チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年7月19日
雲南北部旅行その8:聖滝へ(前編)
氷湖に行った次の日、今度は同じく一日トレッキングだが、こちらは楽という聖滝へ向かった。写真は朝焼けのレプバム村と山。
ルートは一旦、下レプバム(雨崩)村まで下りてそこからゲワリクガ峰(ジャワリンガ、五冠神山、5470m)とメンツンモ峰(神女峰、6054m)のベースまで川沿いに谷を登るというもの。
この道にはチベット人巡礼者が多かった。年寄り中心でやはりラサ方面から来たという人が多い。
このカワカルポ連山(梅里雪山)にはグルリンポチェとカルマパ?世にまつわる聖地が沢山ある。めざす滝もグルリンポチェが修行した場所と言われているらしい。ラサ辺りからこっち方面に来たチベット人巡礼者のほとんどはこの滝を巡礼最後の場所とするそうだ。今も数ヶ月をかけここまで歩いて来る巡礼者がいるそうだ。きっと五体投地の人も稀にいるかもしれない。
とにかく、この山はチベット人に取っては聖山中の聖山。至る所でいろんな不思議なものが見えるらしいのだ。
グルリンポチェが修行したという洞窟には不思議な吊り下げものがあった。きっと巡礼者が結び付けていったと思われるが、数珠と一緒に石が結ばれている。数珠で石を結んだのもある。
以前に見た事がないような、、、珍しい願掛けのスタイルだと思った。
意味を知っておられる方は教えて下さい。
しばらく行くと川辺りに、昨日見たのと同じような積み石が並んでいる場所があった。意味は不明。自然の中の人工物なので特別の意味があるだはずだが、、、仏塔にも見える。
が、意味を知らない異邦人であっても、何だか上にもっと積んでやろうという気が起こるものだ。そのときついでに何か祈りたくなるようなそんな綺麗な場所だった。
写真奥に岩壁を流れ落ちる滝が数本見える。右手前が目指す聖滝。
道の両脇にタルチョが続く。
雪渓の上のヤク。よく見るとディ(メスヤク)が雪の上で子ヤクに乳をやっているのが分る。
滝の高さは6~70mか?滝壺から外に向かって強い風が吹き、水しぶきで近寄れない。
お調子者のヨハネスがこの風としぶきに逆らってどこまで滝壺に近付けるか?をトライ。しぶきに負けず石が積まれていたり、カタが掛けられていたりする。
この後、彼は彼女が「私の傘が壊れそう!もう止めて!」と言うのを聞き中断。彼女はちょっとむつかしいタイプの女性なのだった。
この滝壺からのしぶきが目当てと思われるツバメの群れ。
ここで、絶壁に張り付くという「ツバメの巣」、の料理が話題となり、「中国人は何でも手に入れるのが難しい食材を味に関わり無く偏愛する」と結論。
この辺では夏なのに雪渓が3200m辺りから現れる。帰りは雪渓の上を歩いたり滑ったりして途中まで下りた。
ここも誰か聖人にゆかりの地なのか?
要らなくなった服を捨てるとき木の上に掛けるという習慣がチベットにあるが、この木に掛けてある服や帽子、パルデンはどうみても比較的新しいもののように見える。
岩に札を貼付けているのも妙。何か深い意味が隠されているような場所。
滝に近い原っぱに小屋が一つ。別に何を売ってるわけじゃないらしい。喉が乾いていたので、勝手に火のそばに行き、おばさんにプチャ(チベット茶)をねだる。プチャはどこでもただだ。連れの外人は勧めても飲まなかった。
おばちゃんがもう発とうとするころに不意にほらとトイレットペーパーを取り出した。巻物をほどくと中には「ヤツァグンブ/冬虫夏草」が並べてあった。
この辺のもうちょっと上に登った辺りで採れるそうだ。
ちなみに値段を聞くと「一匹20元」とのこと。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)