チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年11月10日

11月5日デリー、第6回ITSG全体会議におけるダライ・ラマ法王のスピーチ その3

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eb29b740.jpg今回で会議における法王のスピーチの訳は、完了。

これが、ダライ・ラマ法王のチベット支援者へのメッセージだ。

なお、これはあくまで私の試訳であってもちろん公式なものではない。
皆さんの参考までにと訳してみただけだ。

元映像は:http://www.youtube.com/watch?v=BLkZvUPtZd8

—————————————-

さらにもう一つの側面がある。
チベットは中国とインドの間にある。
相互信頼に基づいた良好な関係は、中国とインドに取って非常に重要なことだ。
なぜならば、この二国は最大人口を抱える国家であり、どちらも核兵器を保持しているのだから。
ただの外交辞令的美語だけではない、真の信頼関係を確立する事が大事だ。
真の「ヒンディ、チニ、バイバイ(中印友好)」が必要だ。
真の中印友好のためには信頼が要る。
中印関係だけでなく、中国と他の隣国との関係や世界との関係において、信頼が基本であると思う。
すべてが国家機密である限り、人々はより懐疑的になるばかりだ。
中国の友人やその他の友人にも言っていることは、中国の13億の民は真実を知る権利があるということだ。
そして、中国の13億の民は自ら何が正しくて、何が正しくないかを判断する能力があると。
(拍手)
このような環境の下で、このような現実の下で、監視することは非道徳的だ。
そのようにすれば、自国民の中に懐疑心が増えるばかりだ。
もっと不信が湧く。
それに対する政府の答えは、もっと弾圧することだ。
そして、さらなる恐れだ。
恐れは信頼を破壊する。
信頼がそこに無い時、どうやって真の友情が育つというのか?
それなしに、どうやって胡錦濤氏の強調する「調和ある社会」が作れるのか?

「調和ある社会」は、ひょっとして動物に対してならあり得るかも知れない、
むちを手にして動物を叩く事により、(追い込んで)お互いを近づけることもできるかも知れない。
しかし、我々は人間なのだ。
10億以上の中国人もまた人間なのだ。
力により「調和ある社会」を作る事はできない。
そうでなく、「信頼」により作られるものなのだ。
そうではなく、「友情」によってだ。
(拍手)
だから、私は1日にして突然中国が民主化されるとは思っていない。
なぜならば、中国の田舎には教育を受けていない人が大勢いる。
経済的にも貧しい。
また、中国はかつて一度も民主主義を経験したことがない。
急激な民主化は非常な混乱を引き起こすであろう。
緩やかな変化が適していると思われる。

みんなも知っているであろうが、私はこの数年来、中国の共産党がかつては何らかの良き貢献をなしたと言って来た。
しかし、今の共産党はもう大義を忘れてしまっている。

私も今、隠居を考えている。だから、もう共産党も次第に隠居するのがよろしいと思う。
潔く、、、そのほうが余程よろしいかと。
(拍手)
そうじゃないかな?
これは決して反共産党的発言ではない。

かつて、はじめて台湾を訪れた時。
台湾の国民党のリーダーたちに、「私は反共産党ではない」と言った。
レンタンだったかな、副議長だったかにそう言った。
すると彼は「私は反共産党だ」と言った。
別にこれは秘密なんかじゃない。
今も社会や経済に関する限り、私はマルキストだ。断定できる。
しかし、私はレーニン主義者ではない。
レーニンの時代からスターリンの時代まで、非常な統制、猜疑、弾圧が行われた。
これに対しては完全に反対する。
(法王のどを詰まらせ)
食事を前に何かがお腹に入ったようだ。ハハハ・・・

毛沢東主席に対しても、初めの頃は私も心からの信頼を寄せていた。
人民の福祉のために献身していた。
労働者や恵まれない人に対して。
特権を持たない人々に対し。
私が中国を訪れた、54年、55年の間に何度か彼に会った。
中国の友人によく話すことだが、私のこの手は毛沢東主席の教えをいくらか受けていると。ハハハ・・・
若い世代の人たちは毛主席に会う機会がないが、私にはあった。

おお、話が長すぎるかな、、、大丈夫かな、、、
ここには大勢の人がチベット問題について議論するために集まっておられる、
だから、私の経験のいくつかを紹介することも無駄ではないかもと思い、、、
(拍手)
(マフラーを取られ、デリー事務所代表のテンパ氏から渡された水を飲まれ、左の耳にぶら下げたままだった黄色いマスクを取られる)

彼の開く会議では党のメンバーからの如何なる批判も許されていた。
ではあるが、聞いている方もなかなか頭が良かったようで、黙ったままだった。
ハハハ。
その場で彼は出身地の一農民からの手紙を紹介した。
不満を示す手紙だ。
これを読んで、「このようなことに考慮し、気をつけて仕事をするように」と言ったものだ。
その夜、その会議の席上、毛主席は私の方を向いて、「あなた方チベット人はかつて非常に強かった。しかし、今は非常に弱くなった。だから、我々が助けて上げよう。20年後には、より幸福で、より強くなっているであろう。その時にはお返しに我々を助けてほしい」。
このように毛主席は語った。

それから、その国旗だ。(会場に掲げてあるチベット国旗を指差す)
ある時毛主席は私に「あなたたちは国旗を持っているか?」と訪ねた。
私は「はい。あります」と答えた。
すると、毛主席は「それは持ち続けるべきだ」と答えた。
「中国国旗と共に」と。

ベルリンでチベット支援組織の代表と会談していた時、彼等がチベット国旗を掲げていたので、私は言った。
この旗を本土チベットで誰かが掲げると、すぐに「分裂主義者」だと言われる。
もしも、中国の役人が来た時に、この旗を掲げて、文句言われたら、「おお、ダライ・ラマ法王は毛沢東主席本人から、この国旗を掲げる全面的許可を受けている」と言うが良い。
(拍手)
我々は毛主席のアドバイスに従っているわけだ。
そうじゃないかな?

また、中国の友人たちに話すのだが、共産主義者である毛主席は「共産主義者は他者からの批判を受け入れるべきだ。自己批判と共に。それなしには水を失った魚のように生き続けることはできない」と度々語ったものだと。
今じゃ、これは実行されていない。
しかし、自分たちはこれを実行している。
(拍手)
また、中国で沢山の町や地方を廻った。
北や南や東の地方を。
どこでも、地方の役人と会ったが、私は本当にその党幹部たちが真剣に奉仕していることに感心したものだ。
民衆のことを心掛けていた。
私は本当に心打たれた。
だから、北京で私の面倒を見てくれていた役人に「自分も共産党に入党したいものだ」と話したことがある。
すると、彼は「ま、待て、待った方が良い」と言った。
多分、彼は何れ党が堕落するということを知っていたのかも知れない。
1956年ごろから、すべては変わり始めた。

数ヶ月前、BBCで「真理の力、銃の力」という番組をやっていた。
全部を見る事はできなかったが、、、
中国共産党はその初期には、この2つ「真理の力と銃の力」を持っていた。
その内、「真理の力」は失われた。
「銃の力」は残った。
これが、自身を堕落させた。
全面的に権力を掌握した者は、その人の中に自己制御能力が無い場合、堕落の力に抗することは非常に難しい。
いずれ、堕落する。
これが起こったまでだ。
ほとんどの独裁政権はこのたぐいだ。

ここで、改めて、あなた方と意見を共有したい。
我々は全力を尽くして、中国をより透明性のある国に変え、弾圧をやめさせるべきだ。
歪められたプロパガンダは必要ないということを解らせるべきだ。
それは、ただ非生産的で、反対の効果を及ぼすだけだ。
これが大事だ、なぜかと言えば、物事が一旦透明になり、言論の自由が保証され、独立した司法制度が確立されるならば、チベット問題は簡単に解決することができるからだ。
これが、一つの側面だ。

だから、チベット問題には3つの側面がある。環境、文化そして人権侵害、それと(中国が)インドや世界と良好な関係を築く事。
最大の人口を抱え、古い歴史文化をもつ中国が世界に貢献するためには
他国の信頼を得ることが非常に重要だ。
これなしに、恐怖を与えるならば、中国は建設的役割を果たす事はできない。だから、我々は狭い心を持った指導者たちにこれを解らせるべきだ。

もう一つの見解を共有したい。
ある指導者、役人は我々チベット人が反中国だと思っている。
全くそうではない。
悪い政策と不正義についてはもちろん我々は反対する。
しかし、我々は決して中国人に敵対することはしない。
(拍手)

だから、今回もより多くの中国人がここに集まってくれている。
私は彼等を買ったわけじゃない。
誰も、ここに参加したからといって、1万ドルとか5万ドルとか、誰かからお金を貰えるわけじゃないだろう。
各自が自費でここに参加していると思う。
航空券はただだったか?ハハハ。
(法王見渡して確かめる)

この数年間、多くの中国人に会って来た。
これらの中国人たちは教育のある人々だ。
知識豊かな人々だ。
また、全員ではないがその中国文化の遺産を心に持っている人たちだ。
中国文化を愛しておられる。
中国人を愛し、中国を愛しておられる。自然にだ。

その心で、今、我々を助けるためにここに来て下さっている。
このことは明らかに、我々の戦いは正義の戦いである証拠だ。
特に、我々のアプローチの仕方は独立を求めず、正しい自治を求めるものだ。この数年間に多くの中国人学者、先生、教授、作家、さらに子供たちに、、、おそらく数百人に会った。
この2年以上に渡り、千部以上の中国人の記事が我々の中道のアプローチを支持してくれた。
そして、中国の政策を批判し、その長期的利益について論じられている。
健全なことだ。
これは明らかに、我々が反中国でなないという証拠だ。

また、ここには多くのヨーロッパの人々が来られている。
チベット問題を多くの機会を捕らえ、国際問題にしてくれている。
いつも言っているが、我々には2つの手がある。
右手が大事だ。
右手で北京にアプローチしている。
もしもこの側に具体的手応えがあるなら、この左手は必要ない。
しかし、右手が空のままである限り。
左手は延ばされなければならない。

多くの人々がチベット問題に関心を示して下さっている。
様々な宗教の人が。
だから、自然に我々はこのような共感、同情、支援とつながるであろう。
もしも、具体的な手応えが右手からあるならば、左手は「OK GOOD BYE」だ。
誰がチベット問題を国際化しているのか?
中国であって、我々ではない。
ま、これはあなた方が、誰がチベット問題を国際問題にしているのかと考えて見るべきだが。

最近、二ヶ月前、私は一人の中国人に会った。
ちょうどその前に彼はラサを訪問したという。
彼は私に、「ラサのジョカンの前で、いつものようにチベット人は五体投地を信心深くおこなっていた。そのすぐ近くに武装警官と共産軍がしっかり制服を着て軍事訓練行っていた。叫びながら。そして、――チベット人はこのように右回りにジョカンを回るがーー中国の軍隊は反対向きに行進していた」と。彼が言うには、「この中国人たちは本当にわざとチベット人の心の中に反感を作り出している」と。
だから彼が言うには、「本当に緊張を作り出しているのは彼等の方だ」と。
私もこれが本当と思う。

もちろん我々チベット人は、精神的心を持っているが、一方でお金も好きだ。
私は隠す事は好きでない。
カナダ、アムステルダム、アメリカに沢山チベット人の不法滞在者がいる。
これらのチベット人はもちろん、精神性を求めているのではなく、金を求めているのだ。
これらの困ったチベット人のお陰で、我々のデリー事務所は各大使間との信頼関係を失いかけている。
彼等は最初に我々の事務所に来て、必ず帰ってくると言って支援を求める。
問題は、自分の事務所が助ける手紙を与え、一旦その外国に到着すると、すべてを忘れてしまうことだ。
だから、アメリカ大使館を含め、その信頼を得る事が今、難しくなって来ている。
今年、新しい(アメリカ)大使が就任したが、私は自分で彼に謝った。
間違ったチベット人たちの態度について。
これは、明らかにチベット人もお金が好きだという証拠だ。

チベットは物質的には遅れている。
中国の中に留まるという話は、、、物質的発展に関し、これは自分たちの利害を考えての話だ。
しかし、真の自治を与えてほしい。
自分たちのことは自分ですることのできる完全な権利のことだ。

思い出すが、、、86年のことだったと思うが、パンチェンラマが(マーグル?で)決定したことをラジオで聞いた。
「87年以降、自治区内の公的言語はチベット語にすべきだ」と発言したことを。
このようなアイデアがあった。
今は、公的言語どころか、教育において、学校でも、チベット語は減じられて来ている。

これらがあなた方と共有したいことだ。

以上だ、ありがとう!

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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