チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年12月18日
チベット本土で最初の焼身抗議者僧タペーの生存が確認された
参照17日付けphayul http://p.tl/XQF4
本土最初の焼身抗議者であるキルティ僧院僧侶タペーは、焼身中銃撃を受けそのまま保安部隊に連れ去られたまま3年間近く行方不明となっていた。一時は死亡したのではないかともお思われていたが、今週ウーセルさんが彼の消息を伝えた。
ウーセルさんによれば、僧タペーは現在カンゼチベット族自治州バルカム地区の軍病院に収容されているという。「足には銃弾の跡がはっきり残り、両足共に麻痺し使えず、手もほぼ麻痺状態」と報告される。
病院には母親が付き添っているが、彼女も病院外にでることは禁止されている。1人の叔父だけが面会を許されているという。
僧タペーは2009年2月27日、ンガバの大通りで法王の写真を頭上に掲げ、スローガンを叫んだ後、ガソリンを被り焼身した。駆けつけた保安部隊は彼を倒すために、足に銃を打ち込んだ。
彼が焼身抗議を行う以前にはチベット本土で中国政府への抗議を行う目的で焼身するという例は皆無であった。今年3月16日にはこの例に習い僧プンツォが抗議の焼身を行い、その後焼身という究極の手段が新しい抗議のトレンドとなった。今月1日には13人目となる元僧侶テンジン・プンツォの焼身抗議があった。この内7人が死亡し、5人が行方不明、1人が僧院内で治療を受けている。その他、1998年のトゥプテン・ンゴドゥップの焼身抗議死亡を含め、インドで2人、ネパールで1人のチベット人が中国政府に対する焼身抗議を行っている。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)