指導者の役割とは何だろう?知恵を提供することじゃないのか?一般市民の後ろで意味を考えるだけでは駄目で、言葉で理解を示す。そこにどんな知恵があるのか、どんな意味があるのか、あなたは何をすべきなのか、とね。方法を見つけ出し、民族と民衆を目標に通じる道へと導き、最小の犠牲で最大の効果を上げる知恵だ。まさにこの一点で、亡命チベット社会の指導者は果たすべき役割を果たしていないと思う。600万チベット人を代表すると言っている以上、チベット人が一人また一人とこれほど激しいやり方で犠牲になっている時、どう指導者の役割を果たしているのかを人々に見せるべきだ。もし、「焼身が止まるかどうかは中国共産党にかかっている」と言うだけなら、全てはそこで終わる。焼身を手段にしていると思われても仕方がない。

プゥパ:こう書きとめたことがある。「予想されていた1件1件の事件が実際に起きた後、もし道徳的なとがめと悲しみの宣伝、外部への訴え、事実の記録があるだけだとしたら。もし、集団全体の感情と思考が具体的な個人の事件に引っ張られ、疲れ果てたなら。そしてもし、突破口と完全解決の方法について顧みる余裕がないか、もはや自制して客観的に考え、討論できなくなっているとしたら。そうであれば事件は避けようがないし、その効果も時間とともに衰えていくだろう。剣を抜いて自決したチュシ・ガンドゥク(チベット語で「四つの河と六つの山脈」という名前のチベット人ゲリラ組織)の勇士を今、どれだけの人が覚えているだろう?」

王力雄:その考えには賛同する。でも君が先に書いていた「私の家族が焼身の準備をしたいと言ったら、もし本当にそうすることを望んでいるなら、私は見送ってあげるだろう」という話には、率直に言って少し恐怖を覚える。それは単なる表現であって、実際にはそうしないことを願うよ。

プゥパ:本当にそう考えているんだ。ある日、これも一つの選択だと思った時には、私も実行するだろう。きっと死に対する私たちの理解は違っているんだ。

王力雄:焼身者が2000人になれば効果が起こせると言いつつも、ただ横で数を数えているだけの人間もいる。それに比べれば、君は自分もやるだろうと言えるのだから、僕から見ても英雄と言えるよ。

プゥパ:時には、生きることは死ぬことよりも苦しいかもしれない。

王力雄:君は本当にそう考えているんだろう。しかし、炎が皮膚の隅々と細胞の一つ一つを燃やしていく焼身の死は、どうであっても生きることより楽だとは言えないね。

プゥパ:この民族の苦しみ、心に突き刺さるあの痛みを理解し、受け止められる人はとても少ない。

王力雄:君も僕のことをそう思っているんだろう。僕が君とこんな話をするのは、北京人が皮肉って言うような「自分を身内だと思い込んでいる」ってことだとは思ってほしくない。

2012年11月19日  (RFA特約評論)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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