チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年10月29日
ウーセル・ブログ「行方不明のラマ、ゴロク・ジグメ」
ドゥンドゥップ・ワンチェン(刑期6年)がドキュメンタリー「ジクデル(恐怖を乗り越えて)」制作のために様々な人にインタビューすることを手伝った僧ゴロク・ジグメは、これまで何度も拘束され、拷問を受けている。そして、また9月20日に消息を絶ったまま、今も行方不明のままである。
ゴロク・ジグメと直接会ったこともあるウーセルさんは10月17日のブログで、彼の人柄や、失踪するまでの経緯を報告し、「迫害を受けている彼らの運命にどうか関心を持ってほしい」と訴える。
原文:http://woeser.middle-way.net/2012/10/blog-post_3969.html
翻訳:@yuntaitaiさん
ラプラン・タシキルの僧侶ジグメ・ギャツォ。ゴロク・ジグメともいう。撮影場所は彼の僧坊。
9月初めの夜、ゴロク・ジグメの僧坊はサンチュ(甘粛省甘南チベット族自治州夏河県)のある組織に取り壊された。
ゴロク・ジグメの背後に見えるのは、彼が長年にわたって修行しているラプラン・タシキル。
◎行方不明のラマ、ゴロク・ジグメ
「ゴロク・ジグメが捕まったかもしれない」。1週間前、チベット語のアムド方言を話す見知らぬ人が電話であたふたと伝えてきた。ちょうどその時、私は(ラサの)ラモチェ前を歩いていて、数人の特殊警察がチベット人の若者2人を取り囲み、身分証をチェックするのを見かけたところだった。「いつの話ですか?」と私は声を大きくして聞き返した。だが、近くの商店から流れてきた中国語ヒット曲の音量の方が大きかったため、何を言っているのかはっきり聞き取れないまま電話は切れてしまった。
すぐさま私はゴロク・ジグメの携帯電話に連絡したが、聞こえてきたのは「電話はお止めしています」という音声案内だった。
ゴロク・ジグメはゲルク派6大僧院ラプラン・タシキルの僧侶だ。フルネームはジグメ・ギャツォといい、今年で43歳になる。出身地は四川省カンゼ・チベット族自治州セルタ県。この地は伝統的に「ゴロク・セルタ」と呼ばれ、遊牧業を中心とするゴロク地方に属している。寺院内には同じ名前を持つ僧侶がとても多い。例えば、何度も逮捕され、刑罰を受けようとしている前寺院管理委員会副主任のラマ・ジグメだ。彼の法名もジグメ・ギャツォという。だから区別のためにそれぞれが違う呼び名を持っている。ゴロク・ジグメとは、ゴロク・セルタから来たジグメという意味の呼び名だ。
ゴロク・ジグメは2008年と2009年の2度逮捕されている。農民出身のドゥンドゥップ・ワンチェンによるドキュメンタリー映画「恐怖を乗り越えて」の撮影を手伝ったことが主な理由だ。これは本土のチベット人が初めてチベットの真実と証言を記録したドキュメンタリー映画だ。取材を受けたチベット人にはゴロク・ジグメの父も含まれており、涙で声にならない様子でダライ・ラマ法王への思いを訴えていた。ドゥンドゥップ・ワンチェンはこの映画制作を理由として、国家政権転覆罪で懲役6年の判決を受けた。ゴロク・ジグメは残酷な刑罰をたっぷりと受けて病気を抱えるようになり、私が昨年初めに会った時には寒さで全身が痛み、歩けないほどだった。
ゴロク・ジグメがまた牢獄につながれたとは信じたくなかった。彼は先月、何か困ったことはないかと電話で私に聞いてきたばかりだった。実際、彼はいつもそんな調子だ。友人の安否を気遣っても、自分のぶつかっている困難には全く触れない。性格は明るく、声は朗らかで、丸い顔にいつも笑みを浮かべていた。ゴロク・ジグメに会ったことはあっても深く理解していない人にすれば、責任感あふれる彼がかつて残酷な刑罰で九死に一生を得ていたとはまるで想像できない。ちょうどその時期、彼の父は心労のため病気になり、彼が釈放されてまもなく亡くなった。
2日前、ゴロク・ジグメに関する情報が私たちの共通の知人から寄せられた。計り知れない危険に満ちており、憂慮に堪えない話だった。
この情報によれば、9月初めの夜、ラプラン・タシキルの地元サンチュ(甘粛省甘南チベット族自治州夏河県)のある組織が突然ショベルカーを出し、ゴロク・ジグメの僧坊を取り壊した。彼らは所属先を全く明かさず、取り壊しは政府の都市建設と関係があるのだと話すだけだった。ゴロク・ジグメの僧坊はとても小さかったし、ラプラン・タシキル全体でほかに壊された僧坊は無かった。彼はショベルカーが迫り来る時に必要な物をあわただしく運び出し、仲間の僧侶の部屋に居候するしかなかった。
ゴロク・ジグメは幼年時代にこの著名なラプラン・タシキルに来ており、古参の僧侶と言ってよい。僧坊が壊された時、彼は一時的に別の僧坊を借りようと寺院管理委員会に頼んだが、きっぱりと拒否された。彼は9月20日、蘭州(甘粛省の省都)のチベット人家庭に請われてお経を唱えに行き、翌日ツウ(甘南州合作市)で用事を済ませて一晩滞在した。22日、ラプラン・タシキルに戻る途中で行方不明になり、今も消息が途絶えている。
「ゴロク・ジグメは公安に連れ去られたんじゃないかって話だ。今回捕まった理由は分からないけど、18大(中国共産党第18回全国代表大会)と関係があるかもしれない。たぶん僧坊取り壊しはセットになった動きだし、安否がとても気になる」。情報を伝えてくれた友人はそう話した。
私は以前、「高僧が残虐な刑を受けたり、失踪させられたりした事件」というブログ記事(http://woeser.middle-way.net/2012/01/blog-post_25.html)で次のように書いた。「彼らは皆、私たちの文化では仏法僧の三宝の一つ、『僧宝』として尊ばれている。私たちにとって、全ての僧侶は深紅の大切な宝物だ。それにもかかわらず、今日では誰もがおとしめられ、憎まれ、肉体的に消されることまである。私たちのリンポチェやゲシェ、ケンポ、ラマ、そのほかの全ての僧侶をこのように扱っているのは、もちろん誰か一人ではないし、一握りのグループでもない。それは一国の政府だ。迫害を受けている彼らの運命にどうか関心を持ってほしい。彼らとほかのチベット人僧侶たちの苦しみは決して偶然のものではないし、決してごく一部のものでもないのだ」
2012年10月11日、ラサにて (RFA特約評論)
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)