
チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年6月23日
ウーセル・ブログ「炎の中のサカダワ」
6月19日付けウーセルさんのブログより。
原文:http://woeser.middle-way.net/2012/06/blog-post_19.html
翻訳:@yuntaitaiさん
今日6月19日はチベット暦4月の1カ月間にわたる「仏月」、サカダワの最後の1日だ。今年はこれまでのチベットの歴史にない炎の中のサカダワだった。
◎炎の中のサカダワ
サカダワに入る前から既にラサとチベット全土のムードは昔よりも緊張していた。土着の伝統的な祭日であれ、押し付けられた外来の祭日であれ、流行の言葉を使えば全てが実質的に敏感日となっている。
敏感日のほかに敏感月もある。例えば3月は敏感月だ。1959年からの数十年間、多くの大事件はいつも3月に起きてきたからだ。1カ月にわたるサカダワももちろん敏感月だ。信仰者として敬虔に仏事を執り行う数千数万のチベット人の精神は、物質至上主義の無信仰者が全く持ち合わせていないものだ。喜んでそれを見ようとは全く思っていない。
案の定、チベット日報はサカダワの2日目、チベット自治区の紀律検査委員会と監察庁の通知を突然載せた。「数日前に出されたもの」と説明しており、サカダワ前に発表されていたのは確かだ。通知はサカダワを「反分裂闘争」と結びつけ、「反分裂闘争にはどんな動揺も決してあってはならない」「サカダワ期間中、全自治区で大きな事件も中規模の事件も起きないように。小さな事件もできるだけ起きないように」と求めている。こうした戦闘的な発言は、本来は宗教的な意義を持っている祝祭日をただちにきな臭いものに変えた。
見たところ、通知は「党員幹部」「退職した党員幹部」「共産党員、国家公務員、学生」と共産党員の「家族と周囲の者」などに向けられている。実際、対象の範囲は広く、言葉は威嚇に満ちている。ごくごく短い通知の中で、「サカダワなどの宗教活動に参加しない」、または「参加してはならない」と3回も書かれている。「(参加の事実が)明らかになれば、厳粛に当人を処分した上で、所属組織の指導者の責任を追及する」とまではっきり書いている。
興味深いのは、警告されている「党員幹部」「退職した党員幹部」について、「ダライに追随する」だけでなく「公然とダライに追随」「出国してダライを拝んだ」などと通知が何度も叱責し、「法に基づいて厳粛に処理する」と表明していることだ。これは恐らく、チベット人に対するダライ・ラマの求心力を当局がメディア上で初めて公に認めたものだろう。体制内の公職を持つチベット人であっても、「追随」する気持ちを持つだけではなく、「追随」する行動を取ると認めている。これは「反分裂闘争」が実は人心を失っていることを意味する。だから当局はなりふり構わず堂々と、自ら制定した一国の憲法に背き、メディアの場で公然と宗教活動を禁じる指令を出したのだ。
このことで、3年前の2009年に書いた「今年のサカダワの真相」という文章を思い出した。思い出さなければ、私たちの生活にどれだけ多くのでたらめがあるのか、奪われる者の反抗はどれだけ勇敢なのかということに気付けなかった。当時メディアで禁令は出されなかったが、会議による伝達などのやり方で「禁令は各レベルを含んでいた。古くさい主張の繰り返しだが、そこに含まれる恫喝と恐怖はチベット人だけが身をもって理解していた」。だが、チベット暦4月15日のあの日、カムパを中心とする200人以上のチベットはポタラ宮に向かって「ラギェロー!(神々に勝利を)」と叫んだ。これで牢獄につながれたチベット人もいた。
そして今年のサカダワの6日目、神聖なジョカンと鎮圧の任務を負うバルコル派出所の間で起きた出来事だ。紛れもない巡礼路であり、商業地区、観光スポットでもあるため、厳戒態勢の軍警がすき間なく配置されているバルコルでの出来事だ。2人の若者が、ラサで働くアムドのチベット人が、炎に身を包んで抗議した。1人は犠牲になり、1人は負傷したが、けがの程度は分かっていない。これは実質的に、命を代償にして今日のチベットの状況を明らかにした行為だ。良心を持つ人々は悲しんでやまず、悪事を働く者は狂ったように報復する。
直後のサカダワ9日目、子ども3人の母リキョがアムドのザムタンで焼身抗議し、犠牲になったという痛ましいニュースが伝わってきた……。しかし数日後、官製メディアはまたもや次のようにニュースをでっちあげていた。「チベットのサカダワが最高潮を迎え、万単位の信徒がコルラし、仏を拝んでいる」。まるで何も起きていないかのように。まるでチベット人は「幸福感最強」であるかのように。
2012年6月7日 (RFAチベット語)
筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)