チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年5月30日
チベット憲章改正完了/ダライ・ラマはチベット国家の守護者・象徴
༼ བདེན་པ་ཉིད་རྣམ་པར་རྒྱལ་གྱུར་ཅིག༽ (真理に勝利あれ)と書かれた政府の新しい印章。
5月28日、亡命チベット議会は正式に憲法に相当する憲章を改正しダライ・ラマ法王の政治権限を亡命政府首相らに移譲する法的枠組みを確立した。
憲章第一条によりダライ・ラマ法王は「チベットとチベット人の守護者にして象徴」と定義される。
第一条を以下試訳:
観音菩薩の化身であるダライ・ラマ14世はチベット国家の守護者、保護者である。彼は道を照らす案内人であり、至高なる指導者、チベットのアイデンティティーと団結の象徴にして全てのチベット人民の代弁者である。彼の権威は幾世紀にも渡る歴史と伝統、そして何よりも主権を与えられた人々の意思に基づくものである。故に以下の固有の権利と責務を有する。
1. チベット人民の物質的、精神的、道徳的及び文化的福利を守り増進するための助言と激励を与え、チベット問題の納得のゆく解決へ到達し、チベットの人々が心に抱く目標を達成するための努力に引き続き関与する。
2. 法王自らの発案或は要請により、チベット人民議会、カシャ(大臣室)に対しチベット人民の重要懸案について様々な形の指導を行う。これには亡命コミュニティー及びその諸機関も含まれる。
3. 世界の指導者や他の重要な個人や団体に会い、チベットの人々のために語り、彼らの懸念や利害を説明し話し合う。及び、世界中のチベット人の利害に供するためにカシャ(大臣室)が選出した代表と特使を任命する。
また、議会は政府の名称の変更も決定した。これまでの「亡命チベット政府བཙན་བྱོལ་བོད་གཞུང་」を「チベット人民機構(仮訳) བོད་མིའི་སྒྲིག་འཛུགས་ 」とし、印字等にこれまで使われていたこの別名「チベット政府ガンデンポタンབོད་གཞུང་དགའ་ལྡན་ཕོ་བྲང་ཕྱོགས་རྣམ་རྒྱལ་」に代わり「真理に勝利あれ(仮訳)བདེན་པ་ཉིད་རྣམ་པར་རྒྱལ་གྱུར་ཅིག」とすると決定した。
この最終決定は26日から28日に行われた特別議会によりなされたものだが、これに先立ち21日から24日まで「第二回特別全体会議」が開かれていた。この会議における主要決議は「ダライ・ラマ法王に国家元首要請を行う」ことと「政府の名称は変更しない」ことであった。
しかし、25日に会議参加者全員が法王と謁見した際、法王は即座に「国家元首要請」を辞退された。法王曰く「これまで何度も『私が全く居なくなったことを想定して考えよ』と言って来たはずだ」と。
これで、あえなく第一の決定は退けられた。
また、「政府の名称は変更しない」についても、法王は「インドの中に居る事を考えよ。将来、問題になることも考えられる」と話され、「政府」という単語を含まない案を2つ示された。
法王の示された2つの案とは「གངས་ལྗོངས་རང་དབང་དམངས་གཙོའི་སྒྲུག་འཛུགས་ 雪城(雪山域/チベットの別名)自由民主機構」と「གངས་ལྗོངས་རང་དབང་དམངས་གཙོའི་ལྷན་ཁང་雪城(雪山域/チベットの別名)自由民主委員会」
ガンデンポタンの変更案は24も示された。その中には「བོད་རྒྱལ་ལོ། プギェロー(チベットに勝利を)」なんてのもあった。
これで、第二の決定も危うくなった。
この2つを受け最後の議会が開かれた。首相のサムドゥン・リンポチェは最初に「全体会議と法王の意見の両方を考慮しなければいけない」と発言されている。
法王は議会に「法王の権限」に関する修正案を提出された。
議会は結局法王の意向に沿う形で結論を出した。
元首要請については、これは本人の意思が第一に尊重されるべき事柄なので、拒否されればもう仕方ないと諦めるしかないであろう。それにしても、法王が最初からその意思をはっきりさせておられたなら、ムダな期待や議論を避ける事ができただろうにと思う気持ちも湧く。
また、政府の名称については例えばTJC(Tibet Justice Center チベット法律センター)という法律専門家の団体等も「亡命チベット政府又はチベット中央政府という名称を変更し『政府』という言葉を抜くことは、国際法的にも過去の独立国家チベットの主張を曖昧にし、将来のチベット主権獲得を難しくするものであり、結局ただのNGOになってしまう危険性がある」http://p.tl/r_mSと言ってこれに反対していた。
SFT代表のテンドル氏等もツイッター上で、議会があっさりと名称変更を決定した事に対し、「悲しいことだ。亡命チベット政府からチベット人民機構とは。議会は人民の議会なのだろうか?」と嘆いていた。
サポーターの中には「これは中道政策を体現し、中国にそのサインを送るための名称変更だ。今更驚いてどうする」なんて意見も吐くものもいた。
法王はチベット国家の「守護者にして象徴」という言い方は何だか日本の天皇に対するそれに似てる気もする。
憲章第一章を見る限り、これまで、特に2001年以降首相が直接選挙で選ばれるようになった後、法王が果たされて来た役割と何ら変わりないようにも見える。各国代表にしても今までもカシャが推薦した人を法王は追認していただけだから、これも実質変わらない。カシャはとにかく代表事務所の名称から「ダライ・ラマ」という名前が消えないよう気にかけていたようだ。
政府の名称が変わろうともきっと外国のメディア等はこれまで通り「亡命チベット政府」という名称を使う可能性が高いであろう。気にし過ぎると支援モチベーション低下の原因になるので状況はこれまでと「何も変わらないな~」と思いたい。
参照:政府オフィシャルサイト(英語)http://p.tl/o7FS
政府オフィシャルサイト(チベット語)http://p.tl/RCUl
Tibet Times (チベット語)http://p.tl/o4VM
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)