チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年12月29日
劉暁波氏の言葉・その3/55歳の誕生日に
彼は今、極寒の遼寧省錦州監獄に繋がれている。
故に、「お誕生日おめでとう」とは言いがたいが、それでも激励のために、届かなくとも「おめでとう!」と言いたい。
このままでは、まだ10年も厳しい獄中生活を送らなければならない。
彼の妻の劉霞さんも軟禁され、外部との通信を一切絶たれたままである。
かつての獄中生活においては、妻の劉霞さんが月に一度監獄を訪れ面会することも許されていたという。
今回は、全くそのようなこともできない。
中国政府はどれほどの無実の人々を、どれほどまでに苦しめれば足ると言うのであろうか!
再度中国政府に対し、直ちに劉暁波氏を無条件で釈放し、劉霞さんの軟禁を解くことを強く要請する。
以下、3回目になるが、日本語で出版されている「天安門事件から『08憲章』へ/藤原書店」の中から劉暁波さんの言葉を抜粋し紹介する。
写真はhttp://www.dw-world.de/dw/article/0,,14740613,00.htmlより。
この中で劉氏の友人である�危雨氏が彼の誕生日を期し、彼との思い出を語っておられる。
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<一人一言の真実が独裁権力を突き崩すーーー言論の自由こそ民主化の出発点>
言論の自由とは何か
世界文明の発展史が証明するように言論の自由は、人権保障と社会の進歩にとって普遍的な意義を有するものであり、特に野蛮な社会から文明的な社会への平和的な転換を推進する過程において、言論および報道の自由は、しばしばパイオニア的役割を果たしている。
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中国では、昔から「民の口を防ぐは、川を防ぐよりも甚だし[防民之口、甚干防川]」という古い教訓があり、歴代の王朝は、その多くが専門の「諫官」を設立し、比較的開明的な君主たちも「広く言論発表の道を開く」ようにさせ、かつて漢の文帝の時期には「誹謗妖言の罪」を廃止したこともあった。しかし言論の自由は、剥奪してはならない人権のひとつとして、またある種の政治的原則として中国の伝統に入ったこともなく、言論の自由という制度の構築は、なおさら言うまでもないことであった。
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民主主義に最も重要な言論の自由
このことからわかるように、洋の東西に関わらず、報道および言論の自由は、いずれも現代文明の重要な成果である。なぜなら人間が人間である以上、これは、重要な印の一つであり、その国家が文明的であるか否かを評価する主要な指標の一つでもあるからだ。野蛮な独裁を固守する政権には言論の自由をおそれないものはなく、まさにこれこそ、人間が人間であるためには言論の自由は少しも欠けてはならないということを証明している。人類の自由の権利の目録において、言論の自由は、しばしば第一の自由と見なされ、言論の自由を失うことは、あらゆる自由を失うことを意味している。まさにアメリカの学者ロジャー・ヒルズマンが、民主制度において「ある種の自由は、必要不可欠のもので、しかも格別に保障しなければならず、それこそが報道の自由である。・・・民主の定義がどのようなものであろうと、報道の自由がなければ、民主そのものが存在し得ないのだ」と指摘しているとおりである。
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毛沢東以後の「民間」の台頭
特に六四事件の後は、人々を麻痺させる独裁イデオロギーの説教や勧誘の力は、日に日に弱まり、この監獄のモラルの台座は、急速に瓦解し、建物全体にも次第に大きな漏れ穴が生じ、ひたすら経済の高度成長とナショナリズムの幻想という支えを当てにするだけである。このようにして中国共産党による独裁のモラルの合法性は、もはや脆弱になり、虚言のほかには、自分自身を弁護できるものもなくなってしまった。以前は、人々に忠誠を尽くすことを表明することを求めた。甚だしくは、人々が心から信じて賛美するようにさえ要求した。しかし、今では民意を酌みとり、人々のシニカルな態度―――本心は異なるが同意や称賛を見せてくれれば、それで十分なのだ!
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独裁の維持は、恐怖に依存し、恐怖の維持は、暴力と嘘が互いに支えあうものにすべて頼り、嘘で粉飾していない暴力統治は、維持することもできないのだ。勇気をもって公開された自由な発言で、制度的な嘘と恐怖に反抗する個人が引き続き多くなれば、一人一言の真実によって、どんなに暴虐な制度であろうとも、その効力を失うだろう。嘘を拒否するわずかな積み重ねは、暴政に反抗する民間の大きなうねりとなり、嘘で塗り固めて維持している独裁は、風雨で揺れ動く孤島のように非常に不安定になり、存続は困難になる。したがって、独裁政権の崩壊は、暴力的な方法を取る必要はなく、大規模な街頭での政治運動さえも必要ない。民間の社会で勇気をもって情報の封鎖と言論のタブーを突破することさえできれば、大胆に言論の自由という権利を獲得し、自由な発言の唾だけを頼りに、いかなる独裁政権をも溺れさせることができるのである。
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したがって、民と官とに関わらず、大陸において報道の解放と言論の自由を推進することは、実際には、中国社会の安定的転換という最も重要な目標を推進することなのである。政党結成禁止の緩和について一歩遅れるとしても、言論の禁制を解くことは一刻の猶予もない。言論の禁制が開放されれば、自由な中国は必ずや訪れるのだ!
二〇〇六年三月二七日、北京の自宅にて
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)