チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年11月29日
バリ>クアラルンプール>プノンペン>デリー>ダラムサラ
ジャワ島上空で撮影したブロッケン現象。
これは乗ってた飛行機を中心にできた虹。
このタイプは何度も見た事があるが、写真に撮ったのは初めて。
最初この不思議な現象に出会ったのは中国の峨眉山。
自分の陰を中心に、まるで自分が仏になったような光の輪がくっきり現れ驚いた。
その後ダラムサラの裏山でも何度か現れた。
これを目撃するたびに何だか自然から祝福されたような気がする。
世界中の仏や神や聖人には後光があったりするが、その元はこの現象なのではないか?と思う。
で、今日は最近廻った東南アジアの国やダラムサラに帰って撮った写真のいくつかを紹介する。
バリ島のバードパークで何年振りかに羽根を広げたクジャクに出会った。
やっぱ、羽根を広げたクジャクに勝てる鳥はいないと、その美しさに感嘆。
このバードパークではもちろん他にも沢山の美しい鳥を撮影した。
自然環境の中で撮影したものではないので、いまいちブログに載せる気がしないという気後れもあるが、その内いつか紹介したい。
初めて見た白いクジャク。学名:Pavo cristatus (Domestic)
惜しい事には羽根を広げた後だった。
白孔雀はインド孔雀の白色変種とのこと。
昔、デリー近郊の遺跡を散歩してたとき、突然10数羽の孔雀に囲まれたことがある。
一瞬、この世を離れた感覚に陥ったことを思い出す。
バリ島からカンボジアに向かう途中、マレーシアの首都クアラルンプールに一泊した。
夜着いて、次の日の昼のフライトまでの短い滞在だったが、このタワーや中華街を歩いて、もう十分と思った。
だいたい、この首都、20年前にくらべ驚くほど近代化されていて、旅行者にはつまんない町なのだ。
このタワーに登ろうとしたが、待ち時間が長過ぎ途中で断念。
1998年完成のこの88階建てビルは20世紀の高層建築の中では最も高いそうだ。
設計はアルゼンチン生まれのシーザー・ペリ。
日本でも羽田第二ターミナル、国立国際美術館等沢山手がけている。
2本のタワーの内一本は日本のハザマ建設の施工。
イスラム風のデザインがなかなか効いてる。
マレーシアの女学生たち。
マレーシアは確かにイスラム教国であるが、町でブルカを被ってる女性は見ない。頭をショールで覆ってる女性はいるが目立たない。
このような女学生を見ると反って驚くほど。
中華系(25%)やインド系(7%)住民が多く、マレー系(65%)の中にも様々な先住民が含まれるという複合国家の典型だ。
表向きは仲良く暮らしているように見える。
雑多な宗教や人種が集まり一つの国として栄えるという見本のような国と感じられた。
現在は中東、中国やインドの経済発展の恩威もあり、東南アジアでもっとも経済的に発展した国となっている。
この中華街ではチベットの僧侶にも出会った。
中華街のそばに各チベット宗派の立派な僧院があるそうだ。
合わせれば、チベット僧の数は200人位とか。
僧院に誘われたが、時間がなく訪問することはできなかった。
それにしても、クアラルンプールにそれほどのチベット僧がいるとは知ららず、驚いた。
施主は台湾系の華僑が中心という。
プノンペンの市場。
マンゴスティン、ランブータン、マンゴー、ドラゴンフルーツ、ライチ、ジャックフルーツ、丸柿、リンゴ、ブドウ、ナシ、ミカンにモモ、何でもあって、安い。
果物の乏しいダラムサラに帰ると毎日色んな果物食べてたカンボジアが懐かしくなる。
バンコクを発ち、インドのガンジス上空を飛ぶころには右手にヒマラヤの連山がくっきり見えていた。
空気が比較的澄んでる秋ならではの楽しみ。
ヒマラヤの写真を撮ってる時、反対側から飛んで来た2機の飛行機が続けざまに二アミスじゃないか!と思うくらい近くを飛んでいった。
すれ違う2機のスピード感(1700~1900Km)はなかなかのものだった。
真新しく、清潔で閑散としたデリー空港を後にしてデリー駅に着いた。
夜行列車を待つ間、相変わらすのインド風景を楽しんでいた。
ホームには頭から毛布を被って寝る人あり、到着した列車に我れ先に乗り込むインド人あり。
余りに多くの人が殺到し、罵声が飛び交う。窓から子供を押し込む人あり、サリーを巻くし上げて女性まで窓から入ってた。
もう一杯だとドアを閉められると、残された人たちは外からドアを足蹴にしてた。
東南アジアのどの国よりある意味、インドは遅れてると思えない事もない。
懐かしい、小鳥たちも沢山集まってた。
ダラムサラはほんにいいとこだ。
ダラムサラに帰るとすぐに、某通信社の人がアフガンから来たカメラウーマンと供にラモ・ツォを取材に来てくれた。
この女性記者は世界の「Love ストーリー」を連載しておられる。
もちろんただの「Love」ものではなく、政治的、階級的問題により愛し合う2人が引き裂かれるという話が中心。
今回はラモ・ツォと獄中の夫ドゥンドゥップ・ワンチェンの話を中心にチベット問題を描いて下さるというわけだ。
ところで、ラモ・ツォがこうして町でパンを売る姿はもう今は見られない。
パンの売れ行きが悪くなり、このままでは生活できなくなりそうだというので、今度は美容師になるといって、その勉強のためにデリーに下りて行ったからだ。
TCVに行って、ラモ・ツォとドゥンドゥップ・ワンチェンの子供3人に会ってきた。
写真は次男と長女。
長女は日本からのお菓子を貰って満願の笑み。
次男はドゥンドゥップ・ワンチェンに瓜二つ!
恥ずかしがって何も話しをしない次男とちがって、長女はしっかり者。
ちゃんとお父さんの思い出などを話てくれた。
TCV、Baby Roomの子供たち。
ここに集められてるのは孤児や、親が貧し過ぎて子を育てられないという境遇の子供たち。
中庭でお茶の時間を待ってる間に、みんな勝手に歌や踊りを始めた。
流石、みんな小さい時から超明るいチベット人!
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)