チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年1月16日
巡礼者:ジェクンド地震で家族を失ったダワ
一昨日の夜、ダラムサラは今年2度目の嵐となり、一夜にしてマクロード・ガンジの町には20センチほどの雪が積もった。
当時に停電となり、今も回復しない。
町で唯一開いているネット屋を見つけ、そこからアップしている。
以下、1月14日付けウーセルさんのブログ。
http://woeser.middle-way.net/2011/01/blog-post_14.html
雲南太郎さんはその日の内にこれを翻訳して下さっていたのだが、今までアップできなかった。
—————————————————————
あるブログ(http://blog.sina.com.cn/s/blog_4673c37301017mcg.html)でこの「信仰の道巡礼者の手と荷物」という写真を見て、感動を覚えた。
ジェクンド(玉樹)地震の時、多くの僧尼を引き連れて被災地に入り、苦しむ衆生を救ったケンポ・ソ・ダルゲ(ラルン・ガル僧院長)が後に書いていたのを思い出した。
「仏教の無常観と死生観を理解している人は、生死と向き合っても落ち着いて対処できる。仏法の基礎と観念を備えたジェクンドの人は、災害と死に向き合っても平然、超然とした態度を見せていて、メディアや各界の人々をとても驚かせている……」
有名な在米チベット人歌手Phurbu T Namgyalが犠牲者のために心をこめて歌った「Yulshul In My Heart」をまた転載し、巡礼者ダワのように家族を失った人たちへの慰めとしたい……。
http://www.youtube.com/watch?v=_rWVdH1Jsfc&feature=player_embedded#!
(是非見てほしい。チベット語の歌の題は「顔をまた擡げよ」)
写真の物語:
54歳のダワはジェクンドから来た。両親と妻、二人の子どもを地震で失い、彼は独り取り残された。故郷から9カ月半歩いてようやくラサにたどり着いた。数日後には雲南に向かい、聖山カワ・カルポ(梅里雪山)をコルラ(右繞)するつもりだ。彼の全財産はこの簡単な荷物で、木の枝を組んだ背負子はやはり自分で作ったものだ。
亡くなった家族の話になると、彼は悲しい表情になり、目に涙を浮かべた。でも涙は流さない。
手持ちの現金は100元にも満たず、宿に泊まるお金もなく、夜は軒下で過ごす。ラサの夜はマイナス数度にもなる。
冬に雲南まで2000キロ以上を歩くのはとても寒いだろう。私が「いまは寒すぎるから、チベット暦の正月を過ごし、少し暖かくなってから行ったらどうか」と聞くと、「一番安い部屋でも月300元以上かかるし、そんなお金ないよ」と言う。彼は懐から電灯を取り出し、「夜中に寒くなったら歩けばいい」と言った。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)