チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年8月25日
ウーセル・ブログ「ラサの新しい姿から」
ウーセルさんは今、ラサに居られるはずだ。今月半ば、旦那さんの王力雄さんと他の友人2人と共に、北から陸路でラサに入ろうとして、ラサの手間の検問に引っかかり、数時間拘束されている。以前ラサに行かれた時も公安から呼び出され、以後厳しく監視されている。今回、無事であることを祈るばかりだ。
ウーセルさんは7月15日付けのブログでラサに関する記事を書かれている。旅行中にも関わらず@yuntaitaiさんがこれを翻訳して下さった。
原文:http://woeser.middle-way.net/2012/07/blog-post_15.html
写真は「最近のラサ」、全て元記事より。
一、江蘇路
( この部分は以前当ブログhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51661009.htmlで紹介したのとほぼ重なっているので省略)
二、太陽島
ラサ南部の太陽島にはずっと関心を持っていた。ラサ全体で最も奇妙な一角であり、今日のラサの縮図と言っていい。外国メディア記者や外国人旅行者に大いに推薦する価値がある。
ここは以前、「ジャマリンカ」(ほうきを作れる野草が生えた林)と呼ばれていた。樹木や砂州、ラサ河の静かな流れがあり、小さな橋の両側には何重にもタルチョが掛けられていた。ここはまた、「泥棒の隠れる庭園」を意味する「クマリンカ」の呼び名でからかわれていた。1994年、チベットで最も有名な漢人画家の紹介により、アモイから来た開発業者が当局と協力し、自然の庭園をカジノへと変えた。その後、中国内地の富豪が中和国際城に改築した。ここはすぐにラサで最も大きく、最も大っぴらな歓楽街になり、1000人以上の売春婦が集まるようになった。
ラサのセックスワーカーに関するネット上の調査報告によれば、「貧乏人は第2環状線をぶらつき、中産階級は天海夜市に行き、富裕層は太陽島に詣でる」という言葉がラサで広まっているという。そして調査報告は「ラサの第2~第4環状線には、四川省や重慶市、湖北省、湖南省から来た少女や若い既婚女性、中年女性までもが無数に散らばっており、ラサ全体で独特の風景を形作っている」(注1)と書く。深センからラサに来た漢人の遊び客は得意気に買春の心得をネット上に披露していた。「中和国際城はラサの本物の歓楽街で、高級から中級、低級まで全てそろっているね。ネパール人やロシア人もいる。でも外国のは高くて不細工だし、国産品を支持するようアドバイスしておこう。どれだけ女性がいるのかは数えてないけど、どちらにせよ中和国際城の5キロ四方で一番多いのは肉屋さん(売春業者)だね、ハッハッハ」(注2)
太陽島ではこのほか、各地の風味を楽しめるレストランやチベタン・マスチフ販売センター(壁にはパンチェン・ラマ10世の大きな写真が掛けられ、机には額縁に入った毛沢東の肖像が置かれている)、四つ星ホテル(洋食や中華、チベット、インドの各料理などを味わえる)、アダルト・グッズ店、ラサ民族文化芸術宮、ラサ市政府臨時弁公室などが入り乱れている。
以前、「人民公社」という名のレストランに行った。内部には毛沢東像が置かれ、毛沢東語録が飾られていた。服務員は毛沢東バッジ付きの緑色の軍服を着ていて、紅衛兵のようでもあり、革命映画に出てくる国民党のスパイのようでもあり、妖怪のようでもあった。白いカタを掛けた毛沢東像の両側には、「農奴から解放されて毛沢東を忘れず」「豊かになって鄧小平を忘れず」と書かれた対聯があった。レストランを開いた経営者は鄧小平の故郷から来たといい、見たところ確かに豊かになったようだ。
民族文化芸術宮では、官民が提携して世に出したミュージカル「ヒマラヤ」を見た。基本的に出演者は内地から来ていた。内容は雑技や手品だ。インド舞踊やタイ舞踊、中東のベリーダンスをミックスさせたような、実は性的な意味を持つ踊りも含まれていた。このほか、青蔵鉄道や五星紅旗、オリンピックの聖火も登場した。無かったのは起立と国歌斉唱を求められることぐらいだ。特にひどかったのは、何々ドルマと名乗る「チベット族少女」が観客をステージ上に招いた時のことだ。もし三つの条件に応じれば、ステージに上がった男性漢人は「グゲ王国の国王」になれるという。もし応じなければどうなるか。「チベット族少女」は甘ったるい調子で、「五体投地の刑に処す」と宣言した。
これは非常にでたらめなせりふだ。「チベット文化をリードする」と称するこのミュージカルはすぐにボロを出してしまった。五体投地とは何か?体を投げ出した距離だけ進む方式によって、どんな人たちが聖地ラサまでの長い道のりを測るのか?彼らが皆、懲罰を受けているとでも言うのか?彼らはどんな罪を犯したのか?チベット人にすれば、五体投地をしていのるは素晴らしい巡礼者だ。彼らは肉体を痛める苦行によって敬虔な信仰心を表現する。頭を下げ、敬意を表する価値がある。しかし、チベット文化の記号が氾濫する寄せ集めの中では、はかり知れない功徳を意味する神聖な行為は逆に「懲罰」と見なされる。冗談だとしてもあまりに度を越している。本物のチベットはこうした笑いの中、はっきりと低く評価され、辱められ、冒涜されている。
(注1)東方社工論壇 http://eastsw.5d6d.net/thread-22264-1-1.html
(注2)全民論壇 http://www.publicbbs.com/BBSdetail.aspx?id=10728
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)