チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年3月28日
チベット百万農奴解放記念日/ウーセル・ブログ「2008年、チベット人は抗議すべきだったのか?」
今日は中国が2009年に制定した「チベット百万農奴解放記念日」。昨日チベット自治区のペマ・チョリン(白瑪赤林)主席はこの記念日のためのテレビ演説を行った。その中で彼は「52年前、中国共産党はチベットの各族人民を指導してダライ・ラマ集団の武装反乱を平定し、民主改革を行い、何千年にも及んだ極めて暗黒で、残酷で、野蛮で、立ち後れた封建農奴制を徹底的に打破し、代々搾取にあえいできた百万の農奴を完全に解放した。これよりチベットは暗黒から光明への一歩を踏み出した」と述べ、
さらに「反逆したダライ集団は民族・宗教・人権の仮面をかぶり、『チベット独立』という祖国分裂の反動的な立場に固執し、自国の歴史を知らず、白黒を転倒し、破壊活動を行い、人民政権を転覆させて政教合一の封建農奴制という暗黒統治を復活させようとたくらんでいる」とダライ・ラマ法王のことを痛烈に批判した。http://p.tl/NpaI
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以下に紹介するのはウーセルさんの3月20日付けブログ。
「2008年,藏人该不该抗议?(2008年、チベット人は抗議すべきだったのか?)」
原文:http://p.tl/1obn
英訳:http://p.tl/KZyP
原文からの翻訳:雲南太郎@yuntaitaiさん<感謝!
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2008年3月10日にラサで始まった抵抗運動はチベット各地に広がった。写真は2008年3月15日、アムドのラブラン(現在の甘粛省甘南州夏河県)で圧迫に抗議するチベット人の僧俗。
◎2008年、チベット人は抗議すべきだったのか?
2008年の血と炎から丸3年になった。多くのチベット人が犠牲になり、多くのチベット人が今も獄中で苦しんでいる。鎮圧者の狙撃主は今もチベット人の頭上に立ち、太陽の光が強く差すたび、銃に反射した光が仏祖に祈るチベット人を突き刺す。これは深い集団的記憶となり、チベット人の心に刻まれることであろう。
チベット人の中からも、抗議すべきではなかったというおかしな声がたびたび聞こえてくる。抗議の結果、容赦ない鎮圧と更に強硬な政策がもたらされ、獲得していた空間まで小さくなってしまったからだという。たとえば、チベットのたくさんの基金は中断されるか契約更新できなくなり、残ったものは絶えず妥協してようやく保っている。
基金やNGOは善行を業務にしているため、政治的に正しい道徳的優位を持っている。善行ができなくなった以上、文句を言われるのは避けられない。しかし、善行をさせないのは抗議者なのではなく、鎮圧者なのだ。こうした鎮圧者への沈黙と抗議者への非難は少し考えてみる必要がある。
政府部門で働くあるチベット人は話す。2008年の抗議に間違いはなかった。内側から言えば、チベット人が心中に長く抑えつけていた民族意識を呼び覚ました。外の世界から言えば、念入りに編まれ、チベット人の顔を覆っていたベールを取り払い、全世界に本当の姿を見せ、心の奥底の叫び声を聞かせた。
チベット人の中学校教諭は話す。苦しみは必ず訴える必要があり、心に埋もれさせてはいけないということを2008年の抗議は教えてくれた。より重要なのは、私たちが責任を持ち、尊者ダライ・ラマや知識分子、エリートに頼らないことだ。これによって、すべての人が権利を勝ち取る道を歩き始めた。
チベット語で活動する作家は話す。2008年の抗議の後、「チベット人は喜びと悲しみを共にする」という言葉が全土に広まった。抗議は誰かが扇動したのではなく、民衆が自ら起こし、自分たちの願いや態度、立場を伝えた。民衆をとても軽はずみな存在とみなし、大所高所から物事を考え、何をすべきかを決められるのは自分だけだと思っている人がいるかもしれない。こうしたエリート意識の持ち主は実際、責任を分担せず、民族の利益への配慮が欠けている。
チベット語で活動する別の作家は話す。2008年はチベットの歴史の一里塚になった。この3年、チベットの様々な分野では、息を吹き返したかのように民族の感情や尊厳が議論されている。チベット人の心を伝える歌「UNITY」が「チベット人よ!一つになろう、一つになろう!もし父の顔に浮かぶ悲しみを思うのならば。チベット人よ!一つになろう、一つになろう!アムド、ウーツァン、カム3地区よ、一つになろう。チベット人よ!一つになろう、一つになろう!もし母の心中の涙
を思うのならば。チベット人よ!一つになろう、一つになろう!」と歌っているように。
影響力を持つある高僧は話す。2008年の抗議に反対する人は少なく、1万分の1ぐらいだ。漢化が比較的進んだ地域や著しく漢化させられたチベット人の間では反対するのだろう。自分の利益のために損得勘定するチベット人だけが反対するのだろう。抗議によってチベット人の境遇は更に苦しくなったが、全民族の民心に向き合えって考えれば、心配するほどの事ではない。民族の利益が大事なのか、それとも個人や団体の利益が大事なのかを問おう。しかも、これは経験を積み、内なる力を蓄える機会でもあり、苦しみに向き合う勇気を増すことができる。
3年前に街頭に飛び出して拘束され、残虐な刑罰を受けた僧侶は話す。2008年の抗議は証拠になった。もし抗議がなければ、中国政府が言うチベット人の「農奴からの解放」や「幸福感最強」が事実になってしまう。しかし抗議があったことで、こうした言説がでたらめだと証明できた。チベット人にそれまで以上の苦痛をもたらし、今後も抗議が勃発することになるだろうが、2008年は一つの勝利だ。チベット人の心中に埋もれていた民族意識を解き放ち、チベット人に将来の希望を見せた。こうした抗議が多ければ多いほどチベット民族にとって有利で、もっと多くの人に真相を見せることができる。もし次の機会が来れば、やはり前面に飛び出すだろう。
2011年3月14日 北京にて
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)