チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年6月27日
北雲南省旅行:大理編
写真1:聖山カワカルポ(6740m)、5日目の夕方やっと頂上を拝む事ができた。
最近、久しぶりに中国を旅行。
バンコクから昆明に入り、北に向かった。もっとも、12日間だけだったので、チベットの南端をかすめただけで帰らざるを得なかった。今回はチベットの南の聖山カワカルポ(梅里雪山)内院までトレッキングすることで満足することが目的。
本当はもちろんリタン経由でカンゼ州をいろいろ回りたいと思っていたが、ちょうど出発前にその辺りはンガバ問題が故に外人入域不許可と聞いていて大人しく遠慮したのだ。もっともギェルタン(シャングリラ、香格里拉)で北のカンゼやリタンから下りて来た外人に出会った。白人が旅行できてたということだから黄色人種の私などは軽く行けた訳だと、少し悔しくもあった。もっとも今回は2週間のエントリービザだけだったので時間が無かったわけだけど。
昆明の宿/駝峰客桟。ユースホステルのようなところで外人客多し。ここのネット用パソコンはすべて「壁越ソフト」挿入済み。テレビでもBBCが見れる。
6月12日にバンコクから昆明に飛んだ。その後のルートは13日/大理ー>14日/ジャン・サダム(麗江、リージャン)ー>15日/ギェルタン(シャングリラ、香格里拉)ー>16日/ナムカ・タシ(飛来寺、デチェン)ー>(歩き)17日/レプバム(雨崩村)ー>18日/氷湖まで歩きレプバム村に帰るー>19日/聖滝まで歩きレプバム村に帰るー>(歩き)20日/ナムカ・タシー>21日/ギェルタン(香格里拉)ー>22日(フライト)昆明ー>(フライト)バンコク。
このルートをこれから辿る人もおられるかもと、今日から観光ガイド風に各地の写真を順に紹介させて頂く。
今回は大理編。
大理と言えば、この三塔寺が有名。「首塔は千尋塔と呼ばれ、高さ69.13m、十六層の方形密檐式の塔、西安の大・小雁塔と同様の典型的な唐代様式の塔である」そうだ。驚くべきはこの塔は約1100年前のオリジナルそのものと言うこと。度重なる地震に耐えて来たそうだ。
「南北には八角形小塔があり、 大理国の時代に建てられた重塔。小塔がいずれも10重で、高さ42.19Mで、塔身は仏像、蓮花などを精緻な彫刻で飾られます」とのこと。地震でこの2つの塔は傾いている。
もっとも、私はここを尋ねていない。麗江行きのバスの中からこの写真を撮っただけ。
以下旅行人ノートの大理の説明「雲南省大理ペー族自治州の州都。中国とインド、ビルマを結ぶ『西南シルクロード』の要衝として発展した。7世紀以来、南詔国、大理国の都として長らく栄えたが、13世紀に元朝のフビライ・ハン軍により滅ぼされ、雲南の中心は昆明に移った。現在住んでいるのはペー族以外に、漢族、イ族、チベット族、リス族、ミャオ族など。」
昆明から大理へのバスの車窓より。その辺の民家。昔(26年前)昆明を訪れ、大理にも行こうかと思った事があったが、大理までバスで山道を12時間以上と聞きバスに弱い私は諦めたということを思い出す。今は大理まで立派な高速道路が通じ4時間ちょいで着く。
窓の空かない高速バスで運ちゃんがしょっちゅうタバコを吸うのに、中国を感じたが。
バスは「大理」行きと書いてあるのに、手前の「下関」までしか行かなかった。バス停をでたところで大理までのタクシー運ちゃんの客引きに囲まれ、その中で一番安かった「40元!」のおっさんをさらに「30元!」に値切り決定。しかし、そのタクシーに近づくとそれは何とバイクタクシーと判明。「荷物どうするの?」というと「問題なし」と後ろにゴムバンドで装着。ま、いいかと走り出す。走りながら、ヘルメットを渡される。その内雨が降って来た。今度は走りながら雨合羽が渡される。道は広く、そうとう飛ばしている。走りながらこれを着る事は至難の技だった。大理までまだ30分という。さすがに雨足が激しくなり、途中のチャイヤに一時非難。やっと大理古城の城門が見え、そこで降ろされる。
大理で泊まった宿。伝統的四合院様式の建物。設備のみモダンにされてた。
大理はもちろん「大理石」の名前の元になった位で大理石でも有名。町のあちこちでガラスケースに入った石が売られてた。切り口の模様を絵画として楽しむようだ。水墨が的な模様が主流だったが、この一枚はモダンアート風。もっとも色はすべて自然なのか、適当に着色したのか不明。
食べ物屋さんの前に並べられた食材。
松茸のように見えるキノコがある。見た事ない(水)草がある。その他、湖でとれる、ドジョウやフナ、タニシや大きなドブ貝の一種も並べられてた。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)