チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年4月25日
亡命チベット人たちは中国に対しパンチェン・ラマ11世 消息の証拠を求める
世界中のチベット人とそのサポーターたちはパンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チュキ・ニマの22歳の誕生日に当たる今日、「パンチェン・ラマ開放キャンペーン」を各地で行っている。
チベット亡命政府があるダラムサラでは政府外主要5団体合同で、亡命側特使との話し合いを担当する中国政府統一戦線作業部副部長朱维群に宛てた、パンチェン・ラマの所在と安否を明らかにすることを要求する書面への連署活動を開始した。
支援団体はパンチェン・ラマ開放を求めるオンライン・キャンペーンも行っている。(http://p.tl/XXT9 にアクセスすれば、この署名キャンペーンに参加できる)
今日ダラムサラで行われたイベントでは2000年に中国当局の宗教活動に対する干渉から逃れるために亡命したカルマパのパンチェン・ラマ11世へのメッセージも読み上げられた。
メッセージの中でカルマパは若きパンチェン・ラマ11世の安寧への祈りを捧げ、パンチェン・ラマが自由にその宗教的役割を全うできることを希望、彼への連帯を表明している。
パンチェン・ラマ11世、ゲンドゥン・チュキ・ニマは1989年4月25日、チベットのラリ地区に生まれた。1995年5月14日、ダライ・ラマ14世は当時6歳であったゲンドゥン・チュキ・ニマ少年をパンチェン・ラマ10世の転生者であると発表した。
その3日後、ゲンドゥン・チュキ・ニマ少年と彼の両親、家族は行方不明となり、11世パンチェン・ラマ捜索の責任者であったタシルンポ僧院の総院長チャデル・リンポチェと他の捜索隊の数人が逮捕された。
それから16年が経った今もニマ少年と家族は行方不明のままだ。去年チベット自治区書記のペマ・ティンレーは記者の質問に答える形で、ニマ少年に関し「青年である彼はチベットのどこかで、家族とともに楽しい生活を送っている」とだけコメントした。彼の存在に対する何の証拠も示されなかった。
パンチェン・ラマとダライ・ラマは歴史的に、どちらかが崩御した場合、相互に次の転生者を探しだすという役割を担っている。中国はチベット人が誰も信じない偽と呼ばれるゲルツェン・ノルブ少年をパンチェン・ラマとして認定し、政府の重要ポストに就かせている。
ダラムサラでは今朝ツクラカンでパンチェン・ラマ11世の安寧を祈る特別祈祷会が行われた。
亡命タシルンポ僧院がある南インドのバンガロールでは、中国政府に対しパンチェン・ラマの安否の証拠を求めるため、60人の僧侶と約100人の学生が参加するハンストが行われている。
参照:4月25日付けphayul.com http://p.tl/Mwgz
とhttp://p.tl/WmEq
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)