チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年9月25日
「第二回特別会議」始まる
ダラムサラでは今日から4日間、これからのチベット亡命社会全体の行動計画を練るという大事な会議が開かれる。
「第二回特別会議」と名付けられるこの全体会議は、世界中に散らばるチベット人の代表が集まる大きな会議である。第一回特別会議は2008年にダライ・ラマ法王の呼びかけにより招集され、「中道」か「独立」かという政治的路線について話合われた。そして、それまでと同じく「独立」を求めないという「中道」路線が決定された。今回の主題は「チベットの緊急事態を受け、世界にチベットの現状を訴えるための行動計画を決定する」というものである。議長は今日のスピーチの中で今回は「路線論争により時間を無駄にしてはならない」と釘を刺し、「非暴力による、法律に従った、品位あるキャンペーンについて話合うべきだ」と述べた。
チベットの歴史上例を見ない焼身という抗議方法が2009年に始まり、これまでに政府発表で51人が自らの身体を灯明と化し中国の圧政に抗議し、自由と、ダライ・ラマ法王のチベット帰還を究極的方法で訴えた。さらに、今年に入っても、各地で抗議デモが頻発し、当局の発砲により死傷者が多数出ている。ダライ・ラマ法王から政治的権限を完全に移譲されたセンゲ首相が就任した後、この焼身抗議は益々頻度を増し、彼が就任して後40人以上が焼身している。新内閣、新議会は何とかこの犠牲者に報いるために、問題を解決するための結果を出さなければならない立場にある。政府に対する期待と圧力は増すばかりだ。もちろん、センゲ首相始め政府も議会も、そして各NGOも世界中を駆け回り、支援を訴え、欧米を中心にそれなりの反応を引き出している。しかし、各国の「中国非難決議」は言葉だけに終わり、実際の行動には繋がっていない。中国との「対話」も途切れたままだ。
そこで、政府と内閣は、(批判が政府や議会に集中することを避けるためにも)この際、広く亡命社会全体から、これからのキャンペーンのアイデアを募集しようということになったのだ。
会議には26カ国から432人が集まった。9時半にTCVホールで始まり、まず法王の写真が玉座に招聘され、首相と議会議長が入場した後、国家斉唱。そして、これまでの犠牲者への1分間の黙祷が捧げられた。今回会場となったホールには51人の焼身抗議者をシンボライズするために51本のチベット国旗が掲げられていた。今回の会議は何よりも自らの命を捧げたこれらの人々の「死を無駄にしない」ためには、どのような行動を起こすべきかということが主題と言ってもいい。非常に重い課題であり、相手が中国ということで非常に困難な課題でもある。
センゲ首相はスピーチの中で「我々の世代はこの地上からチベットが抹殺されるというチャレンジを受けている。我々はチベット内地のチベット人を助けるために更なるキャンペーンを行わねばならない」と述べ、最後に「50人以上が焼身を行ったということは間違いなく、チベットの歴史に残ることだ。これに対し我々自由社会に暮らすチベット人たちが、どのような行動を行ったかということもまた歴史に残る。智慧を出し合い、恥ずかしくない行動を取らねばならない」と訴えた。
午前の全体集会の後、昨日DIIRが発表したビデオ「焼身の問いかけ」が上映され、さらに8月に拘束された歌手プルジュンの「法王とセンゲ首相を讃える歌」が紹介された。
厳しい表情でセンゲ首相のスピーチに耳傾けるキルティ・リンポチェ。
今回の会議にはオブザーバーとして台湾から48人の使節団が来られている。お坊さん以外は全員黒のスーツ。
チベメディアの友人が複数、私に「ナガハ・ラ、かれらに喧嘩売らないのか?尖閣島は日本の領土だとはっきり言わなくっちゃ」とけしかける。
他には「早く中国と戦争してこてんぱんにしてくれ。そうすりゃ俺たちにもチャンスが廻って来るからな」というやつもいた。
日本からの参加者はこの写真に写ってる在日チベット人会代表のロプサン・イシェさんと北海道におられるンガワンさん。ンガワンさんの奥さんもオブザーバーとして来られていた。東京ダライラマ事務所代表のラクパ・ツォコさんの姿は見かけなかった。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)