チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年9月11日
【石平のChina Watch】「賠償訴訟大国」に警戒せよ
他人様の記事で恐縮だが、何だか出だし部分が笑えたので紹介。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100909/chn1009090814001-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100909/chn1009090814001-n2.htm
2010.9.9 08:12
8月の中国新聞各紙の社会面を眺めていると、奇々怪々な「賠償請求訴訟事件」のニュースが目立つ。
北京市石景山区で、ある男の愛人となった女性は、男が自分のために購入した化粧品を男の正妻に「掠(かす)められた」として、この正妻に2万元の「損害賠償」を求める訴訟を起こした。湖北省黄石市では、夫が外で遊んでいて家に帰ってこないから夜の独り寝を余儀なくされた妻が、夫を相手に「独り寝損害賠償訴訟」を起こしたことが話題となっている。
浙江省寧波市。女の子が宿泊したホテルで自殺した後、彼女の死に「責任がある」として遺族から賠償請求訴訟を起こされたのは、なんとホテルの方である。
広東省中山市。車に軽くぶつかった女性が運転手に法外な賠償請求を突きつけたが、その理由は驚くべきことに「処女膜が事故で破損したこと」であった。
華北部の某都市で、専門学校の生徒が校内で転倒して負傷した後、「校舎の床が滑りやすいから」といって学校に莫大(ばくだい)な賠償を要求した。西南地域の重慶市では、自分で転倒して負傷した老女がバスに乗り込み、乗車中に転倒したふりをして、バス会社に賠償を求めた事件も起きている。
それらの珍事件の数々を見ていると、今の中国人たちが、賠償請求訴訟を起こすのに、いかに「熱心」であるかがよく分かる。何かある度に、正当な理由があってもなくても、とにかく誰かをつかまえて「賠償をよこせ」と迫るのが一種の流行とさえなっている。愛人が正妻を訴えるこっけいさや、ホテルが宿泊客の自殺で賠償を要求されるような理不尽さもそこから出ている。
こうした現象はある意味では、中国における社会的進歩の一つである。かつて毛沢東時代には、国民が生命や権利のすべてを奪われても文句の一つも言えなかったのだが、今、国民の一人一人が個人的権利を強く主張してそれを守り通そうとしている。この風潮がいずれ、国民一般の普遍的権利を求める社会運動に発展すれば、民主化への道が開かれる可能性もある。
しかしその半面、自己権利意識の肥大化が現代中国人特有の強欲さと相まって、理不尽な「賠償請求訴訟」の氾濫(はんらん)を招き、徹底的な人間不信の社会を作り上げている。
2006年11月、南京市内のバス停留所で転倒した老女を助けた彭宇さんという若者が逆に老女から「損害賠償」を求められた事件が発生して以来、街角で誰かが倒れていてもそれを無視して通り過ぎていくというのが中国人の常識となっている。共同体としての中国社会は、すでに崩壊寸前である。
われわれが警戒すべきなのは、こうした中国流の「賠償請求訴訟」の矛先が日本に向けられてくることである。いわば「慰安婦賠償」や「強制労働賠償」のたぐいもそうであるが、直近の事例でいうと、今年の8月15日、戦時中に日本に連行されたと称する中国の「強制労働者団体」が日本の菅直人首相に書簡を送って「対日賠償訴訟を徹底的に行う」と宣言している。
この手の訴訟に対して、日本は完全拒否の姿勢を貫くべきであろう。一歩でも譲れば、バスで転げたふりをした重慶の老女と同類の「自称被害者」やその子孫たちが、法外な「賠償」を求めて次から次へと日本に押し寄せてくるような光景が目の前の現実となろう。
中国との経済的交流・人的交流がますます盛んとなっている今、日本の企業や個人はまた、中国人たちの強欲な「賠償請求」の餌食にならないよう、十分に気をつけるべきであろう。
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【プロフィル】石平
せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)