チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2011年1月17日

チベット・アムドから五体投地でブッダガヤに到る

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67047136.jpg1月11日付けRFAチベット語版には短く
http://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/amdolaytsen/amdo-stringer/prostrating-all-the-way-long-from-tibet-to-bodh-gaya-01112011154932.html

チベットから五体投地でブッダガヤに到る
アムド、ホダルにあるアチョック・ツェンニー僧院ཨ་མཆོག་མཚན་ཉིད་དགོན་からブッダガヤまで五体投地でブッダガヤに到着。
とだけ記されており、彼へのインタビューが音声のみで伝えられている。

この僧侶ルドゥップ・ウーセルཀླུ་སྒྲུབ་འོད་ཟེར་がアムドからブッダガヤまで五体投地で来たのはこれで2度目とのこと。
これだけでも考えられないほどすごいと思うのであるが、彼は他にアムドから五体投地を初め、中国の仏教聖地である五台山や峨嵋山をも巡ったという。
彼の話によれば、五体投地で進む彼の姿を見た中国人たちは珍しがり、食事を恵んでくれたり、宿を提供してくれたりと色々親切に面倒を見てくれたという。
また、ある時にはアムドからカイラス往復の五体投地も行ったそうだ。

今回は2008年の1月に僧院を出発し、ラサまで1年数ヶ月。ラサでしばらく休息した後ブッダガヤまでまた1年数ヶ月掛かり、結局アムドを出て3年ほどでブッダガヤまで到達したとのこと。
彼は巡礼ビザを取ってインドまで来たが、実際ネパール国境のダムを通過する時には税関の者たちも唖然として見守るばかりで誰も止めなかったという。

ブッダガヤからまた同じく五体投地を続けてアムドまで帰るそうだ。
目的は?と聞かれ、彼は「全ての有情の幸福を祈るため。ダライ・ラマ初めラマたちの安寧と長寿を祈るため」と答えている。

RFAの人の話によれば、他に法王に会うために同じくアムドからダラムサラまで全行程五体投地で来た人がこれまでに3人いるとのこと。
1人はキルティ僧院の僧侶でアムドのキルティ僧院を出発しダラムサラまできた。今もダラムサラのキルティ僧院にいるという。
後の2人はアムド、ゾルゲからきた夫婦だそうだ。

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今日、ちょうど最近友人が日本から持って来てくれた噂の探検物「空白の五マイル」を読んだので、ちょっと思った。
確かに、角幡唯介氏の探検への意欲や危険を顧みない勇敢な精神と努力にはすごいものを感じる。元新聞記者だけあって文章構成も工夫されてて、調査も行き届いている。読み物として面白い。が、こんな言い方は失礼だが、所詮動機は冒険心といくらかの高名心のような気がする。
それで、いいんだろうが、どうもこのような無名のチベット人たちの無私の難行を思うと、少々色あせて見えたりする。
例えば、本の中に、このツァンポ渓谷にある滝を巡って、中国政府が「アメリカ人の発見よりこちらの方が早いのだ。中国人が初めに発見したのだ」と主張するという件があるが、これなどはお笑い沙汰だと思う。
最初に発見したのは現地のチベット人に決まっている。そこは聖地として大昔からタルチョがはためく場所だったのだ。チベット人は中国人ではないと言ってるようなものだ。
書き残されなければ、行ったことにならない、存在しないという奇妙な冒険の世界。

これと似たようなことは、登山でも言える。ヒマラヤ登山でピークを極めたとさも1人でそこに至ったように言う者ばかりだが、彼らはほぼ間違いなくシェルパに荷物を持たせ、ガイドのシェルパに引き上げられ、頂上に至った者ばかりだ。本当は名も無いシェルパがすごいに決まっている。

もっとも、そういう私も若い頃はとにかく人が行ってないような山や奥地に行くことに取り憑かれていた時期があった。挙げ句に何度も滑落、転落し、本気で死にかけた。このまま続けるといつかほんとに死んでしまうと思い、止めたのだった。「死に近づく事で生が見えてくる」という彼の発言にも納得する。
偶然生き残ったという、「おまけの人生」的な気楽さも得られる。
今では、すべて、遠くや僻地に行きたいという、テストステロンのせいだった、なんて思ってる。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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