チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2011年1月7日

18年の刑に服する良心の囚人ジグメ・ギャツォ、度重なる拷問により生命の危険が迫る。

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8b78ca1c.jpg以下、1月4日付けICTプレスリリース
http://savetibet.org/media-center/ict-news-reports/fears-life-tibetan-political-prisoner-tortured-after-speaking-un-rapporteur
及び12月30日付け亡命政府リリース
http://www.tibet.net/en/index.php?id=2056.&articletype=flash&rmenuid=morenews&amps&tab=1#TabbedPanels1
を基とする。

元ガンデン僧院僧侶ジグメ・ギャツォ(45、晋美加措)は国家分裂煽動罪により、現在ラサのチュシュル刑務所に収監されている。
初め1996年に15年の刑を言い渡されたが、2004年ダプチ刑務所内にてダライ・ラマ法王を讃える言葉を叫んだとして、さらに3年の刑を追加された。このままであれば、彼の解放は2014年3月30日となる。

2005年11月27日、国連の拷問特別レポーターであるマンフレッド・ノバック博士(Dr Manfred Nowak)がチュシュル刑務所を訪問したとき、ジグメ・ギャツォは彼との接触を計り、話を交わす事ができた。
ノバック博士は帰国後、その後の彼の安否を気遣い、国連の報告書の中に「ジグメ・ギャツォは政治犯とされるが、それは拷問による自白を基にしていると思われる。特別レポーターは(中国)政府に対し彼の解放を求める」と記した。ノバック博士との接触のすぐ後、2006年初めにはジグメが数週間に渡り病院に収容されたという報告が寄せられた。その後歩行障害に陥っているという。

内地から寄せられた新しい情報によれば、彼の健康は著しく阻害され、独房に入れられているという。

ジグメ・ギャツォは21歳の時僧となり、甘粛省カンロ(甘南チベット族自治州)にあるラプラン・タシキル僧院に所属した。その後ラサのガンデン僧院に移る。80年代半ばにはインドに来て南インドのデブン僧院で数ヶ月勉強したこともあった。ガンデン僧院にいた時、他の5人の僧侶と共にチベット国旗を掲げたり、チベット独立についての話合いを行ったという。逮捕された1996年には彼はガンデン僧院を出てラサで食堂を経営していた。仲間と共にも逮捕されたが、彼はリーダーと見なされ一番重い刑を言い渡された。

かつての仲間であり、今インドに亡命している1人のチベット人によれば、彼は1996年に逮捕され、グツァ拘置所に入れられていた時、特に激しい拷問を受け、一緒に逮捕された17人とは別に無窓独房に入れられていたという。
その後、彼は一度仲間への手紙を書き、外に送ろうとしたことがあった。その手紙が見つかり、また、ひどい拷問を受けた。その手紙には「自分は長期の刑を受けるであろうが、後悔はしていない」と書かれており、さらに自由のために長期の刑を受けたパンチェン・ラマ10世や南アフリカのネルソン・マンデラへの言及も記されていたという。

1997年には出身地の公安が彼を尋問のため訪れ、激しい拷問を与え、彼はその後数日間全く動く事ができなくなった。1998年5月にEUの視察団が刑務所を訪問したときにも彼は仲間とともに抗議活動を行い、その後激しい制裁の拷問に遭った。2004年「ダライ・ラマ法王に長寿を!」と叫んだことにより3年の刑延長となったが、その時も暴行、電気ショックを受けている。

ジグメ・ギャツォのケースは2004年9月、国連の恣意的拘束作業グループ(UN Working Group on Arbitrary Detention)がラサを訪問したとき取り上げられた。彼の拘束は恣意的なものであり、「世界人権宣言第19条及び20条に掲げられるーー人は誰でも平和的な集会や会合を持つ権利を有する」を侵すものであるとしてグループは中国当局を非難した。

ICT(International Campaign for Tibet)は国連に対しジグメ・ギャツォの病気を理由とした解放を求めている。
ITN(International Tibet Network)は彼を解放するための署名活動を行っている。
署名は以下から
http://org2.democracyinaction.org/o/5380/p/dia/action/public/?action_KEY=5062.

署名、お願いします。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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