チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年8月20日
TCVで学んだこともある無期懲役の大企業家ドルジェ・タシ
8月19日付Phayul,Dharamsala by Tenzin Tsering:
http://phayul.com/news/article.aspx?id=27994&article=Jailed+Tibetan+businessman+Dorjee+Tashi+studied+in+India
中国が政治的な事は何でも弾圧することについては驚くに当たらない。
しかし最近、政治的には中国の政策に同調していた2人の著名で影響力のある企業家チベット人への弾圧については、チベットのオブサーバーたちも中国の意図について疑問を呈することとなった。
古美術商カルマ・サンドゥップの投獄に続き、今度はチベットのホテルチェーン、不動産業を握る富豪ドルジェ・タシが投獄された。
2人ともかつて中国政府から名誉称号を受けている。
ドルジェ・タシは環境保護家、慈善家であるカルマ・サンドゥップに続き、中国政府に目を付けられた2人目の影響力のあるチベット人だ。
2人とも政治的活動には距離を置き、中国のシステムの中で活動する人たちと理解されていた。
「彼は有名で、チベット人、中国人、外人旅行者たちから“ヤク・タシ”と呼ばれていた。彼はチベット人の誇りであり、“強いチベット人意識を持つ非常に成功した企業家”であった」とドルジェ・タシと同郷(アムド、ラプラン地区)であり現在亡命中のジャミヤン・ラモは語る。
人々にヤク・タシとして知られるドルジェ・タシはチベット人企業家のリーダーでありその資産は4,5億ポンド(約600億円)と言われている。
彼は2008年ラサに始まり、その後急速にチベット各地に広がったチベット人蜂起のすぐ後に逮捕された。
この37歳の若き企業家は2008年3月に逮捕されて後、現在まで一切の連絡を絶たれたままである。
2010年6月26日、ラサ中級人民法院は3日間の秘密裁判によりドルジェ・タシに「不正取引」という罪状により無期懲役を言い渡したとされるが、詳しい経緯は不明のままだ。
ドルジェ・タシは共産党員であり、これまでに中国政府自体から多くの賞を受けている。
例えば、チベット自治区党委員会からは「私営優秀企業賞」、シガツェ県からは「貧困救済特別貢献賞」、甘粛省甘南州委員会、州政府から「甘南公共経済発展貢献賞」、
2005年には10年に一度発表される「青年文明賞」をシガツェ地区共産党青年団委員会から与えられている。
彼が率いる「チベット・マナサロワール・グループ(神湖酒店)」は豪華ホテル、旅行代理店を保有し不動産業も行なうが、この企業も「青年文明グループ成就賞」を受賞している。
ドルジェ・タシはかつてダラムサラの近くにあるTCVスジャスクールに学んでいたことがある。
彼はチベットに戻りラサでヤク・ホテルを始め、大成功し、さらに様々なビジネスを展開した。
「ラサのほとんどの運送業と旅行代理店は彼に握られ、地域の観光収入のほぼ80%は彼の企業の収入となっていたと思う」とジャミヤンはphayulに語った。
彼が何らかの政治的活動、中国政府の言う「分裂主義的」活動に関わっていたと思うか?との質問にジャミヤンは
「彼はチベット内で政治的運動に関わればどんな結果が待っているかを知らないほどバカじゃない」と答えた。
ドルジェ・タシの長兄も彼が逮捕された数カ月後に逮捕され5年の刑を受けた。
ジャミヤンによれば、タシの従兄にあたるドゥカル・タシも5年の刑を受けたという。
2005年にはドルジェ・タシは胡錦涛と温家宝にも会っている。
「私が聞いた情報によれば、甘粛省の省都蘭州で彼を逮捕したのは地方の公安職員ではなく、北京から派遣された平服の警官だった」とジャミヤンは言う。
ドルジェ・タシが逮捕されたのは亡命側の非政府組織やダライ・ラマに資金を提供したからではないかと推測されている。
コロンビア大学のチベット学者ロビー・バーネットは「チベットの亡命社会はその資金を亡命社会のメンバーや欧米に頼っており、中国内からの寄付に頼ることはしていない。彼がそのような危険な事をするとは思えない」とコメントしている。
「ヤク・タシはチベット人であることに誇りを持っているチベット人だった。
すでに中国人が多数派となったチベットの中にあり彼はチベット人としての自覚と尊厳を守り続けてきた。
おそらく中国当局は政治的活動に関わらないにしても、彼のように成功したチベット人が嫌いだったのであろう」とジャミヤンは言う。
参考(中国語)
http://people.tibetcul.com/dangdai/sjjy/200611/1752.html
チベットの著名人リスト
http://people.tibetcul.com/
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)