チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年4月25日
パンチェン・ラマ11世の誕生日 拉致から17年
今日はパンチェン・ラマ11世、ゲンドゥン・チュキ・ニマ(ジェツン・テンジン・ゲンドゥン・イェシェ・ティンレー・プンツォック・ペルサンポ)の23歳の誕生日だ。彼は1995年5月14日にダライ・ラマ法王により正式に故パンチェン・ラマ10世の生まれ変わりとして認定された3日後に、家族共に中国当局により連れ去られ、未だ確実な消息は全く得られていない。連れ去られた時、彼は6歳だった。それから17年が経った。
チベット亡命政府や支援団体はもちろんのこと、多くの外国外交官や国連が中国に対し、ニマ少年の消息を明らかにするよう重ねて要求しているが、中国はこれまで一度も証拠を伴った回答を行っていない。中国高官のニマ少年に関する最後の言及は2010年3月、チベット自治区主席ペマ・ティンレーが外国レポーターの「今、ニマ少年はどこにいるのか?」という質問に対し「ゲンドゥン・チュキ・ニマは家族と共にチベットで普通の市民として幸福に暮らしている」と答えたとされるものだ。もちろん、この時も何の証拠も示されなかった。
ほとんどのチベット人たちは、先代のパンチェン・ラマ10世は中国当局により毒殺されたと信じている。これと同じように、11世も家族もろとも既に殺されているのではないかと考えるチベット人は多い。ニマ少年を探し出したタシルンポ僧院の高僧チャドル・リンポチェもニマ少年の拘束と同時に行方不明となり、その後6年の刑を受けた。刑期が終了したはずの今も彼とその他捜索に関わった人々の消息は途絶えたままだ。最近、チャドル・リンポチェは「死亡した。毒殺されたのだ」という噂が流れたが、真相は不明だ。
中国当局はニマ少年を消し去ったその年に、共産党幹部の子であるギェルツェン・ノルブという少年をパンチェン・ラマ11世として選出した。宗教を否定し、仏教に対し何の信も持たない政府が生まれ変わりを見つけたというのだ。彼は今、政治局員にされ、ことあるごとに中国政府の手先として利用されるしかない運命に陥っている。ほぼすべてのチベット人はダライ・ラマ法王が選んだニマ少年を本物のパンチェン・ラマと信じ、中国政府が選んだパンチェン・ラマを偽物と言う。
チベット人はダライ・ラマを太陽、パンチェン・ラマを月と喩え、命を守るなくてはならない存在と見なして来た。夜の暗闇を照らす月であるパンチェン・ラマは中国により消されてしまったままである。
ニマ少年の誕生日に合わせ、アメリカ共和党リーダーのナンシー・ペロジ女史は声明を発表している。「(ゲンドゥン・チュキ・ニマの)誕生日を機会に、我々は中国政府に対し(チベットに対する)宗教弾圧を終わらせ、ジャーナリストや国際調査員が地域に入る事を許可し、幼少時に拉致されたパンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チュキ・ニマを含むチベットの政治犯を解放することを要求する」
参考:タシルンポ僧院声明「パンチェン・ラマ11世23歳の誕生日に」http://www.phayul.com/news/article.aspx?c=2&t=1&id=31284&article=Official+Statement+of+the+Tashi+Lhunpo+Monastery+on+the+23rd+Birthday+of+His+Holiness+the+11th+Panchen+Lama
TWA(チベット女性協会)がニマ少年の写真を前にバースデーケーキを贈る。(写真提供@Tentshe)
ダラムサラでは朝から主なNGOが合同で「中国大使館に対しニマ少年の消息を尋ねる」ための署名活動を行っていた。夕方には彼の解放を訴えるキャンドル・ライト・ジビルが行われる予定。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)