チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2011年1月2日

チベット人作家3人・刑期確定/彼らの言葉

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雑誌「シャル・ドゥン・リ」表紙写真は3人がエッセイを発表した雑誌「シャル・ドゥン・リ(ཤར་དུང་རི་ 東のホラ貝の山)」の表紙。
以下写真は今回刑を言い渡された3人。
1枚目ザンツェ・ドゥンゴ
2枚目ブダ
3枚目ケルサン・ジンバ

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「言論の自由こそ民主化の出発点」と劉暁波氏は言う。

また「野蛮な独裁を固守する政権には言論の自由をおそれないものはなく、まさにこれこそ、人間が人間であるためには言論の自由は少しも欠けてはならないということを証明している。人類の自由の権利の目録において、言論の自由は、しばしば第一の自由と見なされ、言論の自由を失うことは、あらゆる自由を失うことを意味している。」
「勇気をもって公開された自由な発言で、制度的な嘘と恐怖に反抗する個人が引き続き多くなれば、一人一言の真実によって、どんなに暴虐な制度であろうとも、その効力を失うだろう。」と、中国の人々に勇気をもって真実を発言し続けることを求めている。

チベットにおいて、この野蛮な独裁国家は内地以上に激しい言論弾圧を行っている。特に2008年以降、数え切れないほどのチベット人、作家、知識人、音楽家、芸術家、教育者が捕らえられた。

では、取りあえず我々には何ができるのか?
最近送られてきた「第3の眼通信No12」にはこう書かれている。
「奪われつつある声を聴こう。私たちにはそのチャンスがふんだんにある。そして、自ら口を噤むことこそ、口を塞ごうとする者たちを利することだと自覚し、チベットからの傷だらけの叫びに応えていきたい」と。

当ブログでも何回の報告してきた、3人のチベット人作家に刑が言い渡された。
まず、評決時の状況を伝えるRFAの記事を、その後にウーセルさんが昨年の10月3日及び、今日1月2日にブログ上で紹介された3人の言葉を紹介する。

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<チベット人作家3人・刑期確定>

12月31日付け、RFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/writers-12312010111557.html

チベット語版http://www.rfa.org/tibetan/otherprograms/newsanalysis/china-sentenced-three-tibetan-writers-on-30th-dec-2010-12312010121115.htmlより。

現地からの報告によれば、今年6、7月に拘留された3人のチベット人作家に対し、中国当局は「国家分裂煽動罪」により3~4年の刑を言い渡した。

3人の作家、ブダ(བུད་རྡ་)、ザンツェ・ドゥンゴ(འཛང་རྩེ་དོན་ཁོ་ )、ケルサン・ジンパ(སྐལ་བཟང་སྦྱིན་པ་)は去る10月28日、アムド、ンガバ(རྔ་བ་)の中級人民法院で裁判を受けていた。

求刑の評決を傍聴したと見られる人からは、次のような報告が寄せられている。
「2010年12月30日、ンガバの中級人民法院は3人のチベット人作家に3~4年の刑を求刑した。ザンツェ・ドゥンゴとブダには4年、ケルサン・ジンパには3年の刑だ。判決は、被告や、その家族や、如何なる法的弁護人の陳述なしに言い渡された。評決が行われた時、裁判所で、3人の作家、弁護人、家族の誰の発言を許可されなかった。評決の時、裁判官は全員に起立することを求めたが、3人とも椅子に座ったまま、立ち上がらなかった。
『ジャンツェ・ドゥンゴに4年の刑を言い渡す』と裁判官が発表した時、本人は拍手した。これは判決にたいするあざけりの表現であった。他の2人は無言のままであった」と。

3人は一応、15日以内に上告することが許されている。

彼らは主に2008年のチベット蜂起に関する記事を地方のニュースレターである「シャル・ドゥン・リ」に発表したために、逮捕されていた。

半日間しか行われなかった裁判において、3人は無罪を主張した。
ブダは流暢な中国語で「自分や他の2人が書いたような内容の文章は漢人たちによっても書かれている。判断は『民族間の不平等』を表すものだ」と先の公判の時に述べている。
他の2人もチベット語で自己弁護を語ったが、「通訳が正しく訳さなかった」と傍聴者は報告している。

参照、過去ブログ:
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51517896.html(裁判に付いて)
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2010-10.html?p=3#20101006
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51500387.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51258282.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51252956.html

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以下ウーセルさんのブログより。
原文は
http://woeser.middle-way.net/2010/10/blog-post_03.html
http://woeser.middle-way.net/
翻訳は雲南太郎@yuntaitaiさんが引き受けて下さった。

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ザンツェ・ドゥンゴ◎ザンツェ・ドゥンゴ「私たちにどれだけの人権があるのか」の概略
(去年10月のブログから)

1.赤い政権を転覆させる意図はチベット人にはなかった。2008年3月以降の抗議事件は自由と平等、幸福、人権を求める行動だ。政府への不満の表れであり、民族間の矛盾の表れではない。

2.3・14などの事件の原因は当局と関係がある。チベットが安定しない主な原因は当局が問題を解決せず、チベット人の人権が保障されないからで、官の圧迫に民が反抗したということだ。

3.殺害された同胞や生きている同胞のために人権を求め続けるのは私達の義務だ。

4.中国中央テレビ(中央電視台)などのメディアは嘘を流し、チベット人に罪をなすりつけており、私達は白黒を逆転させたこうしたやり方に強く抗議する。

文章中ではほかに、ジャムヤン・リンポチェ(中国仏教協会副会長、甘粛省仏教協会会長)、アポ・アワン・ジグメ(政治協商会議副主席)、ラクバ・プンツォク(中国蔵学研究所所長)、ジョンブ・ツェリン・ドルジェ?(仲布•次仁多吉、西蔵社会科学院宗教研究所副所長)らの3・14事件に関する発言を強烈に批判している。
更に、「私達は彼ら歴史の犯罪者を忘れることはできない」と訴え、10世パンチェン・ラマや6世グンタンツァン・リンポチェ(贡唐仓仁波切)、プンツォク・ワンジェ(平措汪杰)、イダム・ツェラン(伊丹才让)らの民族愛を称賛している。

◎ザンツェ・ドゥンゴ(今日のブログに載っていた文章)

3月14日、ラサの空にもうもうと立ち上ったのは50年来耐え忍んできた黒煙で、同胞たちが胸の内で50年来すすり泣いてきた黒煙だ。まさか50年たまった後に噴き出したのではあるまいか?~故郷は苦しい負担を背負っている。見知らぬ同胞たち、チベット3地区の同胞と私には密接な関係がある。~僧侶や学生、市民の尊い生命が暗闇に押しやられる時、どうしても私は沈黙を保つことができない。彼らの不運と私のペンの間には深い関係がある。

ブダ◎ブダ「記憶の中の涙」

(ンガバで起きた)3・16事件では二つの注目に値する事柄があった。一つはテレビと新聞などのメディアが「寺院で大量の武器弾薬が見つかった。これは仏の教えに完全に反している」と報じたことだ。しかし、これは考えてみる価値がある。悲しく腹立たしいことだ。

漢民族はチベット民族の数千年の隣人なのに、チベット民族の信仰や風俗を理解できていない。動物やほかの生命を殺した道具を護法神の殿堂に供えるのは、罪業を洗い流すためだ。こんな習俗は3歳の子どもでも知っている。関羽が堰月刀を持っていないとでも言うのか?

このほか、各メディアは「今回の抗議デモは中国の発展とチベット民族の日々の発展を妨害するものだ」と言いふらした。もしそうなら、チベット族人民はなぜ自分たちの素晴らしい生活を破壊したのか。なぜ恐怖に向き合い、快適な生活を拒否する必要があったのか。

3・16事件では形容しようのない多くの出来事が起きたのに、なぜメディアではまだ見られず、ただ極悪非道のチベット族人民と正義の凛々しい解放軍のイメージがあるだけなのだろう。

「社会主義はこの上なく崇高だから中国で和諧を追求する必要があり、交通不便な農業牧畜地域でさえも和諧の重要性を知っている」このことを文化豊かで人口の多い国家がなぜ認めようとしないのか。すべての人にとって物質文明は欠かせないし、国家の発展にとっても同じだ。こうした時にあらゆる個人と政府が鎮圧という手段を取るのは文明に反することで、野蛮な時代に戻ることだ。

◎ブダの二つ目の文章「塵埃は消える――四川大地震で亡くなった生命を思い起こし」

2008年5月12日、四川省ブン川でマグニチュード8.0の地震が発生し、都江堰や成都、茂県、理県、雅安、青川などが被害を受け、市民や財産に重大な損失を与えた。自然災害は人の力ではコントロールできない事柄だが、文明の側も多くの問題を抱えている。

・情報を受け付けない習慣

5・12地震の前、誰も自分が災害に遭うとは予想しなかった。あれらの廃墟と失われた生命を目にすれば、政府のやり方に賛同する人はいないだろう。西蔵製薬工場が出版した2008年のチベット暦カレンダーには、地震発生の可能性があり、警戒するべきだとはっきり書かれていた。たとえ一つの命を救えただけだとしても価値はあったのに、上級部門は重視しなかった。

・張りぼての建物とかわいそうな生徒たち

地震当時、最も人々が気にかけたのはあの簡単に崩れた校舎とかわいそうな生徒たちだ。政府や父兄はずっと教育を重視していたのだから、たくさんのインチキがあるとはっきり知っているのに認めないのは誤りではないのか?2年前に盛り上がった9年義務教育の実施計画は明らかに単なる机上の空論だった。校舎は倒れ、政府庁舎は依然としてそびえ立っていることは世界に広く知られている。たとえば成都市市政府ビルのように。

どんな角度から考えてみても、政府は人民のために働くべきで、大庁舎内に座って話をするだけではいけない。教育を重視する度合いから国家の意識と質を見て取ることができる。

もし本当に安全を祈る時が来たなら悲しいことだ。

ケルサン・ジンパ◎ケルサン・ジンパ「鮮血と生命の告発」

中国中央テレビ(中央電視台)のニュースは3月14日、ラサのチベット族人民が暴行や破壊、略奪を働いたと報じた。そして、世界に向けて慌しく、「これはダライ分裂集団による行為」だと宣言し、あらゆる方法で恥をかかせ、批判し、責任を押し付けようとした。これについて言わなければいけないことがある。

50年の専制のもとで暮らしてきたチベット族人民は、まるで急に民主や自由、平等を理解できるようになり、重傷を負ったかのようだ。

3月16日、ンガバ県でも同様の抗議行動が始まった。専制者に言わせれば、平和的なデモであっても暴行になる。16歳になったばかりのルンドップ・ツォ(楞珠措)という少女は、警察の銃口によって通学路で死んだ生徒だ(こうした人は多くいる)。ほかにも、身体の自由のない状況で自殺するしかなかった僧侶(キルティ・ゴンパには自殺した僧侶が2人いる)、無期懲役とされた遊牧民、牢獄に閉じ込められた学生(マルカム師範学校の学生)などは、専制者の手による犠牲者だ。

3・16でタシら20数人の青年が銃殺されたと聞く。「民族間には平等と圧迫への反対が必要だ。もし平等がなくなれば少数民族が分裂を求めるのも当然だ」というマルクス・レーニン主義の教えを私は思い浮かべた。

「もし民族と言語の平等や民族圧迫への反対を認めなかったり、不平等のために戦ったりしないのならマルクス主義者ではないし、社会主義者とも言えない」というレーニンの言葉を専制者たちは聞いたことがあるのだろうか?

私たちはあれらの給料取りやいわゆる学者たち(たとえば青海や甘粛の人)を軽蔑せざるを得ない。専制者の残酷な刑罰はいつも普通の市民と僧侶の身に降りかかる。法制を名乗る法律機関の前で、彼らは正義のため、血に染まった体で永遠に私達のもとから去って行く。

政府は「チベット族の人権は既に歴史上で最高レベルに達している」とずっと言っていたではないか。私達はいわゆる「文明的に法を執行し、法に則って法律を執行する」という物言いをどうすれば許せるだろう?明らかに嘘だ。

人が生まれれば究極の幸せを追い求めるように、人類は幸福を求める過程にある。民主、自由、平等は私たちの権利であるべきで、国連の「人権宣言」など存在しないとでも言うのか。人類の歴史で、数え切れない思想弾圧や自由の侵害などは専制者がもたらしたものではなかったか?

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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