チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年7月26日

再び 「HRW報告書」

Pocket

e61b3c72.jpg一昨日、HRWの報告書について簡単にお伝えしたが、先ほどこのHRWの日本語版ホームページに全部ではないが、導入部と幾つかの証言が翻訳されていたのを発見。
再びアップする。

——————-

中国:チベットでの治安部隊による人権侵害の実態、目撃証言でいま明らかに

残虐行為は大規模かつ重大、求められる国際調査

http://www.hrw.org/ja/news/2010/07/22

July 22, 2010

Related Materials: “I Saw It with My Own Eyes”

多くの目撃者による証言と中国政府自身の情報から、非武装の抗議者らに対し、死をもたらす武力(致死性を有する有形力)を行使する意図が政府側にあったことが明らかになった。 本報告書により、治安部隊が国際基準と国内法に沿って抗議者らを扱ったという中国政府の主張に対し、断固として異議を唱えたい。

ソフィー・リチャードソン、ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア政策提言責任者.
(ニューヨーク) – 2008年3月10日からチベットで始まった大規模な抗議行動。抗議行動の最中及び事後に、中国の治安部隊が過剰な武力・有形力を行使し、意図的に残虐行為を行った事実が、目撃者らの証言で裏付けられた、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発表の報告書で述べた。強制失踪、冤罪による処罰と投獄、家族への迫害、抗議運動のシンパとみなしたチベット族を標的とした迫害など、多くの違反行為が今日も続いている。

報告書「チベットにおける中国治安部隊による虐待行為の実態、2008-2010」(全73ページ)は、中国脱出直後のチベット難民やチベットからの旅行者らを対象にした、200件以上の聞き取り調査や、最新かつ未発表の公式情報に基づいて作成された報告書。この報告書は、目撃者の証言を通じ、抗議運動中や事後、抗議をやめさせようと治安部隊が犯した広範囲に及ぶ虐待を詳述。これには、過剰な武力行使、大規模な恣意的逮捕、被拘禁者に対する残忍な扱いや拷問などがある。

ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア政策提言責任者、ソフィー・リチャードソンは 「多くの目撃者による証言と中国政府自身の情報から、非武装の抗議者らに対し、死をもたらす武力(致死性を有する有形力)を行使する意図が政府側にあったことが明らかになった」と述べた。 「本報告書により、治安部隊が国際基準と国内法に沿って抗議者らを扱ったという中国政府の主張に対し、断固として異議を唱えたい。」

また、中国政府の主張とは異なり、3月14日のラサ市繁華街エリアの件を含む、少なくとも4つの事件で、治安部隊がデモ隊に対し無差別に発砲をしたと、本報告書で指摘した。

中国政府によるチベットにおける治安部隊行動を、外部または独立した機関により見られるのを避けようと、中国当局はチベット高原全土を閉鎖し、チベット族居住地域のすべてに膨大な数の軍隊を派遣。中国当局は、ジャーナリストと外国の関係者を追放、その地域内への移動も規制した。更に、電気通信とインターネットを監視、あるいは遮断し、弾圧を告発する疑いがあるとされた者をだれでも逮捕した。国連人権高等弁務官と国連特別報告者はこのチベット抗議運動で何が起きたかを独立して調査したいと要請したが、政府はすべて拒否している。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは治安部隊と同様、チベット族による暴力も非難。中国政府の統計によると、ラサ市だけで、2008年3月14~15日の間に、21人が殺害され、数百人が負傷した。しかし、国際的な法的基準では、命を守るためあるいは暴力犯罪の加害者を逮捕するために最低限必要な場合だけしか、国家は武力・有形力の行使は認められていない。しかしながら、複数の事件の目撃者たちの証言は、中国政府の主張とは異なり、中国軍は国際法基準に反し、違反行為(過剰な武力行使、拷問、恣意的拘禁、平和的な集会の権利の侵害)に及んでいたことを示す。

デモ当初から、中国政府は一貫して、「法に基づいた」公平な方法で、本抗議関係のすべての事件を処理すると述べた。しかし、本報告書は、全く別の事実を明らかにしている。当局は、何千人ものデモ隊と一般のチベット族を逮捕、正当な法的手続きなしに拘禁した。そして、被拘禁者の所在も全く明らかにしていない。更に、司法制度が中国共産党により政治支配されているため、被告には正当な法的手続きが事実上全く保障されていなかった。

本報告書結果は、一連の抗議とその余波の真実を明らかにするため、中国政府が早急に実態調査を行なう必要性を示すとともに、チベット地域をメディアや(外交官やNGOなどの)海外からのモニターに開放する必要性を浮き彫りにしている。中国当局は、政府の治安部隊の行動についても調査する必要がある。目撃者たちは一貫して、過剰な武力・有形力の行使、抗議に関与したとの疑惑をかけられて拘禁されたチベット族に対する意図的な虐待や不当な取扱いなどについて証言している。また、拘束されたチベット族たちには、逮捕の際の正式な告知(拘束場所、逮捕理由)の欠如など、最低限の適正手続きも保障されていなかった。

前出のリチャードソンは、「チベットの状況を解明する国際調査団は、これまでにも増して必要だ」と述べる。 「中国の治安部隊による人権侵害は、そもそも抗議運動のきっかけとなった、チベット族の長年の不満を鎮めるどころか、更に悪化させる可能性が大いにある。」

背景

2008年3月初旬、ラサ市内外の主な僧院のチベット僧が平和的な抗議デモを実施、それに対して中国治安部隊が弾圧を行った。これが3月14日のチベット自治区首府における騒乱につながった。

これに応じた形で、近隣省に駐屯していた治安部隊がチベット自治区に集結、中国政府は大規模な一斉弾圧を行うと住民に告知。結果、抗議は空前の規模に膨れ上がり、チベット高原全土に広がった。公式文書によると、最初の2週間に150以上の抗議活動がみられ、その後も数カ月にわたって個々の抗議が三々五々続いた。

チベット自治区で過去数十年でも最長・最大の抗議活動となった今回の事件に中国政府は、1989年の天安門事件以来、最も大規模な治安作戦の展開という形で応えた。

しかしながら中国政府は、デモ隊と警察の衝突に至った何十件もの衝突事件の詳細を、明らかにしていない。中国治安部隊がデモ隊にどう対応したのかは未だに闇の中であり、過剰な武力・有形力の行使や、ラサ市の中心部を3月14日に数時間デモ隊や暴徒の手に任せ放置した疑惑なども、未解明のままだ。抗議活動中に逮捕された何百人ものチベット族たちをその後どうしたのか、中国政府は明らかにしていないほか、拘禁されたチベット族の数、有罪判決を言い渡されたチベット族の数、裁判中のチベット族の数、法律に基づかない形で拘禁され続けているチベット族の数についてもまた、現在まで明らかにしていない。

「チベットにおける中国治安部隊による虐待行為の実態、2008-2010」からの証言:

「奴らは人びとに向かって直接発砲していた。江蘇路の方からやってきて、チベット族を見れば発砲って具合だった。たくさんの人が殺された。」
– ペマ・ラキ(仮名)、24歳のラサ市の住民

「彼女は頭に一発の銃弾が命中しました。地元の人びとがトングコル僧院から約5キロ離れた故郷の村に、彼女の遺体を持ち帰ったのです。」
– ソナム・テンジン(仮名)、27歳のトングコル僧院の僧侶

「最初は兵士たちが数回、群集を脅そうと空発砲した。でも、皆まさか兵士が実際に発砲するなんて思いもせず、無視して施設内に集まり続けた。その時点で、兵士たちが実際に発砲し始めた。」– テンパ・トリンレ(仮名)、26歳のセダ県の僧侶

「私が最初に見たのは、たくさんの兵士と警察が電気棒で人びとを殴りつけているところ。4、5人の兵士の一団が群集を一人ひとり逮捕して、トラックに押し込んでいた。」– ドルジェ・ツォー(仮名)、55歳の銅仁の住民

「兵士たちは、大学や寮の門やドアを壊して突入してきた。武装して、手斧とハンマー、懐中電灯、手錠、ワイヤロープまで持っていた。僧の部屋に入る時は、まずは携帯電話の有無についてたずねて、携帯を全部没収していた。逮捕の際に手錠を掛けられていた僧が何人もいたし、ワイヤーロープで縛られている僧もいた。兵士は私たちに素早く動けと命令して、その通りにしないと殴っていた。何百人もの僧が連れ去られてしまった。」– チャンパ・ラガ(仮名)、ラサ市在住の元デプン僧院の僧侶

「かの地でとられたあらゆる手段は、憲法で規定されている軍の権利や国際法の範囲内だった。」
– 呉爽張、2008年3月16日当時の人民武装警察部隊高官

「我々はひどく殴られました。警備隊は警棒やなんかで殴るんです。ほとんどが下半身を狙われました。2日間暴行が続いて、その後、ラサ市のグツサ刑務所に連行されました。そこでは警官が丸2日昼夜を問わず、代わる代わるに私たちを殴りながら尋問し続けたんです。」
– リンチェン・ナムギェル(仮名)、33歳のガンデン僧院の僧侶

「最大で30人が3~4平方メートルの独房内に詰め込まれていました。座る場所もないくらいだから、ずっと立ちっぱなし。トイレもないのに、外に出ることが許されていないから、その場でするしかなかったんです。与えられる食事は、1日1回のご飯か粥だけ。ほとんどの人が暴力をふるわれました。」– パサン・チョーペル(仮名)、アバ出身の元被拘禁者

「ガンジ県チベット自治区中級人民裁判所は、被告ドルジェ・カンドルプの審理を開いた。罪状は、チベット独立を求めるビラの作成と、それをガンジ県の主要道路にまいた行為。臆面もなく国家の分断と統一の破壊を煽動した被告の行動は、国家分離煽動罪に該当する。」
ガンジ県の政治律法委員会による公示 -ドルジェ・カンドルプ被告に対し 6年の刑を言い渡した

「中庭でも殴る蹴るは続きました。人民武装警察部隊の武装警察たちは、ベルトや銃底を使っていました。地べたで彼を蹴りつけて、出血がすごかった。辺りは血の海でした。動かなくなった彼を、兵士はその場に置き去りにしていくのを、私はこの目で見ました。」
– ルンドルプ・ドルジェ(仮名)、ラサ市の住民

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

ちべろぐ

Archives

  • 2018年3月 (3)
  • 2017年12月 (2)
  • 2017年11月 (1)
  • 2017年7月 (2)
  • 2017年5月 (4)
  • 2017年4月 (1)
  • 2017年3月 (1)
  • 2016年12月 (2)
  • 2016年7月 (1)
  • 2016年6月 (1)
  • 2016年5月 (9)
  • 2016年3月 (1)
  • 2015年11月 (1)
  • 2015年10月 (2)
  • 2015年9月 (4)
  • 2015年8月 (2)
  • 2015年7月 (14)
  • 2015年6月 (2)
  • 2015年5月 (4)
  • 2015年4月 (5)
  • 2015年3月 (5)
  • 2015年2月 (2)
  • 2015年1月 (2)
  • 2014年12月 (12)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (10)
  • 2014年9月 (10)
  • 2014年8月 (3)
  • 2014年7月 (9)
  • 2014年6月 (11)
  • 2014年5月 (7)
  • 2014年4月 (21)
  • 2014年3月 (21)
  • 2014年2月 (18)
  • 2014年1月 (18)
  • 2013年12月 (20)
  • 2013年11月 (18)
  • 2013年10月 (26)
  • 2013年9月 (20)
  • 2013年8月 (17)
  • 2013年7月 (29)
  • 2013年6月 (29)
  • 2013年5月 (29)
  • 2013年4月 (29)
  • 2013年3月 (33)
  • 2013年2月 (30)
  • 2013年1月 (28)
  • 2012年12月 (37)
  • 2012年11月 (48)
  • 2012年10月 (32)
  • 2012年9月 (30)
  • 2012年8月 (38)
  • 2012年7月 (26)
  • 2012年6月 (27)
  • 2012年5月 (18)
  • 2012年4月 (28)
  • 2012年3月 (40)
  • 2012年2月 (35)
  • 2012年1月 (34)
  • 2011年12月 (24)
  • 2011年11月 (34)
  • 2011年10月 (32)
  • 2011年9月 (30)
  • 2011年8月 (31)
  • 2011年7月 (22)
  • 2011年6月 (28)
  • 2011年5月 (30)
  • 2011年4月 (27)
  • 2011年3月 (31)
  • 2011年2月 (29)
  • 2011年1月 (27)
  • 2010年12月 (26)
  • 2010年11月 (22)
  • 2010年10月 (37)
  • 2010年9月 (21)
  • 2010年8月 (23)
  • 2010年7月 (27)
  • 2010年6月 (24)
  • 2010年5月 (44)
  • 2010年4月 (34)
  • 2010年3月 (25)
  • 2010年2月 (5)
  • 2010年1月 (20)
  • 2009年12月 (25)
  • 2009年11月 (23)
  • 2009年10月 (35)
  • 2009年9月 (32)
  • 2009年8月 (26)
  • 2009年7月 (26)
  • 2009年6月 (19)
  • 2009年5月 (54)
  • 2009年4月 (52)
  • 2009年3月 (42)
  • 2009年2月 (14)
  • 2009年1月 (26)
  • 2008年12月 (33)
  • 2008年11月 (31)
  • 2008年10月 (25)
  • 2008年9月 (24)
  • 2008年8月 (24)
  • 2008年7月 (36)
  • 2008年6月 (59)
  • 2008年5月 (77)
  • 2008年4月 (59)
  • 2008年3月 (12)