チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年10月27日
25日、ディル県で2人焼身、1人死亡 2日間に4人
追加写真、ディルで焼身した2人の内の1人テンジンの生前の写真(8年前のもの。彼が一時所属していたスジャスクールから独自入手)
昨夜書いたブログでVOAが伝えた情報を元に「1日に4人焼身」と書いたが、今日になり、ディル県の焼身は26日ではなく25日に起ったものと判明した。訂正、謝罪し「2日間に4人」と言い直す。
今日付けTIbet Times 等によれば、25日現地時間午後4時頃、カム、ディル・ゾン(チベット自治区那曲地区比如県)ぺカル郷ナクロ・タンパ村(བན་སྒར་ཤང་ནག་རོག་ཐམ་པ་གྲོང་唐巴村)で2人のチベット人若者が抗議の焼身を行い、内1人が死亡した。
焼身したチベット人はツェポ(ཚེ་སྤོ་)20歳とテンジン(བསྟན་འཛིན་)25歳。2人は従兄弟同士であり、一緒に焼身した。場所はナクロ・タンパ村第2地区にある学校付近(Free Tibet によれば、政府庁舎の前)。2人は焼身しながら「チベットに独立を!ダライ・ラマ法王をチベットに!チベット人は全員兄弟のように団結してほしい!」と叫んだという。ツェポは病院に運ばれる途中、死亡。テンジンは部隊に連れ去られ生死不明と。
2人は地元ナクロ・タンパの出身。ツェポは父ブチュン、母ガガの息子。テンジンは父ニマ、母ルクゲの息子。テンジンは2008年にインドに亡命し、ダラムサラのソガ・スクールで1ヶ月間だけ学んだことがある。
ディルは2008年以降、抗議デモが続き、常に厳重な統制下にあった。これまでに多くの者が逮捕され、刑期を受けている。特にディル出身の作家グドゥップが10月4日にナクチュ(那曲)で焼身した後には弾圧はさらに激しくなり、このナクロにも大勢の部隊が派遣され、携帯電話が取り上げられたり、拘束される者が出ていた。
例えば>「ディルでチベット語・文化を擁護した若者中心に1000人以上拘束される」http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51758862.html
焼身後、情報網が遮断され、情報が非常に入りにくくなっているという。
チベット自治区内の焼身抗議者はこれで7人となった。内地焼身抗議者64人、内死亡確認53人。
10月20日から26日までの1週間の焼身抗議者は7人。20日にサンチュでラモ・キャプ(28)、22日にサンチュでドゥンドゥップ(61)、23日にサンチュでドルジェ・リンチェン(57)、25日にディルでツェポ(20)とテンジン(24)、26日にサンチュでラモ・ツェテン(24)とツェパック・キャプ(21)。
参照:27日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6820
27日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/9510-sss
27日付けFree Tibet英語版http://freetibet.org/news-media/pr/tibetan-cousins-call-independence-they-set-fire-themselves-6th-and-7th-self#.UIvx0kJFky6
2009年以降、焼身したチベット人67人(内地64人、外地3人)のリスト:10月28日更新分
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51757842.html
追記:テンジンの写真は29日に、私が世話しているスジャスクールの子が送って来たもの。学校の記録から探したとのこと。その子はこの焼身した2人と同郷、村まで一緒である。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)