チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年7月29日
ネパールに越境したチベット人3人が中国に引き渡された
写真左:カトマンドゥの拘置所から解放され、涙するチベット人難民(AFP)。
<ネパール政府が亡命のため越境したチベット人3人を中国当局に引き渡したことに対し、国連は憂慮を示す>
7月28日付Phayulによれば:
http://phayul.com/news/article.aspx?id=27854&article=Nepal’s+repatriation+of+3+Tibetans+leaves+UN+%e2%80%98concerned%e2%80%99
(以下抄訳)
ネパール政府は今年6月初め、3人のチベット難民を強制的に中国当局に引き渡した、と水曜日(7月28日)国連が発表した。
このことに付き国連は非常に憂慮するとコメントした。
国連難民高等弁務官事務所のスポークスマンであるNini Gurung氏はAFPに対しメールで「2010年6月初め、3人のチベット人がネパールから強制的に中国に追い返された。これは重大な問題であり、我々はこの事件を非常に憂慮する」と答えた。
この事件に関しICT(International Campaign for Tibet)は詳細な報告を行なっている。
それによれば、ネパール国境に近いコルチャック僧院の2人の僧侶及び中国政府の役人と思われるシガツェの一人の女性が、ネパールの政治家に付き添われヘリコプターを使うという異常な方法で送り返されたという。
2人の僧侶の名はダワ(20)とドルジェ(21)、女性はペンパ(22)と呼ばれている。
ICTによれば、ペンパと一人の僧侶は約6カ月投獄されるが、一人の僧侶は僧院に帰ることが許されたという。
3人は6月初めに、チベット自治区ンガリ地方のプランから国境を越えネパールのフムラ地区で警察に拘束された。
ITCによれば、中国当局は役人である女性の行方を追っており、彼女がカトマンドゥに辿り着くことを阻止しようとしていたという。
報告書によれば、中国の国境警備隊はネパールの国境警備隊と連絡を取り合い、彼ら3人を拘束した後、ヘリコプターを使い警官と特定されていない政治家に伴われ国境まで送り返されたという。
この事件は先週ネパールのABCテレビにより報告されたていたが、詳細は不明であった。
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=27802
(私も上記の記事から、先に“2人のチベット人が中国に追い返された”と簡単にお知らせしていた)
このようなケースは2003年に子どもを含む18人のチベット人がネパール警察により中国側に引き渡されて以来初めてである。この時は国際的非難の声が上がった。
ICTは辺境の国境地帯で、報告されていない、このような引き渡しが他にも行なわれている可能性があると指摘する。
ネパール政府と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR),の間には、ネパールがチベット難民に対し難民認定を行なわなくなった1989年に、チベット人難民を安全に国内通過させるという「紳士協定(Gentlemen’s Agreement)」が結ばれている。
ネパールは、この3人のチベット人を強制的に中国の国境警備隊に引き渡したことで、UNHCRとの確立されていた紳士協定を犯し、国際法の規定を破ったことになる、とICTは表明する。
最近新しい代表となったICTのMary Beth Markey女史は「我々はネパール政府とUNHCRが共同して今回の事件について調査することを要請する。同時に中国の領土外への干渉を調査し、二度とこのような事が起こらないよう対策を講ずべきだ。国境警備隊と入国事務所に対し、正しい国際的人権基準に基づいた訓練を行なうべきだ」と述べている。
ネパール政府は最近、自国開発資金を提供する中国に対し、その友好を強化するために、国内における「反中国活動」をより一層強く取り締まることを約束している。
この強制帰還も、最近中国がネパールの国境警備を強化するために約束した援助パッケージ協定の後に起こったものだ。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)