チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年6月20日
ンガバ・キルティ僧院僧侶50人が撲打される(2008年9月)
ンガバのキルティ僧院はかねてより当局の弾圧の対象となって来た。その理由として考えられるのは:
1、キルティ僧院はアムド地方で30近い支院を持ち、もっとも多くの僧侶を抱えるゲルク派の僧院。ンガバはその拠点。
2、全体のボスであるキルティ・リンポチェは亡命しダラムサラに居られる。ダライ・ラマ法王とも親しい関係にあり、嘗て亡命政府の宗教・文化大臣を歴任した。
3、ンガバは中国による侵略の後、凄惨な虐殺を繰り返し経験して来た。よって住民もキルティ僧院の僧侶たちも反中国の感情を強く持っている。ーーー等である。
以下、このキルティ僧院に関わる2008年9月に起こった事件。
再掲:<アバ、キルティ僧院僧侶50人が武装警官により暴行を受ける>
フリー・チベット・キャンペーンが確かな筋からの情報として伝えるところによれば、
9月24日、アムド、アバにあるキルティ僧院の僧侶50人が武装警官隊により激しい暴行を受け、内4人は重傷を負い病院に運び込まれた。
アバは今年3月16日のデモ以来厳戒態勢の下に置かれている。
このときのデモでは、当局が群衆に向かって発砲し、目撃者の証言によれば少なくとも30人が死亡したという。
(たくさんの犠牲者の死体写真がダラムサラにもすぐに送られて来た)
事の起こりは、まず一人のキルティの僧侶が、外出許可を受けて外出し、夕方帰る途中警官に止められた、彼はその場でリンチにあった。
血まみれでやっと僧院にたどり着いた。
事情を知った仲間の僧侶50人ほどが直ちに近くの警察署に向かった。
僧侶たちは警察署で「なぜ僧侶を殴ったのか?」と聞きただした。
「それについては上司と話ができるように取り計ろう」と警官は答えた。
そうこうするうちにその場に武装警官隊を満載したトラックが2台到着した。
僧侶達は何も抵抗しなかったにも拘らず、警官隊は直ちに僧侶たちに襲い掛かり、全員を打倒した。
内4人は激しい暴行の末、重症を負い病院に運び込まれた。
その4人は僧院長を含む僧院の責任者たちである可能性が高いという。
アバには普段2000人の保安部隊が駐留しているが、3月以降にはそれが10000人増強されている。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)