チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年5月31日
ガンデン僧侶、15年の刑期の末、解放され間もなく死亡
写真は王力雄提供、1991年10月7日に撮影されたガンデン僧院。
5月28日付け、亡命チベット政府オフィシャルサイトによれば、http://p.tl/P1Cu
ガンデン僧院僧侶ジャンパ・ペルサン(བྱམས་པ་དཔལ་བཟང་通称プル)が最近、15年の獄中生活の末、解放されたが間もなく死亡。
彼は1996年に15年の刑を受けダプチ(ダプシ)刑務所(གྲ་བཞི་བཙོན་ཁང་)とチュシュル刑務所(ཆུ་ཤུལ་བཙོན་ཁང་)に服役していた。刑務所内で受けた激しい拷問と非人間的な扱いにより痛ましい死に方をした。
彼は1996年に15年の刑を受けダプチ(ダプシ)刑務所(གྲ་བཞི་བཙོན་ཁང་)とチュシュル刑務所(ཆུ་ཤུལ་བཙོན་ཁང་)に服役していた。刑務所内で受けた激しい拷問と非人間的な扱いにより痛ましい死に方をした。
彼は1996年セラ、ガンデン、デブン僧院で厳しい「愛国再教育」が全面的に行われる前兆の弾圧により逮捕されていた。
1996年5月6日、チベット自治区宗教局はガンデン僧院に作業班を送り込み、そのとき行われていた僧侶たちによる問答大会を中央政府の命令だとして中止することを強要した。
作業班は愛国再教育を開始し、僧院に掲げてあったダライ・ラマ法王の写真を降ろすよう命令した。
しかし、僧侶たちは一団となりこれに抗議し、命令に従わなかった。結局作業班は全員一旦僧院から引き上げた。
直ちに当局は軍隊を送り込み従わない僧侶たちを逮捕しようとした。5月6日~7日に行われたこの弾圧・衝突により2人の僧侶ドルジェとゲレック・ジンパが撃たれ、多くの僧侶が逮捕されたり僧院から追い出された。
ジャンパ・ペルサンはこの時抗議活動を先導したとして逮捕され、刑期15年を言い渡された。他の多くの僧侶たちも様々な刑期を受けた。
彼はまずダプチ刑務所に、次にチュシュル刑務所に送られ、そこで死に瀕するほどの数々の拷問を受けた。
今年5月6日、ついに彼は解放された。すぐに、あらゆる治療を施したにも関わらず17日後に死亡してしまった。
彼はラサ市メルド・グンカル県ディグン・ルンシュの出身。幼少時、ガンデン僧院に入り僧侶となった。
ジャンパのように同じく1996年の愛国再教育により逮捕されたガンデン僧侶テンジン・イェシェも刑務所から解放された後死亡した。
10年の刑を受けダプチ刑務所に服役していたロブサン・ワンチュックは刑務所内で抗議活動を行い、銃殺された。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)